終章

16-1 目を覚ませば、君が


 靄がかかった視界が徐々に明るくなっていく。

 

「ん……」


 頬を撫でる風が吹く方を見れば、白いカーテンが波打っていて柔らかな光が差し込んでいる。

 

(ここはどこだろう)


 知らない部屋だ。白い壁に白いカーテン、どうやらベッドで寝ていたらしい。

 ベッド以外は小さなデスクが壁に沿って置いてあるだけのシンプルな部屋だ。

 寝転んだまま自分の手を確認してみると、白い包帯が巻かれている。


 知らない小さな部屋に一人きり。

 部屋の明るさから、今が夜ではないことしかわからない。


(…………)


 ティナはもう一度部屋を見渡した。

 やはり知らない部屋だったが、どこからか爽やかな香りがする。……この香りは知っている。

 香りに誘われて視線を向けた先には、扉がある。

 扉はティナの視線に反応するかのように、静かに開かれた。


 扉をあけて白衣を着た黒い髪の毛の男性が入ってくる。

 トレイを抱えていて、トレイの上にはカップが二つと小さな瓶。

 彼の黄色の瞳がティナを捉えて、足が止まった。


「…………」


 静かな沈黙が二人を包む。


 (黒髪に黄色い瞳……まるで黒猫みたい……)

 

 そのままティナは数秒ぼんやりしていたが、弾かれたように上体を起き上がらせた。


「…………!」

「起きたか」


 起き上がったティナに彼が近づいてくる。ティナの表情を観察するかのようにじっと見つめながら。

 

「私、眠ってしまっていましたか……!」

「……三日もな」

 

 ほんの少し。クロードが微笑んだ気がした。

 せっかく視界が明瞭になってきたというのに、ティナの視界は勝手に滲んでいく。


 一番会いたい人が、ここにいてくれた。


「無理して起き上がらなくていい」


 クロードはデスクにトレイを置くと、ベッドの縁に腰かける。

 ティナの顔をもう一度確認してから、こぼれる涙を長い指で掬った。


「君、僕のことがわかるな?」

「も、もちろんですよ……! クロードさんのことを忘れるわけがありません!」

「僕の薬の力は絶大なようだな」


 照れを隠すような物言いに気づいたティナの頬が緩む。

 そして、ティナはあの日のことを思い出す。夢のようにおぼろげだったものがくっきりと浮かび上がってくる。


「……アルフォンス様は、それからこの国はどうなったのでしょうか!?」

「焦らなくても、問題はない。すべて話すが、君は目覚めたばかりなんだ。一度身体を休ませたほうがいい」

「そ、そうですね……」

 

 ……すべて忘れていないと思う。けれど、薬の影響もあるのか頭は重く、ぼんやりとしている部分もある。


「君に関する大きな問題は、君が目を覚ますか、記憶がどうなっているか、だったが……差し障りなさそうだな」

「ええ! 私は元気ですし、記憶もきちんとあります!」

「それなら良かった」

 

 クロードは立ち上がると、デスクに向かう。


「飲むか?」

「はい」


 クロードが薬草茶にはちみつをたらすのを見つめる。自分のカップに三滴、ティナのカップにも一滴。

 この仕草も忘れていなくてよかった。ティナは懐かしい光景にほっとする。


 ……目を覚ました時に、クロードがいてくれてよかった。

 そう思ったのは何度目だろうか。


 初めてクロードの家で迎えた朝。

 穏やかな昼から、夜に移り変わる夕暮れ。

 悪夢から逃れるように目覚めた夜中。

 

 そして、今。すべてが真っ白になった柔らかい光のなかでも、ここにいてくれた。


「ほら」


 カップを手渡され、一口飲む。

 爽やかなミントの香りが鼻を通り、重い頭を冷ましてくれる。

 優しい甘さが胸をあたためて、指先に温度が戻ってくる。


「お茶を用意してくださっていたのですね」

「そろそろ目が覚めるかもしれないと思っていた」

「何杯目ですか?」

「二十杯くらいは飲んだかもしれないな」

「ふふ」


 クロードがお茶を用意して何度も部屋に来てくれた姿を想像すると、涙が喉のあたりからあがってくる感覚がする。

 喉が震えて、胸が苦しい。

 

「クロードさん、あんまり観察しないでください」

「体調はどうだ」

「少し頭が重いくらいで、大丈夫だと思います」

「そうか」


 種を測っていたときの研究者の観察とは、どこか異なる視線に思えるのは、ティナの勘違いだろうか。

 柔らかな表情がくすぐったくなり、お茶をもうひと口飲む。


「本当に問題なさそうだな。

 ここは魔法局の医局だ。……ああ、魔法譲渡に関わっていそうな人間は既に排除しているから心配しなくてもいい。このあと、君の健康状態を医局のものにも確認してもらおう。問題がなさそうであれば、事の顛末を説明する。では僕は――」


 クロードはお茶を飲み干し立ち上がり、ティナは思わずクロードの白衣を掴んだ。


「あの……どちらに向かわれますか?」

「医局の者に報告する。準備も必要だろう。君の家族も面会を希望するだろうしな」

「……あと、少しだけ。ここにいてくれませんか」


 クロードはティナを見下ろすと、ほんの数秒考えてから窓に向かった。

 何かを窓に向かって話すと、ベッドに戻り縁に座り直す。


「……いてくださるのですか」

「もう報告は済んだ。君がお茶を飲み終わるまではここにいよう」


 クロードはティナの方を向かないままぶっきらぼうに言った。黒い髪に隠れた耳が赤い。

 目を覚ましたときに側にいてくれるのは、クロードがいい。

 改めて気づいたこの気持ちの理由を、ティナはもうわかっていた。


 ・・



 それからティナの部屋は慌ただしかった。

 

 まずは医局の人間に健康状態を確認された。

 包帯などを取り換えてもらうと、薔薇の棘で傷ついた手足の傷や顔に出来た傷もなくなっていた。

 痣は少し残っているが、これもすぐに治るとのことだ。

 

 合わせて魔力測定も行ったが、魔力は戻っていなかった。

 しかし、ほんのわずかに魔力の気配はあるそうだ。

 今までの魔力がアルフォンスに移動しただけなので、これから自身の身体に生まれる可能性はあるかもしれないということだ。

 首の種は魔力を吸い取っている段階でなければ無害とみられており、種を取り除くことも可能らしい。

 どちらも今後、研究を続けていくということだ。


 それから家族が涙ながらに部屋に入ってきた。

 セルラト家にとっても王家の企みは晴天の霹靂だったのだが、娘を巻き込んでしまっていたことを悔やんでいた。


 医局やセルラト家は、クロードのことを魔法薬学の研究者として迎えているらしい。

 アルフォンスに飲まされた記憶を剥がす薬の解毒となるものを急いで調合したり、傷の手当てなども行ってくれたそうだ。


「正直最初は大変な不審者が来たと思いました……」


 医局の人間が苦笑しながら、ティナに語る。

 あの日、突然クロードが医局に入ってきた。ぐったりした女性を運んでいたから緊急事態だとは思ったが身元のわからない男だ。

 医局の者は戸惑いつつも明らかな不審者を追い出そうとしたが、


「人の命がかかっている!」とクロードの権幕に押されて何も言えなくなってしまったそうだ。

 実際、意識のない女性を抱えているのは事実であるし、腕の中にいるのがティナ・セルラトだということに気づいた者もいた。

 

「彼が勝手に道具を使って薬を調合し始めて驚いたんですよ。私たちもひとまず貴女の状態を確認したんですが、ただ眠っているだけのようで命の問題はなさそうでしたし、改めて彼を追い出そうとしたんですけどね……彼はまったく聞く耳を持たず。調合をやめませんでした」

「何を調合されていたのでしょうか」

「このままだと記憶がなくなる、と。貴女にとってそれは大切なものだと仰っていましてね。……その後、事情もわかり協力はさせてもらいましたが……」


 苦笑する医局の人間の話を聞いたティナは、クロードらしいと思ったし、クロードらしくないとも思った。

 正論で詰め寄るのは想像がつくが、ティナのために真剣に動いてくれていたことに驚いたのだ。

 

「貴女のことを大切に思っていらっしゃるのはよくわかりました。あのときの彼の必死な様子を見てしまえば、協力せざるを得ませんよ」

「……そう、でしたか」


 ティナはなんと返していいのかわからないほどに戸惑い、同時に胸は痛み続けた。

 

 クロードは夜に部屋に来ると言っていた。

 

 いますぐに彼に会いたいと思った。



 

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