7-1 ティナの悪夢


 夢を見ていた。懐かしい夢だ。

 

 柔らかな日差しのなか、丁寧に手入れされたガーデンを進んでいく。

 赤い薔薇の隣で、蜂蜜色の髪の毛がふわりと揺れる。


 十二歳のアルフォンスがやわらかく微笑んでいた。

 初めて出会ったとき、本物の王子様だとティナは思ったものだ。


 定期的に訪れる面会の日。今日は二人で城のガーデンを歩いている。


「今日は空が明るくなる前から部屋に缶詰だったんだ。疲れたよ」

「お疲れのようでしたら、もう休まれてはいかがですか? 先日贈り物もいただきましたし、十分お気遣い頂いています」

「ティナと一緒にいるほうが気持ちは休まるんだ」


 疲れなど感じさせないように、アルフォンスは微笑んだ。いつも彼は国王になるべく努力しているのをティナ知っている。


「ティナ、今日は魔法局の方まで散歩しようよ。僕たちはもうすぐ学園生だ。少し視察してみない?」


 アルフォンスはいたずらっこのような笑みを見せた。


 二人は並んで王城の庭園を抜けていく。広い庭の奥に学園と魔法局が並んでいるのだ。すれ違う学園生を見れば、近い未来が楽しみになってくる。ティナは期待に胸を膨らませた。


「そうだ、これをティナにあげたかったんだ」


 アルフォンスはポケットから小さな小箱を差し出した。


「わあ、とても可愛いです」


 爪ほどの大きさのラベンダー色の砂糖菓子だ。よく見れば花の形をしている繊細なお菓子だ。


「かわいいだろう。このお菓子をみたときに、まるでティナだと思ったんだ」


 アルフォンスはひとつをつまむと口に入れた。歩きながら食べるなんて本来ならはしたないと言われる行為だ。


「ふふ、僕こういう食べ歩きに興味があったんだ。秘密にしてくれる? ティナは興味ない?」

「実は……私も、あります」


 手のひらに転がる砂糖菓子をこっそり口に入れる。これくらいの小ささなら周りにとがめられることもないかもしれない。優しい甘みが口の中でほどけていく。


「おいしいです」

「よかった」


 甘くて、優しい思い出だ。

 この日が一番優しくて、希望を持っていた日の記憶だ。


 アルフォンスといればずっとこんな柔らかい日々を送れるのかもしれないと思っていたこともあった。けれど――。

 

 ――夢というのは急に場面転換するものだ。


 次の場面は、何人もの白衣の人間に取り囲まれた十三歳のティナだった。


 冷たい何もない部屋にティナは座り込んでいて、ずらりと並んだ大人が冷たい目を向けている。


「なぜ魔力が倍増しているの」

「おい。測定者がセルラト家から賄賂でももらっているんじゃないか」

「もしかして、魔力譲渡の禁忌を犯したんじゃ」

「そういえばセルラト家は魔道具を研究している家だものね」

「そういったものを開発していてもおかしくない」

「だって、そうでもしなければ……」

「もう婚約者は…………で決まりかけていたのに……!」


 今まで優しく接してくれていた大人たちの顔がみるみるうちに変わっていく。

 人間の顔から、白い仮面を貼り付けているように見える。

 白い画面の白衣の人間たちがティナを見ている。


 ティナが叫びそうになったところで


 ――また場面が転換して、ティナは講義室にひとりぼっちでいた。


「ティナ・セルラトがアルフォンス第一王子の婚約者に決まりました」


 ひとりぼっちのティナに講義室のあちこちから声が聞こえてくる。


「おかわいそうに。――――様が婚約者と決まっていたのに」

「不正を働いたんだわ」

「セルラト家は魔力譲渡の魔道具を作っているとか……」

「大人しそうな顔をして、腹の内では何を考えているかわからなくて怖いわ」

「……やめなさいよ、そんなことを言っていたらあなたも魔力を奪われるわよ」


 くすくす、くすくす。笑い声が大きくなっていく。

 他に何も聞こえないほどに、笑い声が。


 笑い声が反響し、耳が壊れてしまいそうだ。


 ――再度場面が転換して、ティナは走っていた。

 

 誰もいない暗い校舎をひとり、走り続けている。


 誰かに追われるように。笑い声に追われて、蔑んだ瞳に追われて、白い仮面に追われて。


 助けて、助けて……誰か。

 誰も私のことを見ないで。

 走って、走って、廊下の先に誰かがいた。


 ダークブルーの髪をひとつに束ねてピンと背筋を伸ばした少女だ。


「ティナ様、私と一緒にこれを調べていただけませんか」


 意志の強い瞳がティナを見ている。


「レジーナ……様」


 彼女は微笑まないが、その瞳に冷たさはない。

 鉄仮面と言われる彼女は表情を崩さないだけで、公正で真面目なことを知っている。


「解き方に悩んでいる方式があるので、ティナ様のご意見を伺いたいのですが」

「でも、私と一緒にいたら、あなたまで……」


「どちらにせよ私は上位貴族から疎まれていますから。今さら関係ありませんよ。むしろ私と一緒にいれば、あなたの品格が下がるのではないですか」


「そんな! 私こそ貴女に教えていただきたいことはたくさんあるの。家なんて関係ないわ」

「では私と同じですね」


 真面目なレジーナに向けて、ティナは微笑んだ。


 ほら、やっぱり。レジーナ様が私を陥れようとするはずなんてない。

 彼女の表情は変わらないけど、彼女はこうして私と一緒にいてくれたんだもの。


 安心したティナは、レジーナが微笑んでいるのを見た。


 口角が上がった唇から笑い声が漏れ始めた。


「ふふ、ふふふ」


 レジーナの笑い声が止まらない。

 

「ふふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふ」


 知らないレジーナの表情に、ティナは思わず後ずさる。だけれどすぐに背中が壁に到達し、ティナは追い詰められる形になった。


「ふふふふ」


 レジーナの笑いは止まらないまま、ティナの首元を指先でツツと撫でた。


「ティナ様。あなたの魔力、いただけませんか」


 レジーナの爪がティナの肌に食い込んでいく。


「あなたの、その場所、ください」


 レジーナの笑い声が止まらない。

 爪がどんどん食い込んでいき、血がとろりと垂れて――。


「はあっ、はあ……!」


 ――ティナは飛び起きた。


「はあ……はあっ、はあ」


 ティナは荒い息を吐く。全身汗がぐっしょりで、手が震えている。

 肩で息をしているのをなんとか鎮める。部屋は暗く、まだ真夜中のようだった。


「今のは、全部……夢だもの」

 

 自分を安心させるようにティナは言葉に出した。


「そうだ、夢だ」


 独り言に返事が返ってきた。


「え?」


 息を整えるのに必死だったティナはベッドのそばに人がいることに気づいていなかった。人がいることに驚き、飛び上がりそうになる。


「ク、クロードさん……!」


 暗闇の中に黄色の瞳が浮かんでいる。そこにいるのがクロードだと気づいたティナは、別の驚きで胸がバクバクと音を立てる。


 月明りに照らされたクロードはバツが悪そうな表情を浮かべる。


「すまない。君の部屋からうめき声というか……のたうち回るような音が聞こえたから、種に何かあったのかと思って」


「……こちらこそ心配をかけてすみません。悪夢を見てしまっただけなのです」


 ようやく平静を取り戻したティナは頭を下げた。


「ひどい汗だ。飲み物を持ってくる」

「大丈夫です、自分で取りに行きます。――まだ夜中ですよね。すみません、起こしてしまいましたね」


「いや僕も起きていた。迷惑をかけられたわけではない、謝るな。……少し待っていろ」


 クロードはすぐに部屋を出ていった。


 手の先が震えが収まっていることにティナは気づいた。

 

(夢から醒めた時にクロードさんがいて、よかった)



 




 

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