第四話 叔父

「基本の火術すら扱えないようでは、このアルサーナの王女として恥ずかしいですよ。折角お勉強は優秀だというのに……」

「ごめんなさい」


 フィオレンティーナたち姉妹の叔父の、つまりはオリヴィエ公爵の屋敷の片隅にある稽古場に、少女のしょげた声が僅かに響く。

 そこは術だけでなく、剣や槍といった武術の訓練場なのか、簡素な屋根だけが据え付けられた家畜小屋のような、半屋外といった様相を呈していた。


「もう一度、やってみてください」


 歳の頃は四十前だろうか。指導役と思しき女性は、今にも泣きだしそうな少女に向かって声を掛けた。そんな二人のやり取りを、柵にもたれかかったフィオレンティーナは大きなあくびをしつつ眺めている。


「はっ!」


 少女は曇った表情ながらも両手を巻き藁に向かって突き出すと、精一杯の掛け声を上げた。


――ポンっ。


 けれどもそれで終わり。その場を見守る者や、術者である少女本人が望むような閃光や爆炎は一切現れなかった。


「……本日はここまでにしましょう」


 指南役の女性は深いため息の後に眼鏡の位置を直すと、少女に背を向けてその場を後にする。だが、薄緑色のワンピースに身を包んだ少女は、頬を伝う汗を拭う事もせずに、ただその場に立ち尽くしていた。


「そんなに難しい事か?」


 落ち込む少女に歩み寄りながら、フィオレンティーナは右手を高く掲げる。すると次の瞬間、複数の火球がその手の平から放たれ、稽古場に並ぶ五本の巻き藁へと、まるで意思を持った生き物のように飛び掛かった。

 そして火球は的へと命中し、あっという間にそれを焼き尽くす。


「難しいよ。そんな風に、姉さまみたいに出来ないよ」


 焼けた藁の焦げ臭いにおいが二人の鼻についたが、初夏の風はそれをあっという間に消し去った。


「術はイメージが大切だ。特に火術は怒りや興奮みたいに激しい感情を伴わせると上手くいくんだぞ。今はあの的を嫌いな奴らだと思って炎を放ったんだ」

「例えば誰を?」


 得意気に話すフィオレンティーナに、セレスティーヌは困り顔で言葉を返した。


「一番右は侍女のアンナ、あいつは食事の作法にうるさくてムカつく。その隣は数学教師のニコラ、あのジジイ、息は臭いし顔もキモいんだよ。で、左端は……」

「姉さま、嫌いな人多過ぎ」


 辟易とした様子で呟いた妹は姉の言葉を遮ると、ため息を漏らしつつ言葉を続けた。


「夏が終わって、王宮に帰ったら術の試験があるのは姉様も知ってるでしょ? もしその時上手く出来なかったら、来年からトロアの寄宿学校に預けるってお父様に言われたの」

「げっ、マジかよ……」


 今にも泣きだしそうなセレスティーヌと共に、フィオレンティーナの表情も引きつった。少女の言うトロアの学校とは、アルサーナ王国内で最も優秀な学校で、多くの高名な術士や戦士を輩出している一方、常軌を逸した勉強量と軍隊顔負けの過酷な訓練でその名を轟かせる学校でもあった。


「流石に冗談、っていうか脅しだと思うぞ? あの学校は普通の学校じゃない。お前やあたしみたいなお姫様が行くようなところじゃない」

「……本当?」


――本当だとも。


 顔を強張らせたままのフィオレンティーナは、喉まで出かかった言葉を吐きだす事が出来なかった。なにせ自分自身その素行の悪さで、そのトロアの学校に放り込まれそうになった過去があるのだから尚更だった。その時はその学校の同年齢の生徒と、しかも首席の成績を修めた者と一対一で術の試合を行い――これはフィオレンティーナの強引な提案によるもので――その勝負に勝つ事で能力を示し、寸での所で入学を回避したのだが。


「やっぱり学校に入れられちゃうよ」


 言葉を返さない姉の様子から自身の運命を悟ったセレスティーヌは、大きな蒼い瞳から大粒の涙をこぼし始めた。


「だ、大丈夫だよ……、多分……」


 そんな妹に、フィオレンティーナは消え入るような励ましの言葉を掛ける事しか出来なかった。




 その日の夜更け、フィオレンティーナは叔父の部屋のソファに寝転んで本を読んでいた。時折起き上がり、ローテーブルに置かれた焼き菓子を口に放り込んでは、再び身体を横たえて本の続きを読む。


「面白いか?」


 木で出来た年季の入った机に向かって、未だに仕事をする男は少女に問いかけた。


「うん、王宮じゃこんな本は読ませてもらえないから、馬鹿になるってさ」


 恋物語の綴られた、少し安っぽい表紙の本をゆっくり閉じた少女は顔を上げて、そう答えた。柔らかな表情と落ち着いた声色のフィオレンティーナの様子に、ブリューノは目元を細める。


「随分と厳しいんだな、陛下は。自分がトロア卒とはいえ、ぎりぎりの成績で、しかも目こぼししてもらってやっと卒業したと言うのに」


 ペンを置いたブリューノは、カップに手を伸ばしながら姪に言葉を掛けた。

 するとフィオレンティーナはおもむろにソファに座り直すと、顔つきに緊張、あるいは不安にも似たものを滲ませた。


「どうしたフィーネ?」

「とはいえ、親父はトロア出だよな。やっぱり王女にもそういう教育が必要なのかな?」


 その表情から何か感じ取ったのか、叔父はカップを手にしたまま姪に歩み寄る。


「どうした? 何かあったか?」


 母を除けば、このように彼女を心配する人間はブリューノ・オリヴィエただ一人だった。柔らかな革張りのソファ、姪の横に腰掛けた叔父はカップに一度口をつけた後、フィオレンティーナの蒼い瞳を覗き込む。

 すると娘は昼間の出来事、妹セレスティーヌとの会話を語り始めた。




「そうか、確かにセレスは術の出来が良いとは言えないからな」


 話を聞き終えたブリューノは小さく息を吐き、手にした飲み物を口に含むと、僅かに眉根を寄せた。


「でもセレスは王女だ、女だ。将来、軍人だとか政治家だとかにはならないのに、どうしてトロアなんかに入らなきゃいけない?」

「王位を継ぐ者に男子が居ないのであれば、お前かセレスが継ぐわけだが……」

「そんなの分かってる、次の王はあたしだ。だから、あたしがそういう事が出来ればいいわけだろ!」


 叔父の言葉を遮った娘の語気は強まる。


「だいたい、みんな二言目には王位だのなんだのって、あたしらは好きで王女に生まれた訳じゃない! 好き勝手言いやがって、自分たちが辛い目に遭うわけじゃないからって……」


 勢いよく立ち上がったフィオレンティーナは、その蒼い瞳を赤く染め上げんばかりに怒りを双眸にたぎらせる。それは自身の事よりも、妹の行く末を案じての感情の高ぶりだった。

 そこで、彼女の性格をよく理解していたブリューノは、鼻の頭を指で掻く仕草の後に穏やかな口調でこう返した。


「言いたい事はわかった。ならば、セレスがトロアに放り込まれないためにも、フィーネ、お前が術の稽古をしてやったらどうだ? 生まれを恨んでも何も変わらない、その境遇を自身の力で変える事が出来ると、お前は知っているだろ?」


 常に頭ごなしに叱責されてばかりのフィオレンティーナは、意外過ぎる言葉に面食らったのか、少々間の抜けた表情で叔父の顔を見つめていた。

 そして、時間にして数秒後、フィオレンティーナはぽかりと開けていた口を閉じ、何とも得意げに口角を上げた。


「わかった、王宮に帰るまでセレスを特訓してみるよ。 そうと決まったら明日は早起きだ。おやすみなさい、叔父様!」


 そう言うと、寝間着の裾を翻して、フィオレンティーナは叔父の部屋を飛び出していった。

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