16-2 目を覚ませば、君が
クロードは約束通り、夜遅く部屋に現れた。
念のため、ともう一晩ティナは医局に泊まることになっていたのだ。
昼と同じく、クロードはティナのベッドの縁に腰かける。
いつかの夜中を思い出しながら、薬草茶のカップを受け取りティナは訊ねる。
「このお茶、王都にも持ってきていたのですか?」
「いや、アイビーにもらった。僕がいなくなった後も、アイビーが毎年同じものを植えていたらしい。ドラン家に生えていた」
薬草茶の味は、レチア村で飲んでいたものとまったく変わらない。
クロードの返答を飲み込むと、少しだけ苦く感じた。
「あの日、アイビー様とお話できたのですね」
「そうだ。大体のことはアイビーの話で検討がついたし、君が倒れたあとに様々なことが判明した……君もアルフォンスから大体のことを聞いたんだろう?」
二人はお互いが得たことを共有した。
王家が主導となっていた魔力譲渡の関わる一連の出来事。
幼いアルフォンスの小さな恋心から始まったこの事件。
そして、国の傲慢さを。
「クロードさんの魔力を奪ってしまって申し訳ございませんでした」
「……君のせいではない」
「それでも……」
「それを言うなら、魔力を奪う薬を作ったのは僕だ」
「……ご存知だったのですか」
「ああ。聞いた」
クロードの感情のない声で答えた。
出来ればクロードに知ってほしくないことだったが、既に誰かから聞いてしまったらしい。
「だからといって、僕は自分の研究を恥ずかしいとは思わない」
月の光に照らされた黄色の瞳はまっすぐにティナを見つめる。
「あの薬は人から毒や病気など有害物質を取り除くためのものとして作った。僕の研究の中でもっとも誇れるものだ。研究したことを後悔していない。それを悪用されたことは、許せないことだが」
「…………その通りですね」
「過去はどうしようもない。取り戻せもしない、僕の魔力も君の魔力も。これ以上、誰かから奪う気もない」
「そうですね。クロードさん、私が意識を失ったあとに起きたことをお聞かせいただけますか?」
「アズモンド王家やウェイト家をはじめ魔力譲渡に関わった者は捕らえられた。彼らの沙汰は今後、新統治者によって決められるだろう」
「……そうだったのですね」
アルフォンスの優しい笑みを思い出すと、泣きたい気持ちにはなる。
彼の裏に隠された激情を今まで気づけずにいたことへの後悔はどうしても残る。彼と同じ気持ちにはなれなかった。しかし一度知ってしまえば、このまま知らないふりもできなかった。
子供の頃からずっと一緒にいたはずなのに、何かできなかったのだろうか。
「君が自分を責める必要はない」
クロードの言葉にティナは眉を下げて微笑んだ。
「クロードさん。この国のこれからはどうなるのでしょうか」
ティナは窓の外を見つめた。
これからこの国はどう変わるのだろうか。医局の者も、セルラト家も今後について不安げな様子を見せたがティナの前では言葉にはしなかった。
「この国はガーランド王国の支配下に置かれる可能性が高いだろうな」
イリエと……それからクロードの国。
大国で隣国で、獣人が住まうことだということしかティナは知らない。
ティナだけでない。この国の者が知ろうとしなかった隣国。
「ガーランド王国は隣国であるアズモンド王国とどう付き合っていくか考えあぐねていたらしい。さほど軍事力も持たないほぼ鎖国状態の国だ。魔術が優秀で手出し出来ないと言うのは、アズモンド王国の単なる思い上がりで、ただ捨て置かれていただけだ。
しかし外交を結んでおかねば、いつか争いの種になる可能性もある。他の国に取り込まれる可能性だってある。きちんと外交を結ぼうと何度か面会の申し出も行ったが、拒絶されていた」
アズモンド王国は魔術で対抗できると、信じ込んでいた。
「ガーランド王国は平等な外交を結ぼうとしたが話に応じてもらえなかった。このまま関わらないでおくか、危険な国とみなして配下に置くか。それを何年もかけて調査していたらしい。イリエがこの国に来る前からな。総合的に判断して、危険な国だと思われ始めた。そこに今回の件が起きた」
「アズモンド家や、連なる貴族が自身のことしか考えていないことがわかったのですね」
アズモンド王国が本当に考えなくてはならなかったのは、国の未来や他国との関係だった。
小さな国の中での自分たちの地位に固執して、優秀な民を切り捨て能力を奪う。それでは国は衰退していくだけだ。
「魔法譲渡以外にも腐敗していることは多々ある。いずれダメになっていた。これからこの国は、ガーランド王国主導で変わっていくのだろう。国王は公正で、貴族制度もほとんど廃れ、優秀な者が国の中枢に携わっているらしいが……あのイリエが王子だぞ、どこまで信じていいのかはわからんな。まあ、今後次第だろう」
「……クロードさんも、隣国の王子だった、のですね」
「さあ。よくわからん」
クロードはざっくりと答えた。
「イリエはそう主張してる。ガーランド王国に勤めていた女が故郷であるレチア村に帰った。どうやらその女は国王と関係があり、身ごもっていた。しかし、それが僕である証拠はない」
「クロードさんがあの時、鳥の姿になったのは……」
「僕が本当にガーランド家に関わる人間かはわからない。だが、隣国に僕のルーツがあることは間違いないだろうな。変化できるといっても、僕にはあれが限界で長距離を飛ぶことはできない」
イリエと同じく黒い鳥の姿となったクロードの姿を思い浮かべる。
「どちらにせよ、僕は第七王子とやらになるつもりはない」
「……そうなのですか」
「僕が王家の者だという証拠はないらしいし、ガーランド王国に行ったことすらないんだ。故郷と言われても困る。第六王子までいるのだし、僕がいなくても特別問題ないだろう」
クロードはまったく興味なさそうに言った。
「クロードさんはこれからもこの国にいらっしゃるのですね」
「まあ、出て行ってもいいくらいだが……。この国がどう変わっていくのかは気になるな」
「イリエさんがこの国を治められるのですか?」
「まさか」
クロードが口角をあげて、珍しく楽し気な声を出した。
「あの男がそんなめんどくさいことをするわけないだろう。ある程度自由になれるから、この国の調査に立候補しただけだ。今回のことを手柄として数年ひきこもるんじゃないか?」
「ふふ、イリエさんの大きな仕事が終わったのですね」
「そうだ。僕はこの国で……僕のできることをしようかと思っている」
クロードの顔が真剣なものに変わり、ティナも彼に向き直る。
「僕はドランの薬屋を引き継ごうと思っているんだ」
「ドラン家に戻られるのですか」
「戻るとは違うな。ドランの名を名乗るつもりもない。僕は研究が好きだ。結果さえ出ればその先にあまり興味はなかった。その結果、誰かを救うことができたのは副産物に過ぎない。
しかし今回のように悪用されることもある。……僕は二度とそれは許したくない。そのためには僕も知らなくてはいけない、様々なことを」
研究を行い、自身の手を離れた先で悪用されていた。
それは田舎にいるままでは、気づけないでいたことだ。
「それから……ウイルズはどうしようもないクズだったが、彼が下位貴族や平民を重用していたことだけは評価できる。そのなかで目をつけられて魔力を奪われた者もいるが……ウイルズに救われた者が大勢いるのもまた事実なんだ」
ドランの薬屋の社員は、下位貴族や平民が大勢雇用されている。
彼らにとってウイルズが恩人なことは変わらない。
「ウイルズが薬草学に対して真面目だったのは僕も知っている。ウイルズが僕を拾った頃……あのウイルズに嘘はなかったと今でも思っている」
クロードは過去を思い出すように目を閉じた。
金と権力を手にして変わってしまったウイルズ。しかしクロードと出会った頃のウイルズは、純粋に薬草学が好きで、身分関係なく優秀なものを支えたいという思いがあったのだろう。
「イリエの話によると、ガーランド王国の第二王子がしばらくこの国を統治することになるだろうと言っていたな。そいつがどんな人間かもわからない。新しい王政府に悪用されないような研究と、今後も優秀なものを登用していきたい」
彼はこの三日のうちにやるべきことを見つけている。
(私は……どうしたいのだろうか。このさき、どうなりたいのだろうか)
「眠れそうか?」
「はい。クロードさんのお茶を飲んだら元気が出ます。でももう少しだけお話をしてもいいですか?」
「何か気になることがあるか?」
「そういうわけではないのですが……」
別れがたくなり、引き留めてしまう。
「明日には家に帰ることができる。安心しろ」
女心に疎いと自称するだけあるクロードは、ティナの寂しさの理由には気づかないようだ。
「……クロードさんはしばらく王都にいらっしゃいますか?」
「ああ。今は医局が部屋を借してくれている」
また明日以降も会おうと思えば会える。
すべての謎は解け、クロードはやるべきことに向かって進んでいく。
ティナと一緒にいる理由はもうなにひとつないのだ。
薬草茶を飲み切ってしまえば、もうクロードと気軽に会えない気がする。
ティナはなかなかカップに口をつけることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます