17-1 二人のこれから
ティナがセルラト家に戻り、二日が経った。
両親や兄は忙しく過ごしていて落ち着いて話も出来ない。
ガーランド王国の介入により、魔法局は全体的に混乱しているそうだ。
新体制に向けて目まぐるしく動いている。
両親はティナが無事だったことを喜び、魔力が戻っていないことには落胆していたが
「落ち着いたら婚姻先を探そう。今はどの家も混乱しているが相手はすぐに見つかるだろう」と優しく声をかけた。
ガーランド王国が統治することになれば、貴族制度はどうなるのかわからない。だが、今のままであればティナはどこかの家に嫁ぐことになるのだろう。
セルラト家の令嬢としての幸せは、そこにあるのだから。
(けれど、私の幸せはそこにはない)
ティナの脳裏に浮かぶのは、レチア村での日々だ。
畑の水やりをして、マーサさんと料理を作って、クロードとお茶を飲む。そんな穏やかな日々を。
しかし、クロードはレチア村には戻らない。
ティナは目の前のティーセットを見つめた。
侍女が落ち込んでいるティナを気遣って、ティナの好きなものを用意してくれているのだ。
この家では、自分で何もしなくてもいい。
いや、家だけではない。
魔力がないティナは、今までのように魔法局に勤めることもできない。
きっと家のためにどこかに嫁ぐのが一番なのだろう。
クロードの家で過ごした穏やかな日々は、夢だったと思うのだ。
自由に恋愛も出来ないセルラト家の令嬢に、少しだけ恋心を教えてくれた優しい記憶なのだから。
いっそのこと、すぐに嫁ぐことができれば気持ちもすっきりするかもしれないのに。
この調子では、国が落ち着くまでは嫁ぎ先も見つからないだろう。
皆忙しく動いていくときに、自分だけ停滞することは苦しそうだ。
『僕はこの国で……僕のできることをしようかと思っている』
ふと、クロードの言葉が頭の中に響いた。
クロードは一連の事件から、これからを考えた。
国が変わっていくそのときに、国の悪だった部分を自分の出来る範囲で変えて行こうとしている。
「でも私には魔力がない……」
誰の耳にも入らない小さな弱音だ。
今の自分では、クロードの助けになれないことはよくわかっていた。
レチア村で料理を作るくらいの手伝いとは違う。クロードが見ている未来はもっと広いのだ
コツコツと何かが当たる音が聞こえて、音の方に目を向けると、窓際に小さな白い鳥が止まっている。
ティナが窓を開けると、鳥が手紙を咥えているのがわかる。
王都に到着してから、クロードとやり取りをしていた方法だ。ティナが医局を出てからは初めての手紙になる。
【明日王都を出る】
「…………」
ドランの薬屋は王都から二日程かかる地にあるのだという。そこにクロードも拠点を移すということらしい。
【イリエも国に帰る。最後に君に会いたがっていた】
ティナは返事を書き、鳥に差し出した。
♤
「まさかクロードがドランの薬屋を継ぐことになるなんてねえ」
医局内のクロードに貸し出された部屋の中。
デスクに座ってペンを走らせているクロードと、クロードの右肩と左肩を何度も往復している黒い鳥がいた。
「うっとうしい、やめろ」
「で、アイビーちゃんと結婚するの? 婿になるの?」
「ならん。会社の権利をもらうだけだ」
「なんで? 婿になってもよかったんじゃない。クロード・ドランとして、もう一度の人生! 五年の間、引き裂かれた女の子と悲願の恋成就!」
クロードは自分の肩を払うと、黒い鳥がバサバサと飛びはねる。
「初恋ではない」
「ふーん? 本当に妹としか思っていなかったわけ?」
「何度もそう言っているだろう。アイビーのことは家族と思ってはいる。今回も助けたい気持ちはある」
「でも、恋ではないと?」
クロードは紙を小さく折りたたむと、窓に向かった。窓辺に止まっていた白い鳥がクロードからそれを受け取ると空に飛び立っていく。
「どういうものが恋だと思う? 幸せを願うことかな? でもさ、そんなきれいなものだけじゃないと思うんだよね。たとえば、ずっと一緒にいたいとか、独占したいとか、そういうさ」
鳥から人間の姿に変わったイリエが疑問を投げかけた。
「恋などしたことがないからその気持ちはわからないな」
「へーえ? ティナちゃんに王都から出る前に最後に会いたいよーって切ないお手紙送ってなかった? それって恋じゃないの?」
細い目がにやにやとクロードを見ている。
「何も告げずに消えるわけにもいかないだろう。王都を出て、ドランの薬屋にいくことを報告しただけだ」
「俺、ティナちゃんに会いたいなんて言ったっけ?」
「……会いたいだろうと気を利かせてやったんだ」
「ふーん? クロードってそういう気が遣えたんだ? 何も告げずに消えそうな人がねえ?」
クロードはイリエの視線を無視して、カバンに荷物を詰めていく。
「ティナちゃんってこれからどうするんだろうね。魔力もないから、魔法局にも所属できないでしょ。普通に考えれば、どこかの貴族の家に嫁ぐのかな。ま、あくどい人間は大半あぶりだせたから、そんな変な男のところにはいかないと思うけどさ」
「そうだろうな」
「もうこれから貴族体制は廃れていくんじゃないかな?」
「何が言いたい」
「クロードとティナちゃんが結婚したっていいってことだよ」
「はあ?」
クロードは冷ややかな目線をイリエに向ける。
「馬鹿馬鹿しい。彼女はセルラト家の人間だぞ。貴族体制がこれから廃れていくといっても、しばらくは根強く残っていく」
「じゃあ、第七王子ってことにして、クロード・フォン・ガーランドになるのは?」
「なるわけがない」
「――ティナの幸せはなんだと考える!」
イリエが小さく叫んだ。数日前アルフォンスに叫んだクロードの台詞である。
「………………あのとき、聞いていたのか」
「空からね。それからこうも言っていたね。
——彼女のやりたいことを、一度でも聞いたのか?」
「…………」
「僕は彼女の幸せが何かなんてわからない。僕はそういうものにひどく疎い自信がある。女心はまったくわからん」
声音まで真似たイリエをクロードは睨む。
イリエの目は相変わらず線のように細く、瞳まで見えないが爛々と輝いている気がする。
「ティナちゃんにこれからどうするか聞いたの?
ティナちゃんもティナちゃんでさ。どうせ『クロードさんと一緒にいたいけど、私には魔力もなくて、役に立てないから』とか思ってるんだよ」
イリエがティナの声真似まで始めるのを見ながらクロードはため息をつく。
「すべてイリエの妄想だろ」
「どうかな? でもティナちゃんって俺と同じで自由人なところあると思うんだよねー」
「お前と一緒にするな」
「だから、気持ちがわかるんだよ。これからまた貴族令嬢に戻って……しかも仕事はないからさ。妻として家庭を支えるしかないわけ。それがティナちゃんの幸せじゃないってことは俺にもわかるよ」
「わからないだろう。嫁いだ先の男性と恋をして穏やかな生活を幸せに思うかもしれない。彼女は順応能力が高い。あんな田舎でも暮らせたんだからな」
「ふーん。じゃあ俺がガーランド王国に連れてってあげようかな」
イリエは口角を上げるのをやめて、クロードを見た。
クロードも言葉の意味を確かめるようにイリエを見た。
「ティナちゃんのこと、ガーランド王国に招待しようかな。ティナちゃん順応能力も高いからね。きっと楽しんでくれるよ」
「…………」
「クロードが気にしている身分問題も、俺はガーランド王国の王子だから全然問題ないしね」
「…………」
そのとき、部屋に白い鳥が入りこんできた。口先には手紙を咥えていて、クロードの手の甲に止まる。
「ねえねえなんて書いてあるの、ティナちゃんからの返事だよねそれ」
クロードはイリエに背を向けて封を切る。
「ふむふむ。私も最後にイリエさんに会いたいです、かあ」
「うるさい」
ティナからの手紙は、二人が王都を出る前にぜひセルラト家に来て欲しいということだった。お礼も兼ねて食事も用意すると。
「もちろん行きますって返事しよう」
「うるさい」
「……クロード。王都とドラン領は二日あれば行ける距離だけどさ。でも、そういう問題じゃないことはわかってるよね。家族のような気持ちで、ティナちゃんのこれからの幸せを遠くから祈るなら、まあそれでもいいけどさ」
イリエは部屋のデスクから紙を取り出すとさらさらとペンを走らせる。
「なにしてる」
「返事書いて、俺が直接持っていこうかと思って。あ、心配しなくてもクロードも行きますって書いておいたから」
そう言うとイリエは黒い鳥の姿に変わり、窓から飛びたっていった。
「…………くそ」
手の甲に止まっている白い鳥も、窓から飛び立ち、クロードは一人取り残された。
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