3-1 情報屋の考える容疑者


 ♧


「ゲホッ、おは……ゴホゴホ……ようござい……コホッ……すみまぜ……」


 翌日、朝一番の挨拶。むせにむせたティナをクロードは怪訝な目で見下ろした。


「風邪でも引いたのか。うつすなよ」

「コホッコホコホ……ずび……」

「……嫌な予感がするな」


 盛大にむせているティナを放置して、クロードは二階にあがった。

 足早にティナに与えた部屋に入り――


「ゴホゴホ……! ゲホッ……!」

 

 すぐに理解した。

 

 一階に戻ったクロードはむせながら棚に向かい、一つの瓶をティナに渡して、自分も同じものを飲んだ。さすがクロードの回復薬は効き目が早い。せき込みはすぐにおさまった。


「はあ……」

「……なおりました……。ありがとうございます」

「君、魔力がないだけでなく、生活能力もゼロだな」


 ティナを椅子に座らせて、自分もロッキングチェアに座るとクロードは腕を組んでティナを睨む。


「あの部屋はなんだ」

「すみません。何かしてしまったのでしょうか……」

「いや、何もしてないことが問題だ。あの部屋は何年も使っていなかった部屋だ。あの部屋でよく一晩を過ごしたな!? すごい埃だったじゃないか」


 ティナに与えた部屋は数年空き部屋だった。数年掃除もしていない部屋だ。昨日クロードは空室にベッドなど必要な物を運び込むだけ運び込んで、あとはティナに任せていた。人の世話を焼いたことがないクロードは気の回し方など知らない。

 

「あれは埃だったのですか。やけに煙いな、とは思っていました」

「気持ち悪くなかったのか?」

「これが普通なのかと」

「君、庶民を見下しているのか?」

「ち、違います! 失礼なことを言っていたなら申し訳ありません……本当に知らなくて……」


 慌てて謝るティナを見て、悪気がないことはわかったクロードはため息をついた。

 生まれながらにしてのお貴族様はやってもらうのが当たり前で、何も知らないのか。

 清潔で整えられた部屋が当たり前で、それ以外を知らないのだ。

 

 少なくとも彼女は魔法局で業務もしていて、複雑な魔術を組み込んでいたはずなのだが。それも国の防衛魔術など、魔法局の中でも重要な部門だ。

 魔道具で便利な国だというのに、お貴族様は一般生活も十分に送れないらしい。


「幽閉された方が快適に過ごせるのではないか?」

「本当に返す言葉もありません……でも、やる気はあります! 慣れればうまく出来るはずですから! 勉強します!」

「なんだそのやる気は……まあ僕に迷惑をかけないならいいけど」


 クロードはため息を付いてから昨日マーサにもらったパンを皿に乗せると、ティナに渡した。


「僕は薬を調合するのもうまいし、お茶を淹れるのもうまい。でも料理は出来ないからな」

「パン、ありがとうございます」


 パンを受け取ったティナは、思いついたように提案する。


「それなら、私が料理を作るというのはどうでしょうか?」


「料理の経験は?」


「ありません。でも魔術みたいなものかな、と思うのです。式に当てはめるようなものですよね。工程が書かれている本があるとも聞きました」

 

「心配しかないな」


「すみません。何かお力になれればと思ったのですが……」


 ティナは肩を落とす。どうやら居候としての負い目があるらしい。


「料理本なら本棚のどこかにはある。ただし実践するときは僕の立ち合いのもと行うように」

「立ち会っていただくとなると、お時間をいただきますし……ご迷惑をおかけしませんか?」

「既にすべてが迷惑だが、下手に料理をして家を燃やされても困る。ところで本を本棚から取り出すことくらいできるだろうな」


 本棚を見やりながらクロードはもう一度ため息をついたのだった。


・・

  

 朝食を終えるとクロードはざざっと机をかき分けて、量りなどを置いていく。


「何か調合されるのですか?」

「僕の収入源は調合薬だからな」

「お手伝いします。これは私、得意ですよ。魔力はないので本当に手伝いになりますが」


 調合薬は最後に魔力を込めて完成となる。魔力がないティナには最後まで作れない。


「じゃあこれ量って。分量はここに書いてある通りに」

「わかりました!」


 言われた通りにこなしていくティナを見てクロードは少しだけ感心した。さすが現役の学園生で魔法局の人間だ。手つきも鮮やかで、正確に丁寧に量っていく。


「ふむ。得意というのは本当みたいだな」

「お役に立ちそうですか?」

「迷惑料くらいにはなるだろう」


 調合薬が完成すれば、クロードは家の隣にある畑にティナを連れ出した。


「ここで野菜や必要な薬草を育てている。あの森にもなかなか良い薬草があるから、それは改めて案内しよう」

「ありがとうございます! 私こうして生えている薬草を見るのは初めてです」

「魔法薬専攻でないならそうかもしれないな。基本的に魔法局にあるものを育てるのは下々の役目だ」


 ティナは土をふにふにと指で押していて、その様子を見たクロードは眉を寄せた。


「今は目に見えるものが新鮮にうつるかもしれないけど、君はここでの生活など難しいんじゃないか」


 お嬢様のおままごとのような仕草に少し嫌味を言いたくなった。


「今は楽しいですけど……そのうち嫌になるんでしょうか」

「そんなもんだろ、貴族は。今の君は生活魔法を使えないんだから不便なことばかりだ」

「そうしたらその時に考えてみます。今は楽しみます」


 ティナは嫌味に気づかなかったのか土を掘っている。捉えどころのない少女だが、口角は上がっていて楽しそうだ。土いじりが嫌いではないらしい。ひとまずここでの生活に慣れようとしているのかもしれないとクロードは思った。

 

「あ、きれいな虫です」

「待て」


 オレンジと緑が混じった毛虫をつつこうとしたティナの腕をクロードは掴んだ。


「これは毒がある。なんでも触らないように」

「そうだったのですね。ではこの蝶は?」


 薬草に止まった黄色の蝶をじっと見てティナは訊ねた。


「その蝶は問題ない」

「虫をこんな近くで見るなんて初めてです」

「君、虫が平気なのか」

「ええ。王都では見かけなかったので楽しいです」

「君には畑の土いじりを担当してもらうか」


 クロードはティナに水やりの方法などを教えると「虫に触ってもいいが、家の中には入れないように」と忠告した。


 クロードは虫が大の苦手だった。畑仕事をしてくれそうな同居人が出来たことにこっそり喜びながら家の中に戻っていった。


・・


 昼食後、クロードは薬草茶を淹れて、ティナの前に置いた。

 クロードは机の上にある瓶の中身をスプーンですくうと、自分のカップにとろりと垂らす。


「はちみつですか?」

「いるか?」

「はい。実は甘いものが好きなのです」

「僕もだ」


 クロードはスプーンを三回カップに垂らしてから、ティナにも瓶を渡す。

 

 二人は薬草茶に口をつけて一息ついた。部屋には静かな空気が流れる。

 ティナがこの家に来てから数日。ずっと事件や生活を送るために必要なことを話していたが、それが一段落つけば何を話していいのかはわからない。

 

 人が用もなく家にいてお茶を飲んでいる。クロードにとっては落ち着かないことだ。

 ティナもちらりとクロードを見つつ、ただ静かにお茶を飲んだ。

 しばらくの沈黙が続いだ後にティナが口を開く。


「動機から考える、と仰っていましたがどこから考えればよいのでしょうか」


 やはり話す内容は事件のことしかないらしい。

 

「動機から考えても結局すべては推測にしかならない。僕と君が王都に出向くわけにもいかない」

「それはそうですね」

「あいつに頼むのは癪だが……情報屋がいる。そろそろあいつがうちに来る頃だ」


 それで会話は終了だった。


(誰かが常に家にいるというのはやりにくいな)


 クロードはさっさとお茶を飲み終えて自室で魔術書を読むことにした。本当はリビングにあるお気に入りのロッキングチェアに座りたかったが、居心地の悪さと天秤にかけて自室を選んだ。


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