6-3 五年前の種
「……君、どいてくれるか」
距離が近いことに動揺を隠そうとしたのかクロードから、素っ気ない声が飛び出した。クロードは自分の右腕に乗っているはしごを棚に戻す。
「あ、ああ! そうですよね、すみません!」
ティナは弾かれたようにクロードの太ももから降りた。
「お怪我はありませんか? 立ち上がれますか?」
ティナが手を差し出したが、クロードはその手を取らずに立ち上がった。
「大丈夫だ。出るぞ、また虫が出ても困る」
「はい……!」
すぐに二人は倉庫から出て鍵を閉める。気まずくてここにはこれ以上留まっていられそうにない。
クロードは置いてあったバスケットに、残りの新聞を放り込むとさっさと歩き出した。
夕日は落ちていて、月の光が照らし始める時間に変わっている。
黙って森に向かうクロードの背中を、ティナは追いかけた。
森に入る直前でクロードは足をとめてくるりと振り返る。
「あまり僕から離れるなよ」
「え……?」
「違う、頬を染めるな。君は魔力がないんだ。森は気をつけろということだ」
「……ありがとうございます」
ティナが自分の隣に並ぶのを確認してから、クロードはまた歩みを進め始めた。
いつもより歩幅が狭く、ゆっくりと足を進めてくれていることにティナは気づく。
「ありがとうございます」
もう一度言ったお礼は、確実にクロードに届いているはずだ。クロードはそれには反応せず、何も言わないまま森を進んでいく。
ティナは頬を染めるなと言われたことを思い出して、頬を触ってみた。ひんやりとした夜の空気のなかで、頬はわずかに熱を持っている。
このまま無言で歩いていると、どんどん落ち着かない気持ちになりそうで、ティナは口を開いた。
「今日は外でパンを食べてみたんです。すごく気持ちよかったです。それで、お昼寝までしてしまいました」
「気持ちよさそうに寝ていたな、よだれをたらして」
「家に戻りましたらすぐに洗います、申し訳ありません」
「なぜ謝る必要がある。誰も咎めない」
「そうです、ね。……すみません」
クロードは前を向いて歩いたままで表情は読めない。だけど彼が本当に気にしていないことはよくわかる。
お腹を鳴らしてしまっても、うっかり眠ってしまっても。叱られることもない。
ただこうして迎えにきてくれるだけだ。
「僕は別に君に謝ってほしくはない。……その、自分でも言葉が悪いのはわかっているんだが」
ぽつりと吐き出された言葉にティナは目を丸くしてから、思い当たった。
「もしかして先日イリエさんがおっしゃったこと、気にされていますか?」
「……違う」
返事の間からして、きっとそうだ。『クロードと住んでいて息が詰まらないか』とイリエが言ったことを気にしているのだ。
「クロード様といると……すごく気持ちが楽ですよ。息が詰まったことなどありません。すみません、私がこうして何度も謝ってしまうのがよくないのですよね。どうしても癖ですみません……ってまた謝ってしまいました」
妃教育では細かい部分を常に見られた。
至らなくて申し訳ございません。お時間をいただいているのに成果が出なくても申し訳ありません。
この四年間、ティナは何度そんな風に謝罪をし続けたのだろうか。
クロードはたしかにぶっきらぼうで、優しい言葉をかけてくれるタイプではない。
初めての生活に困るティナに対して怒ったりしたことはない。呆れた顔を見せても、最後までやらせてくれる。
ティナはそれが嬉しかった。
「堅苦しいのは僕も嫌いだ。謝る必要はない」
「気をつけます」
「だから……そういうことだ」
「謝らないようにします」
「そうじゃなくて」
「と、言いますと」
「僕にも『様』をつける必要はないということだ」
少し苛立ったようにクロードが言うから、ティナは笑ってしまいそうになった。
イリエのことをやっぱり気にしていたらしい。
「私、転送されたのがクロードさんのもとでよかったです」
「僕なら、種を解明できるからな」
「ふふ」
彼が照れ隠しのために言ったことに気づいて、今度は笑ってしまった。
(本当にクロードさんのもとに転送されて、よかった)
「私、ここでの生活はとても楽しいです」
「変わっている。こんな田舎の何が楽しいんだ。君は妃になる人間だったんだぞ」
きらびやかな世界で、華やかなものを身につけて、誰もが憧れる立場。でも本当にそれは求めているものだったのだろうか。
「私には荷が重いお役目だったかもしれません。
魔術は好きなので、魔法局での業務は楽しかったです。しかし人付き合いも夜会も苦手でした。人が集まる場所は得意ではないのです。それに私、王都よりもレチア村の方が好きかもしれません」
「自分にそう言い聞かせてるんじゃないか?」
「ち、ちがいます! 家族に会えないことは心残りです。だけどそれさえなければ、ここでずっと暮らしたいくらいです」
自分で発した言葉に驚いてティナは口を覆った。
(ここでずっと暮らしたいなんて、迷惑じゃないかしら)
ティナが立ち止まるから、クロードも立ち止まってティナを見つめる。
「君は冤罪を晴らしたら、王都に帰れる」
黄色の目が暗闇の中で光ってみえる。
「君には王都に、待つ家族がいるんだろう?」
それだけ言うとクロードはまた歩み始めた。なぜか空気が重くなって、少し息がしづらい。
(そう、この同居は期間限定。クロードさんは私が冤罪だと信じてくれている)
冤罪は晴らしたい。彼の種の謎も解明したい。
……だけど、晴れて罪が解かれたら。どうなるのだろうか。ティナは考えた。
(王都に戻ることになる。魔力が戻れば、魔法局に戻れるのかしら)
ティナは隣に歩くクロードを見つめてみたが、やっぱり彼が何を考えているかはわからない。
クロードとの未来を信じてしまいたくなって、ティナは首を振る。
王都に帰れば、きっと誰かとの結婚が待っている。
騒ぎを起こしたのだから妃にはもうなれないだろう。
だけど侯爵令嬢として、どこかに嫁がなくてはならない。
(クロードさんの魔力も戻れば、一緒に王都に帰れるのかしら)
問題を解決したい。
だけど、問題解決の先に来るのは、ここでの暮らしとの別れだ。
森を抜ければ、オレンジ色の光が揺れるクロードの小さな家が見える。
そのオレンジがやけに切なかった。
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