冤罪令嬢は、孤独な魔術師と解き明かす

川奈あさ

1章

1-1 冤罪令嬢の召喚


 ティナは信じられない気持ちで、倒れていく赤髪の女性を見た。血濡れた彼女を前にティナが固まっているうちに、光と音と叫び声に気づいた人々が集まってくる。その中にはアズモンド王国第一王子であるアルフォンスもいて、赤髪の女性を慌てて抱き起こした。


「ベレニス嬢! 大丈夫ですか……!」

「……はい」

「一体なにがあったんだ」


 彼女は怯えるように目線を上げた。その先には茫然とした表情のティナがいる。


「ティナ様が……私から魔力を奪おうと……」

「なんだって……。ティナ、君は――」


 アルフォンスがティナを見た。その瞳には動揺が浮かんでいる。真っ青な顔をしたティナは唇を震わせたまま、声を出せずにいた。


 ・・


 騒動が起きる三十分前、エイリー侯爵家の開いた夜会にて。

 ティナはアルフォンスのエスコートのもと、ここに訪れていた。夜会の後、アルフォンスとの婚約解消についてもう一度話した方がいいかもしれない。そんなことを考えながら。

 

 実は、このひと月の間にティナ・セルラトは魔力を急速に失っていた。

 

 アルフォンスの婚約者として選ばれた主な理由が、自身の魔力の強さだと知っていたティナは、魔力を失っていることをアルフォンスに正直に申し入れた。同時に婚約解消を申し出たが、アルフォンスは承諾しなかった。

 十三の頃から四年続く縁を大切にし、何か原因があるのではと調べたり、魔法局に魔力を計測をさせ続けた。


 しかし魔力は復活するどころか、泉が枯れるように日に日に失われていった。彼女が未来の妃として行っていた業務に支障が出るほどに。ティナが魔力を失い続けていることは、周りにも広まり始めていた。

 この国で魔力は何よりも重視される。こんな自分は王妃にはふさわしくない。

 そう感じたティナは婚約の解消について、この夜会の後に再度伝えるつもりだった。


 ティナが会場を抜けてバルコニーで夜風を受けていると、背後から声をかけられた。


「ティナ様、本日はお越しいただきありがとうございます」


 今日の主催者の娘であるベレニスが柔らかく微笑んでいて、ティナも笑顔を返した。


「ひと月ぶりですね、ベレニス様。本日はお誘いいただきありがとうございます」

「ティナ様の顔色が真っ青でしたので気になりまして……ご気分、すぐれないのですか」

「ごめんなさい、人が多い場にいるといつも酔ってしまって」

「手を取らせていただいてもよろしいですか。きっとすぐに良くなりますから」

「ええ、ありがとう」


 ベレニスの好意にティナは素直に手を差し出した。ベレニスが両手でティナの手を優しく握ると、優しい光が溢れ始める。回復魔術だ。

 しかし……その光はどんどん強くなっていく。目を開けていられないほどに。

 あまりの眩しさにティナも思わず目をつむった。同時に、手の平から何かが身体を這うように上がっていくのを感じて、その不快さに声が小さく漏れる。光が一層強くなり、大きな破裂音がして、ベレニスが鋭く叫んだ。


「きゃーっ!」


 ティナが眩しさから解放されて、目を開いたときにはベレニスは息を荒く吐きながら倒れていた。白い首から胸元にかけて血がドクドクと流れて、山吹色のドレスを赤に染め上げていく。


「ベレニス様……っ!」


 ティナは慌てて駆け寄ろうとするが「近寄らないでっ!」とベレニスが叫び、ティナはその場に縫い付けられたように動けなくなる。

 一体ここで何が起こったのだろうか。何もわからないうちに来客がなだれ込んできて、皆が怪物でも見るかのようにティナを睨む。


「ティナ様が……私から魔力を奪おうと……」


 息絶え絶えにベレニスは声を絞り出す。集まった人間の目線が突き刺さる。


「なんだって……。ティナ、君は――」

 

 真っ青な顔をしたティナは唇を震わせたままだ。とてつもなく大変なことが今起きたことだけはわかる。


「ひとまずベレニス嬢を医局へ!」


 アルフォンスの声に、その場にいたゲストがベレニスを浮遊させ運んでいく。何人かのゲストが彼女に付き添って行った。


 残ったアルフォンスがティナを見る。その目には動揺と失望が同居していた。


「ティナ……君が悩んでいたことは知っている。だけど……まさか、こんな……」

「殿下、違います、私は……」


 ティナはそう言うのが精一杯だった。喉はカラカラに乾いていてうまく言葉も出てこない。


 ――この国は魔力を重視する。それ故に魔力を奪うことは重罪だ。

 ベレニスの証言、光と音、叫び声、魔力の核がある首元が血に濡れていて、目の前には立ち尽くしていたティナ。状況証拠もあれば、以前からティナが魔力の減少について悩んでいたことはアルフォンスだけでなく、周知の事実だった。

 

 駆けつけた騎士にティナは手枷をはめられた。夜会に集まった人々が遠まきに騒動を見ている。突き刺さる視線はすべて非難だった。


(ここで罪を否定しても、もう逃れられないのだわ)


 いまだに何が起きたのか把握できていないが、ティナが魔力を奪う目的でベレニスに大怪我をさせたのだとここにいる皆が思っている。

 程度によっては死罪もありうる。よくて終身刑だろう。ティナはほんの少し考えて、息を吸った。


「……アルフォンス殿下。これは私の一存で、私の家族は何も関与しておりません。どうか家族については……」


 ティナの震えた声を聞き、アルフォンスは大きく顔を歪ませて「わかった」とだけ小さく言った。ティナは彼の優しさをよく知っている。セルラト家のこともずっと大切にしてきてくれた。

 彼がわかったと言ってくれるなら、家族はきっと大丈夫だろう。今はそうやって自分に言い聞かせるしかなかった。


 ティナは騎士に連れられたまま、エイリー家の屋敷の外に出た。

 まだ自分の身に起きたことが理解できないまま、夢ならばいいのに……と広い庭園を、震える足で一歩ずつ歩いていく。

 

 騎士に囲まれながら、外階段を降りようとして――。


「あ……」


 ティナはバランスを崩して転がり落ちた。騎士と彼女を繋いでいた鎖が切れて――


 ♧


 その頃、とある湖畔に建つ小さな家にて。この家の主であるクロードは釜で薬を作っていたはずだった。彼の収入の主である調合薬だ。冷えてから瓶詰めしよう、と釜の前で読書をして待っていたのだが……。

 突然大きな煙がひとつ立ち――現れたのは少女だった。かわりに先程まで釜の中に存在した琥珀色の液体は消えている。


「…………え?」


 クロードはあまりの驚きに目を見開いたまま何も言えずにいたが、それは釜の中に現れた少女も同様で呆気にとられたように周りを見渡している。

 

「誰だ」


 しばらくの沈黙を経てクロードは訊ねた。頭の中にはたくさんの疑問符が浮かんでいたが、まずは一番気になった質問をした。

 

「……ティナ・セルラトと申します」


 彼女は目を瞬かせたのち、小さな声で答えた。


「ふむ……会話も出来て名もある。僕は人体を創り出してしまったわけではなさそうだ。となると……」

 

 クロードはじっと少女を見た。人間が現れた驚きが先行していて気づいていなかったが、ティナと名乗る少女は絵画のように美しかった。

 透き通る銀色の髪は大きく編み込まれ一つにまとめている。涼やかなラベンダーの瞳に小さな鼻と口。なめらかな白い肌を包んでいる水色のドレスが清楚な彼女によく似合った。大人っぽい雰囲気はあるが、あどけなさが残る表情をしている。

 しかしドレスが一目で高級とわかるものなのに、ドレスはところどころ引き裂いたような傷があり――さらには細い両手首には手枷がつけられていた。鎖は途中で引きちぎられているが、上品な彼女とそれは不釣り合いだ。

 

「あの、あなたは……? そしてここは……」


 不躾に観察するクロードにティナはおずおずと訊ねた。手枷と同じくらい釜も不釣り合いだ。そもそも釜に入っているのが似合う人間もいないのだが。


「名はクロードで、ここは僕の家だ。君こそなぜここに? どこから来た?」

「貴方の家……」


 ティナはそう呟いて、クロードの部屋をぐるりと目で追った。

 

 ティナが入っている大きな釜は暖炉にあった。クロードが調合薬を作っていた釜である。

 暖炉の前にはロッキングチェアがあり、そこにクロードは座っている。膝の上には魔術書が置かれていて、背後には大きな本棚がいくつもある。

 長机には、瓶やビーカーが大量に置かれ、そのどれもに緑や赤の液体が入っている。天井からぶら下がった籠には薬草や道具が詰め込まれていて、床には本棚に入りきらなかった本が無造作に積まれている。物がかなり多く、あまり明かりのない小さな部屋だ。

 

 部屋を見渡すティナを見つめるのは黒髪の青年。年齢は二十。整った顔立ちを囲んでいるのは、丁寧に梳かしたり撫でつけてはいない無造作な髪型だ。ティナを見る黄色の瞳はやや釣りあがり、黒猫のような印象を持たれる。ところどころ染みのついた白衣にシャツとパンツというラフな格好だった。


「私は階段を踏み外したと思ったら、ここに……」

「なるほど。君が望んでここに来たわけではないと。では、僕が君を呼び寄せたということか? ……なぜ現れたんだろうか。いつも通りの調合をしたはずだったが」


 そう言うとクロードは机の上にある籠から材料をいくつか取り出した。書物と比較してぶつぶつと何事か呟いて、もう一度彼女を見る。


「それで君はどこから来た」

「知人の邸宅からです。夜会に参加しておりました」

「夜会? 君は貴族だな? どの街に住んでいる?」

「王都です」

「王都……どんな魔術がかかったんだ、転送か……材料の中に何かが混じっていたか」


 彼女の姿を見て貴族だとは思っていたが、まさか王都からとは思わなかった。クロードは小さくため息をつく。


「僕は君を呼び寄せたわけではなく、君が願ったわけでもないようだが、結果的に君はここにいる。しかし今回のことは偶発的なものであり、僕は君を王都へ送り返すことは不可能だ。ここはレチア村の外れで、王都へは一週間はかかるだろう」

「そんな遠くに私は来てしまったのですか!」

 

 ティナは目を大きく見開いた。無理もない。レチア村はこの国の西の端にある村だ。王都に戻るのも一苦労だろう。


「この家の東に小さな森があり、そこを超えるとレチア村がある。さらに東に向かうと少し栄えた街がある。そこになら宿や遠距離を走れる馬もあるだろう」


 ティナの返事を待たず、クロードは「出口はそこだ」と部屋の隅にある木の扉を指差した。

 彼女がなぜ転送されたのか興味があるが、貴族である彼女に巻き込まれたくはなかったのだ。

 

「ありがとうございます。申し訳ないのですが、ここから出していただけないでしょうか」


 ティナの控えめな問いにクロードは釜に目を戻した。

 

「……ふむ」


 きっと淑女は釜をまたいでは出られないのだろう、そう思ったクロードは手を貸してやることにした。長い指を彼女に向ければ、彼女の手枷が外れ、ふわりふわりと身体が浮く。ティナはぺこりと礼をして


「本当にありがとうございました」


 ティナは礼を言い、出口に向かおうとして――その場に倒れた。


「おい、君」


 クロードは一瞬迷ってから、彼女の元に向かった。

 先ほどまで元気そうに見えたティナは荒々しく息を吐き出し、白い肌が赤く染まり、身体を触ってみるとひどく熱を持っている。

 身体を起こしてみるが、身体に力は入っておらず首がだらりとさがっている。


 ―—ティナの白い首筋に、異物が見えた。

 右耳の下あたりに胡桃ほどの大きさの黒いものが埋まっていて、半分顔を出している。


 「…………これは……」


 面倒くさそうにティナを抱き起こしていたクロードの顔色がさっと変わる。

 

「そんな……」

 

 黒い塊を触ってみれば、硬いごりっとした感覚だ。


 クロードにとって、それは因縁ともいえる〝種〟だ。


「…………」


 首筋を見て逡巡していたクロードだったが、ゆっくりと彼女を浮遊させて二階の寝室まで運ぶ。

 見知らぬ女を自分のベッドに横たわらせることに一瞬顔をしかめたが、仕方なさそうに彼女を下ろした。

 

「殿下……申し訳ございません……」


 彼女から呟きが漏れる。クロードは彼女が目を覚ましたのかと思ったけれど、ティナは長いまつ毛を震わせて息を吐き、うなされているだけだ。クロードはポケットから薬草を一つ取り出しティナの唇にあてて小さく呪文を唱えると、部屋から出て行った。

 

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