3章
10-1 王都へ
三人が王都に向かうことが決定すると、イリエはすぐに飛び立って行った。
「俺は王都の情報を先回りして調べておくよ。二人の馬車はもう用意してるから! 三日もすれば、ここに馬車が来るから。それに乗って移動をして」
ということだ。
イリエは初めから二人を王都に連れていくつもりだったらしい。既に馬車を手配していた。安全も配慮して、護衛付きというのだから用意周到だ。
残された二人はひとまず王都へ出る準備をすることにしたのだ。馬車はいつ到着するかもわからない。
といってもティナの持ち物はマーサから譲り受けたワンピースくらいなもので、クロードも服を何着かと固形の傷薬を用意したくらいだった。
「……そうだ。少し待っていろ」
衣類をカバンに詰めていると、クロードは思いだしたようにどこかへ向かった。
数分と経たないうちに戻ってきたクロードの手には大きな麻袋があった。
「すまない。この存在をすっかり忘れていた」
クロードは麻袋に入ったものを、ティナに見せた。
——それは、ティナのドレスだった。転送された日に、身に着けていたものだ。
「君の着替えを済ませたあと、どうしようかと思ってそのまま忘れていた」
「ふふ、そうでしたね」
懐かしいひと月半前を思い出す。あの日クロードはティナの手当てをしようと、ローブに着替えさせてくれていたのだった。
「複雑ですから、脱がせるのも大変だったでしょう」
ティナが笑うと、クロードはきまずそうな表情になる。
仕方ないとはいえ裸を見られていたのだと思うと、ティナも気恥ずかしくなる。
「……え、えっと。ドレスは破棄することにします」
ティナは大急ぎで話を変えた。
「まあそうだな」
階段から落ちたドレスは引き裂かれているし、泥だらけなのだ。高価なものだが、この状態になってしまってはもう仕方ない。
「ドレス以外のものもあるぞ」
ヒールは脱げてしまったようで、片方しかない。王都に戻れば片方も見つかるかもしれないが……。
「荷物になるので、こちらも置いていきましょうか」
クロードはドレスが入っていた麻袋から更に小さな袋も取り出した。
「これは無事だった。高価なものだろう」
小さな袋からはアクセサリーが出てきた。パールの髪飾りとイヤリング。青い宝石のついたネックレス。アクセサリーは欠けることなく揃っていた。
「ありがとうございます」
青い宝石のネックレスはアルフォンスから贈られたものだ。
……罪が晴れたとしても、婚約は解消されることに変わりはない。これは返す必要があるだろうと、ティナは小さな袋をカバンの中に入れた。
「荷物はそれだけか?」
「はい。何も持たずにここに来ましたからね」
「それもそうだな」
身一つでここに転送された。そして、そのまま戻るだけだ。
・・
オレンジの光の中。
二人はこの家で最後の夜を迎えていた。きっと明日には馬車が来る。
ティナは夕食後に「クロードさんの淹れたお茶が飲みたいです」と言った。
「さらにわがままをいうと、お外で飲みたいです」
「……いいだろう」
畑の前に布を引く。田舎の夜は月と星で案外明るい。
いつものはちみつ入りの薬草茶をティナに受け取ると、一口含んだ。
「私、こうやって外で食べたり飲んだりする楽しさを知った気がします」
「お貴族様はできないか」
「ガーデンでお茶会をすることはありますが、こんな風に寝っ転がることはないでしょうね」
ティナはごろんと地面に寝転んだ。土はごつごつとしている。今はそれも切なかった。
「畑の方まで転がっていくなよ」
「いきませんよ……!」
「虫がついたらどうする」
「転がりませんよ」
むくれるティナを見るクロードの瞳は、想っていたよりずっと優しい。
ティナは夜空に目線をうつした。
「この家のオレンジ色の光が好きでした、あたたかくて」
「アプリコット鉱石のランプを使えばいい」
「家に戻ったら、ねだってみます」
「君は貴族なんだからな」
オレンジ色のランプは手に入る。ティナの部屋にこのオレンジを灯すことはできる。
だけど、そこはレチア村の外れにある、この小さな家ではないのだ。
そしてそこにはクロードもいない。
今も、何かを話してくれるわけではない。
会話が特別弾んだこともない。だけど、こうしてクロードの隣にいるとティナの心にはオレンジ色の光が穏やかに灯るのだ。
「王都に行ったら、まずはどうしましょうか」
「君はまず家に帰るだろう」
「家族はきっと心配していますね」
「種の研究もしてもらわなくてはいけない。魔法局だな」
「クロードさんはドラン家へ向かわれますか?」
「この騒ぎだと中に入れるかはわからんが……。アイビーとも話はしたい」
ドラン侯爵が本当に犯人なのかはわからない。これからきっとアイビーは大変なはずだ。
アイビーの側にいてあげて欲しい、と思う。
それはティナの本音だ。でも、今まで自分がいた場所に誰かがいることを考えると少し胸が痛んだ。
「しんみりしてしまいましたね」
「別に今日が最後なわけではない。大体王都まで一週間もかかるんだ」
「ふふ、そうでした」
「寒くないか」
「はい、寒くないです」
二人はしばらく月を見ていた。
・・
翌日。クロードの家から出発するときがやってきた。
ティナは自分に与えられた部屋を丁寧にぞうきんで拭き上げた。
生活魔法も使えないティナだが、今は掃除も好きになっていた。
「今までありがとうございました」
磨かれた部屋を見たティナの瞳に涙がにじむ。埃たっぷりでせき込んだ初日を思い出したのだ。
一階に下りて、ティナはロッキングチェアを見つめる。
いつもそこに座り、魔術書を真剣な表情で読むクロードを見るのが好きだった。
ティナは野菜を切り、鍋を暖炉にかけた。
この暖炉からすべては始まったのだ。
なぜ王都から一週間もかかるこの家に、なぜ面識のないクロードの家に転送されてしまったのかはわからない。この幸運にティナは感謝した。
「クロードさん、おはようございます」
ぼんやりとした表情のクロードがリビングに入ってきた。クロードが朝に弱いことも、一緒に住まなければわからなかったことだ。
たったひと月半ほど。
それなのに、ここにはティナが欲しかったものがある気がした。
「そろそろ馬車も来るか」
「はい! ……最後にお水やりをしてもいいですか」
「ああ」
荷物を持って小さな家を出ると、ティナは畑に向かった。
葉に水をやりながら、別れを告げる。
「植えるか? こないだ言ってた薬草の種」
振り向くと、クロードが麻袋を振って見せる。
「良いのですか?」
クロードはティナの手のひらを開くと、黒い小さな種を乗せた。
「ありがとうございます。それでは、植えていきます」
すぽ、すぽ、と指で穴をあけて、黒い種を入れていく。
この種が芽を出すのは三月後だと言っていた。
もちろん、ティナはもうここにはいない。
だけれど、この薬草が育つ頃。クロードが少しでも自分のことを思い出してくれたらいいな、と思わずにはいられなかった。
ティナは丁寧に土をかぶせると、優しく水を与えた。
「この種を君にもやろう」
「よろしいのですか、大切に育てます! ……この子たちの成長を見れないのは残念ですが、立派に育ちますように」
「王都からは遠いが、ここにはいつでも来てもいい。収穫時期にはこの騒動も落ち着いているだろう」
ぶっきらぼうに聞こえる声にティナは微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「そろそろ行くぞ」
クロードが荷物を持ちあげる。
ティナは最後に畑をしっかり目に焼き付けた。
……もうこの畑を見るのは最後だろう、と。
ティナの魔力は枯れているままだ。
アルフォンスとの婚約は解消され、魔法局での業務も難しいだろう。
であれば、セルラト家の長女として。
この種が芽を出す頃には、新しい婚約者が決まっているだろう。
ここに来る許可など、おりるわけはなかった。
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