第五話 特訓

 翌朝、姉妹は昨日と同じく、オリヴィエ公の屋敷の隅の訓練場に居た。盛夏の日の出は早く、既に太陽が山際からその顔を覗かせようとしている中で、セレスティーヌは怯えにも似た表情で姉と相対していた。


「ほらっ! 痛いのは嫌だろ⁉」


 術によって作り出された氷の礫がフィオレンティーナの手の平から放たれる。

 朝日に煌めかせながら飛翔するそれは、一見すれば美しさすら感じさせるものだったが、その術の標的とされた少女にとっては、恐怖以外の何物でも無かった。


「うわっ!」


 対抗するように火術を放とうとするセレスティーヌ。けれども、構えた両手からは白い煙と湿った破裂音がするばかり。氷の欠片はそんな出来損ないの火術をものともせずに、未熟で幼い術士の眉間に命中する。

 ゴンっ、と、鈍い音が響き、セレスティーヌは尻もちをついた。


「もういやだよ……、いたいのいやだよ……」


ここまで数回、同じような場面が繰り返されていたのだが、ついに少女の我慢は限界に達した。地面に座り込んだまま俯いたセレスティーヌは声を抑えつつも、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らした。


「まったく、どうしたもんか」


 すすり泣く妹に歩み寄りながら、フィオレンティーナは大きなため息をつく。礼儀作法や勉強はからっきし――やろうと思えばいくらでも出来ると当人は言っている――の第一王女ではあったが、術の腕前に関しては目を見張るものがあった。

 だというのに、妹の方はといえばこの体たらくで、フィオレンティーナは失意に満ちた目つきでセレスティーヌを見遣った。


「親父の言う通り、お前はトロアで鍛えてもらった方が良いかもしれないな。いくら女とはいえ甘えが過ぎる。これじゃ王家の、シャルパンティエ家の面汚しだ」


 とげのある言葉を吐き捨てたフィオレンティーナは、未だに座り込んだままの妹を尻目にさっさとその場を後にした。




 朝食の後、この日は予定が無いのを良い事に、フィオレンティーナはセレスティーヌを再び訓練場へと連れ出していた。数人の者が剣や槍の練習を行う傍ら、巻き藁の前に立つ姉妹。

 どことなく異様なその様子を兵たちが横目で見守る中、二人の特訓が始まる。


「ほら、やってみろ」

「……うん」


 セレスティーヌは両の手を突き出し、苦悶にも似た表情を浮かべて念じるが、僅かに輝きを帯びた手の平から放たれたのは、先ほどと同様の白煙と湿った破裂音だけ。


「ごめんなさい」


 がっくりと肩を落とす少女だったが、フィオレンティーナは慰めの言葉を掛けるわけでもなく、何の前触れもなく妹の頬を平手で打った。鋭く乾いた音がその場に響き、訓練をする他の者たちは思わず手を止めて二人の方を見遣る。

 けれども、フィオレンティーナは妹を睨んだまま、抑揚のない声色でこう告げる。


「叩かれたくなかったら、真面目にやれ」


 赤くなった頬を押さえたまま、セレスティーヌは引きつった表情のまま小さく頷いた。




 その後の特訓は正午を過ぎまで続いた。気付けば少女の両頬は真っ赤に腫れあがり、目尻からは幾筋もの涙の跡があった。それでも相変わらず、セレスティーヌの術は成功する気配が無かった。


「今日はここまでだ、こんな調子じゃ話にならん。明日は文字通り命懸けでやれ。それこそ、野の獣に襲われたようなつもりでな」


 構えを維持したままのセレスティーヌの頬からは涙の滴がしたたり落ちたが、それを気にも留めないかのように、フィオレンティーナは早足にその場を去った。




その日の晩も、フィオレンティーナは叔父の部屋で本を読んでいた。

けれども、話の内容よりも気になる事のあった彼女は、早々に本を閉じると、身を起こして叔父の方へと座り直した。


「叔父様」

「なんだ?」

「人間、死ぬ気になれば何でも出来ると思うんだけどさ、どうしたら本気にさせられるのかな?」


 投げ掛けられた疑問。それがセレスティーヌの術の出来についてだと分かっていたからなのか、ブリューノは眉間に皺を寄せた。


「フィーネ、言いたい事は分かるが、人には得手不得手がある。追い込めば出来るだとか、本気になっていないという考えはあまり関心出来ないな」

「でも姉妹だっていうのに、ここまで差があるのは酷いと思うよ。あたしが今のセレスの歳の時には、もっと上手く火術を扱えたんだ。あいつだってもっと真面目に、例えば本当に動物に襲われたりすれば……」


 語気を強めるフィオレンティーナ。だが、そんな彼女の態度に嫌悪感を見せるかのように、ブリューノはわざとらしくため息をついた。


「いい加減にするんだ。お前とセレスは姉妹だが、別の人間であって、同じ人間ではない。姉妹といえども同じ事が同じように出来るとは限らない。フィーネ、お前の言っている事は、お前に様々な事をお仕着せてくる王宮の者たちと同じである事を分かっているのか?」


 この叔父の言葉は、フィオレンティーナが妹セレスティーヌを想う気持ちを重々承知しての発言だったのだろう。

 しかし彼の説教じみた言葉こそが、この時の彼女にとっては王宮の者たちと同列の発言に思えた。


「なんだよ、叔父様まで! どうしてあたしがセレスを想ってやってる事を分かってくれないんだ!」


 失意と怒りに満ちた瞳の王女は煮えくり返った腹の中を叔父にぶつけると、持っていた本を乱暴に放り投げてその場を後にした。




 明くる日も姉妹は訓練場を訪れていた。もっともこの日の日中は二人とも予定があり、日が傾きかけた頃にようやく特訓を開始したのだったが。

 昨日と変わらぬセレスティーヌの術の出来に、フィオレンティーナは無数のため息をつき続けていた。だが今日の彼女は妹に手を上げる事も無く、ただただ湿った破裂音を聞きながら、炎を伴わない白煙を眺めているだけだった。

 そんな時、訓練場の片隅で片づけをしていた二人の若者の話が不意にフィオレンティーナの耳に入る。


「近頃さ、屋敷の裏の森に魔物化した鹿だか何だかが出没するらしいぜ」

「魔物化?」

「何でも、何かの間違いで感応石を飲み込んで、術を使えるようになった獣を魔物って呼ぶそうだ。で、その魔物化した獣ってのは、気性が荒くなって仲間の獣は皆殺しにするわ、人間を恐れずに襲い掛かって来るって話だ」

「おっかねえな……、まさか俺らが退治しに行く羽目になるとか言わねえだろうな?」


 獣の魔物化についてフィオレンティーナは知っていたが、まさかその魔物化した獣が自分たちのすぐ近くに居る事には驚きを感じた。

 それと同時に魔物となった鹿、その恐るべき存在を利用した、今思えば妙案どころか愚の骨頂とも言える計画が彼女の脳裏にひらめいた。


「セレス、これくらいにしよう」


 薄笑いを浮かべたフィオレンティーナはすくと立ち上がると、額に汗を浮かべた妹に声を掛けた。

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