1-2 冤罪令嬢の召喚
ティナが目覚めたのはそれから二日後。
眩しい日差しに目を覚ますと、むすりとした顔がこちらを見ていた。
(黒髪に黄色い瞳……まるで黒猫みたい……)
ティナは目の前に現れた顔に数秒ぼんやりしていたが、自分がどこにいるのか気づいて、弾かれたように上体を起き上がらせた。
「起きたか」
「私、眠ってしまっていましたか……!」
「二日もな」
ティナは慌ててベッドから這い出るも、足がもつれてその場に転んでしまった。
「君、歩けないんじゃないか」
「……そうかもしれません」
「これを飲め」
緑色の液体をクロードは差し出した。どっぷりと注がれたそれは、人間が飲むものとは思えない異臭がする。
ティナは覚悟を決めて一口飲むと、思ったよりは悪くなかった。ミントがきつく、鼻がツンとするが飲めない味ではない。
「これで歩けるか?」
「はい」
クロードの言葉に従って起き上がってみれば、しっかりとその場に立つことができた。
「君の身体からは魔力を一切感じない。突然すべての魔力を失ったから、身体のバランスを失ったんじゃないか?」
「すべての魔力が……」
茫然と呟いたティナの顔色を気にすることなく、クロードは頷いた。
「……本当に全部なくなってしまったんですね」
ティナは寂しげな表情を浮かべたのち、クロードに頭を下げた。
「助けていただき、本当にありがとうございました。……お礼も出来ず申し訳ありません。お世話になりました」
深々と頭を下げてどこか焦った様子のティナに、クロードは眉を寄せながら訊ねる。
「どこに行くつもりだ?」
「王都に戻ります」
「捕まりに行くのか?」
さらりとした声音にティナは顔を上げた。
「私のこと、ご存知だったのですか」
「調べた」
「そうでしたか……。本当にご迷惑をかけて申し訳ありません。すぐに出ていき――」
「国の人間もここまで君が転送されたと思わないだろう。
――王都に戻る必要があるか? 貴族としてのプライドを捨てれば平民として生きることはできる」
ティナは小さく首を振る。
「罪人が逃げたとなれば、私の代わりに家族が捕らえられるかもしれません」
「でも君、ちゃんと捕まっているみたいだけど?」
あまり興味なさそうなクロードの言葉に、ティナは目を丸くした。
「どういうことでしょうか」
「とある夜会で、魔力目的の殺人――」
「ま、まさか! ベレニス様は……」
「いや? 出血量は多かったが、傷自体は深くない。軽傷だ。魔力の核も傷ついてはいない」
クロードの答えにティナは胸をなでおろした。会話の腰を折られてクロードは怪訝な顔に変わったが。
「とにかく魔力目的の殺人未遂があった」
魔力の核と呼ばれるものは首の中にあり、宝石のような核から全身に魔力が循環している。ベレニスのケガは首元で、彼女の証言も合わせて、ティナはベレニスの魔力を狙ったのだと推測されていた。
「殺人未遂というだけで大きな事件なのに、なんと犯人は未来の王妃、王子の婚約者だった。もちろん婚約は解消され、君は終身刑として塔に幽閉されている。……表向きには、な」
「私が消えたことが世間には隠されているということですか」
「そうだ。突然消えたなど言われても、民は納得しない。王家の失態になるから君が消えたことは伏せられてるんだろうな」
「それは……そうですね」
「――で、王都に戻るのか? やってもない罪のために?」
クロードの言葉にティナは息を呑んだ。
今クロードは「やってもない罪のために」と言った。あの場のただひとりも思わなかったことを。
「それから君の家族も無事だ。罪には問われていない」
「よ、よかった……」
ティナの表情が和らぎ、年相応の表情に変わる。
「すべて情報屋から聞いたから確かだ。
それで、どうする。やってもいない罪のために、のこのこと王都に帰って一生幽閉されるのか?」
「……なぜ貴方は私がやっていないと思われたのですか?」
「なんだ。君がやったのか?」
「そんなわけ……! ……すみません。ですが、あの時何かがあって、ベレニス様がケガを負ったのは事実です」
「無意識に自分がやった可能性もあると?」
率直なクロードの問いに、ティナは目を伏せた。肯定も否定も出来ない問いだったからだ。
あの時、何が起きてベレニスが怪我を負ったのか。目の前にいたティナも説明はできないのだから。
「君が事件の犯人か、そうでないのか、それはどうでもいい」
クロードはティナの前に立つと、彼女の首筋に手を伸ばす。ひやりとした冷たい手が右耳の後ろ下を撫でて、くすぐったさにティナは少し身をよじる。
「――君の首には種がある」
「種、ですか」
「便宜上〝種〟と僕が呼んでいるだけで、別に名称があるわけではないがな」
クロードはティナの手を取ると、彼女の首に手を添わせる。ティナの手は皮膚を滑り、固いものに行き当たった。
「わかるか? ここにゴリっとした石のようなものがある」
「……これは」
「この部分に胡桃ほどの大きさの黒いものが埋まっている。念のために聞くが、これは君の身体に元々あったものではないな?」
「はい」
返事を聞かずとも、ティナの動揺の表情が答えだった。
「これは魔力を奪う種だ。僕はその種に興味がある。
――君、ここに住むか?」
「えっ……?」
突然の提案にティナは驚いた。先日の彼の言動からして、いますぐ出ていけと言われると思っていたからだ。
「君は行く宛がない。僕はその種を調べたい。シンプルな話だが?」
「しかし……私は世間で罪人と思われています。ご迷惑をおかけします」
「なぜ? 僕は種を調べたいだけだ」
「ですが」
「今、君に魔力がないのは間違いないし、僕が攻撃されることもない。この家に金目のものもない。君からしても、僕は君に興味がないから襲う心配だってない。君は既に婚約破棄もされてる。男と同居したからといって不貞行為にもならない」
クロードは涼しい顔で淡々と告げていく。
「それに種を解き明かすことは、君の冤罪を晴らすことに繋がるはずだ。君にとっても悪くない話だろう」
ティナはクロードを見上げた。彼の黄色い瞳は感情が読み取れないままだ。
だけどその瞳が今のティナにとっては何よりも安心できた。失望も動揺も疑惑も浮かべていない凪いだ瞳。あるのは種への探求心のみか。
あの場では皆、アルフォンスさえも。ティナが犯人だと思っていたのに。
「種が、私の冤罪に繋がっているのですか?」
「僕はそう考えている。で、どうする?」
はっきりと冤罪だと言うクロードに、ティナは泣きたくなる想いで頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! 私に出来ることは協力いたします! しばらくお世話になります、よろしくお願いします」
こうして種を解明するまでの期間限定の同居生活が決まった。
・・
「一人で住んでいるから椅子はひとつしかない。ひとまずこれを使え」
一階に下りると、クロードは大きな木箱を机の前に持ってきてティナに座るように促した。
雑多に物が置かれている机をざっくりかき分けてティナの前にカップを置き、どろりとした濃い緑色の液体を注ぐ。
「薬草茶だ。見た目や色はひどいが、味は悪くない」
「ありがとうございます」
勧められるがままにティナはカップに口をつける。意外にもあっさりしていて飲みやすく、ティナはあっという間に飲み干した。
「まず種が出現したのはいつからだ。僕が言うまで、君は種に気づかなかったのか?」
「ええ。私の髪はいつも侍女が結い上げてくれていたので、これほど目立つものがあれば気づいたかと」
「君が僕のもとに転送されてきた日も、髪の毛は結われていたな」
「はい。夜会の前に侍女が整えてくれました。ネックレスもつけてくれたので、肌に埋め込まれていればさすがに気づいたと思います」
ティナは夜会の前の支度を思い出すが、侍女たちの様子はいつもと変わらなかった。これほど大きなものが埋まっていて、誰も気づかないというのは考えにくい。
「魔力がなくなったのはいつだ」
「今、私の魔力は完全になくなっているのですよね?」
「ああ。全く感じないな」
なぜ彼は測定器もないのに測定できるのだろうか。ティナはそう思いつつも質問に答えることにした。
「魔力を完全になくしたのは、夜会の日の午後から今朝までの間です」
「なぜその日だと断定できる?」
「夜会の日のお昼頃にちょうど魔力測定を行いました。その時はまだ魔力はありましたので」
「なぜ魔力測定を?」
「私の魔力がひと月ほど前から徐々に減っていたのです。そのために定期的に測定を行っていました」
クロードは顎に指をかけて「やはり同じだ……」と呟いた。
「同じ、ですか?」
「過去の種と同じだ。ところで、ひと月前に魔力を失うようなきっかけのような出来事はあったか?」
「いえ……特別に思い当たる節はありません」
ティナは首を振った。魔力が失われ始めてから、何度か尋ねられたことだったが、まったく思い当たる節はなかった。ある日突然、魔力が減少し始めたのだから。
「そうか。では次に君自身のことを教えてもらおう。君は同年代の中では飛び抜けて魔力が強く、それもあって第一王子の婚約者に選ばれたと聞いた」
「はい、そうです」
「どんなことでも構わない。たとえば、君の家系の魔力の強さや、婚約者に選ばれた理由、魔力がなくなった頃のことを教えてもらえるか」
ティナは思いだすように目を閉じた。それから元婚約者のアルフォンスのことも思い出す。彼は今どうしているのだろうか。
彼女は自分について語り始めた。
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