6-2 五年前の種
マーサの倉庫の隣にある木陰で、ティナは新聞を読んでいた。
五年前の記事を中心に読んでいる。――クロードにまつわる記事がないか。そんなことを考えながら。
昨日、五年前の種を植えこまれた人間がクロードだということは教えてもらった。
あの痣は、過去に皮膚をえぐったときに出来たものなのだろう。
彼は五年前の種の事実を伝えるだけ伝えて、それ以上は語りたがらずに部屋に戻ってしまったのだった。
「クロード様と私の共通点は、魔法局に所属していたことかしら。……それから貴族」
魔法局に所属していた、というのは貴族であることを表す。
いくら魔力が強くとも貴族ではなければ学園に通うこともできないし、魔法局に所属することもできない。
「つまりクロード様は五年前に種に魔力を奪われて、魔法局を去ったのね」
以前ローブの紋章について訊ねたときに、クロードは五年前に魔法局にいたと言っていた。
種に魔力を奪われたことがきっかけで魔法局を去ったのは間違いないだろう。
「だけどどうしてここにいらっしゃるのかしら」
ティナは新聞に目を通すのも忘れて思考をめぐらせた。
魔力が少なくなり業務に支障が出るのであれば、魔法局での仕事が出来ないことはわかる。
しかし貴族は全員魔法局に所属するわけではない。魔力が少ないものや魔術が苦手なものはいるし、別の仕事に就いたり自身の領地の運営を中心に行う者だっている。
ティナも婚約破棄後は、魔法局をやめて自分の家で両親の手伝いをしようと思っていたのだ。魔力が下がり、魔法局をやめざるを得なくても、ここで一人で住む理由にはならない。
「なにか私のように王都から追放されてしまう事件があったのかしら」
そう思って今五年前の新聞を読んでいる。五年前のティナはまだ十二歳で学園生でもなかった。自分の記憶を紐解くよりも、新聞に残る事件を探した方が良いだろう。
クロードに何か王都を離れないといけない事情があったのならば……。今回の事件を紐解く共通点が見つかるのではないだろうか。
しかし、それをクロードに聞くことは憚られる。
昨日すぐに部屋に戻ってしまったのは触れてほしくないことに思えた。
それにもし重要な共通点があれば共有してくれるはずだ。何も教えてくれないのであれば、彼は共通点を見出してはいない。
だけど小さな手かがりでも見つかるかもしれない。そう思ったティナはこうして新聞を読み続けている。
イリエは情報がなかなか入らないようで、あれからここには来ていない。やるべきことは限られていて小さな手がかりを探し続けるしかない。
(クロード様に何があったのかはわからないけれど、追放された悲しみはわかるわ)
突然すべてを失ってしまって、これからの道がなくなる。
ティナはすぐにクロードに拾ってもらえたけれど、転送された先がまったく別の場所だったならば……転送されずに高くて暗い塔に一人幽閉されていたら……それを考えるだけでぞっとする。
彼は大変な状況を経て、今の生活にたどり着いたのかもしれない。そう思うと、とても気軽に聞くことはできなかった。
しばらく新聞を読み続けた後、ティナは休憩しようとバスケットを開いた。
今日はマーサが一日出かけているということで、ご飯作り講座はおやすみ。マーサの手作りパンをいくつかわけてもらっていた。
中にチーズが練りこまれたふんわりとした触感のパンをかじる。風は今日も心地いい。
「こんな生活があると思っていなかった」
外で食事をするのは、幼少期にピクニックに出かけたとき以来だろうか。涼しい風が頬を撫でる。
(私はここにいるほうが気持ちは楽でいられる、だけどクロード様はどうなんだろう)
魔法局に所属することは、貴族でも憧れだ。
特に男性の魔術師は、魔法局に所属することは世間的評価に直結する。
それが突然絶たれたのだ。
追放されたときのクロードの苦しみははかりしれない。
今、彼はどのような気持ちで毎日を暮らしているのだろう。
種について調べているのは、また王都や魔法局に戻りたいからなのだろうか。
種について明らかになれば、クロードはどこにいくのだろうか。そんなことを考えながらティナはパンをかじった。
・・
「おい」
ティナは揺さぶられる感覚で目を覚ました。黄色の瞳が自分を覗き込んでいる。
「わ、眠ってしまっていましたか」
「そうだ。見てみろ、もう夜が来る」
クロードの言葉にティナが回りを見渡してみれば、空は赤と紫のグラデーションになっていた。
午後の気持ちよさに目を閉じているうちに眠ってしまっていたらしい。
「夜の森は獣も出る。君は魔力もないんだ」
クロードはティナの読みかけの新聞を揃えながら言った。
「すみません。心配してくださったのですね」
「心配などしていない」
そう言いながら耳が夕焼けのように茜色に染まっているのを見つけてティナの頬は緩んだ。
「ここまでは読んだので、倉庫に片付けてきます」
「残り数枚はどうする」
「そちらは家に持って帰ることにします」
ティナは束になった新聞を持って倉庫に向かおうとすると
「倉庫には明かりがない」
言葉と同時にクロードの指先に小さく炎が灯る。どうやら倉庫までついてきてくれるらしい。
言葉通り倉庫は真っ暗で、明かりがなければ何も見えなかった。クロードの指先に灯る明るさを頼りに、ティナははしごを登っていく。
「魔力がまったくないと不便なものだな」
「すみません。暗くて、もう少し近くにきていただけませんか」
クロードから離れてはしごを登ると、棚は暗くほとんど何も見えなかった。
ティナが頼めば「僕がやった方が早かったな」とぶつぶつ言いながらも、クロードがはしごの近くまでやってきた。手を伸ばして明かりを近づければ、棚が見えやすくなった。
「ありがとうございます。――よし」
元の場所にティナが新聞を差し込んだ時だった。
「うわっ」
倉庫にいた蜘蛛がクロードの足を這った。驚いたクロードは蜘蛛を振り払おうとして、ティナのはしごを思い切り払ってしまった。
「きゃっ」
はしごが倒れれば、ティナも落ちてくるわけで。
ティナはクロードめがけて落下した。
「……いた……くない」
衝撃がやってくると思ってぎゅっと目を瞑ったティナだったが痛みは襲ってこなかった。クロードが灯していた明かりは消え、倉庫は暗闇に戻っていて状況が掴めない。
「それは僕を下敷きにしているからな」
ティナの下からくぐもった声が聞こえてきた。クロードが同時に指先に火を灯せば、視界が明るくなる。
「す、すみません……!」
ティナはクロードの太ももに座っていた。それも彼と向かい合うように。
崩れたはしごからティナを守るために、クロードの右腕はティナの頭上にあり、まるで抱きしめられているような体勢にティナの心臓が飛び上がった。
「まあ今のは僕が悪かった。ところで、そのあたりに蜘蛛はいないだろうな」
「蜘蛛ですか……?」
クロードが床に向かって明かりを向ける。ティナが確認しても虫のようなものは見つけられなかった。
「大丈夫だと思いますけど」
「そうか」
蜘蛛がいないことに安堵したクロードとまわりを見渡すティナは、至近距離で目があった。
胴体が密着しているわけではない。だけど顔と顔は頭一つ分ほどの距離しかないし、クロードの太ももの上にティナのお尻が乗っている。
クロードの指先に灯る炎が、ティナの顔を照らしている。ティナのラベンダーの瞳の中にクロードがいて、クロードの黄色の瞳の中にティナがいた。ティナのさらりとした銀髪とクロードのふんわりとした黒髪は同じ石鹸の香りがする。
炎のせいか、この距離のせいなのか、お互いの頬は赤く染まる。こんなにも近くに相手を感じたのは初めてだった。
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