1ー4 札幌

 助手席で、女は言った。

「ブザンソンの学芸員、レネ・デュボア。遅くなってすみません」

 彼女の日本語には違和感がなかった。まるで日本で生まれ育った外国人タレントのようだ。野村もようやく、スカイプで何度か討論した相手だと気づいた。しかもその登場は、あまりに異常だ。

「君か……。だが、学芸員が、なぜ……?」

 バイクの男たちは燃えるベンツを放置したまま消え去った。運転席の男が、無言で車を出して盤渓方面へ向かう。

「わたしたちはあなたを守るためにずっと後を追っていました」

 野村はずっと周囲に気を配っていたが、気づかなかった。

「いつから?」

「あなたが警察を出てから」

「だったら、ネオナチもロシアも防げたんじゃないのか⁉」

 レネは悪びれずに言った。

「アパート前であなたを捉えようとしたのは、ネオナチではなくてわたしたちです。ロシアの工作員を誘き出すためのお芝居でした」

「は? 芝居って……?」

「おかげさまで、敵対組織の実態もつかめてきました」

 その意味が理解できる。

「俺を餌にしたってことか⁉」

「申し訳ありませんでした」

「何が狙いだ⁉」

「敵対組織の実態を暴くことです」

「君ら……何者だ?」

「わたしの他は、モサドの工作員です」

「イスラエル情報機関……? だが、俺を見失ってたらどうする⁉ 殺されてたら⁉」

「彼らは優秀です。しかも、あなたの位置は常に特定していました。警察で、体内に発信機を埋め込ませていただきましたから」

「なんだと⁉」野村は不意に、警察の医務室に行ったことを思い出した。「あの時か……」

「害のあるものではありません。スウェーデンなどではICカード代わりに一般化しているインプランタブル・チップです」

 レネは『自分たちは日本の警察を意のままに操ることができる』と公言しているのだ。

「なぜそんなことが……? 君はただの学芸員なのか……?」

 レネはゆっくりと答えた。

「ゼクス・プファイル――『六本の矢』の名前をご存じでしょう? 日本では英語式に『セクフィール』と呼ばれています。全世界に根を張った古い歴史を持つ財閥です。わたしたちは彼らの代理人です。詳しいことは目的地に着いてから。日本の警察とは連携していますが、一般人に目撃されると面倒ですから」


         *


 真駒内駐屯地で、用意されていた服に着替えた野村が通されたのは殺風景な会議室だった。すでに4人が応接セットに腰を下ろしている。中央の大きなテーブルに、何枚もの絵画が並べられている。

 テーブルに走り寄った野村が叫ぶ。

「列像!」

 野村を案内したレネが言った。

「フランスでネオナチから回収したものです」

 言葉を失った野村に、自衛官の1人が声をかける。

「まずは座れよ、野村」

 野村の目が意外そうに自衛官に向かう。

「馴れ馴れしく名前を――」そして気づいた。「お前……中西?」

 制服姿の自衛官が幼馴染だとは考えもしなかったのだ。

「10年ぶり……か?」

 野村は空いたソファーに、崩れるように座り込んだ。

「なんでお前が……? 一体何が起きてるんだ……?」

「それは、後で」

「お袋は去年死んだ。知ってるか?」

「知っている。だが、それも後で」

 レネが野村の隣に座る。2人を見比べながら穏やかに言った。

「全員が揃いましたので、これまでの経緯をご説明いたします」

 野村は言葉を失ったまま、中西をにらんでいた。

 中西の横に2人の白人が座っていた。背広姿の老人が会釈する。

 レネが言った。

「彼はロンドンからいらしたチャールズ・セクフィール。イギリスのセクフィール家の長です。その横がマット・ギャラガー氏」

 真夏のキタキツネのように痩せた男がかすかにうなずいた。

 中西が言葉を添えた。

「彼も民間人だが、つい最近までMI6でテロ組織監視の指揮をとっていた。私の同業者だ」

 それは中西が、自衛隊で防諜を担っていることを意味する。

「お前……そんな仕事をしていたのか……」

「誰かがやらなければならないんだ。そして、こちらは基地司令の添田一佐だ」

 野村は、自分が超大型の台風の中に放り出されたような気がした。公安に捕らえられたのは、前兆のそよ風に過ぎなかったのだ。

 レネが後を引き取る。

「わたしたちを結びつけたのは、この『夷酋列像』です」

 野村は、聞かないわけにはいかなかった。

「本物なのか?」

「ブザンソンから奪われたものです。美術館を襲った一団はフランス国内でGIGN――国家憲兵隊治安介入部隊に急襲され、アジトに隠されていた列像が回収されました。札幌に来たモサドの実行部隊は、ネオナチに偽装していました。あなたの部屋に侵入したのも、ロシアの真意を確かめるためでした」

「それがここに……」野村が中西を見る。「ブザンソンの事件はニュースになっていたのか?」

「テロ自体は報じられているが、列像の件は機密だ」

「ネオナチやロシアの目的も、お前たちが隠したいのも、列像なんだな?」

「だから、お前も口外するな」

 野村の視線がテーブルに並べられた絵に戻る。

「なぜ列像がそれほど重要なんだ?」

 答えたのはレネだ。

「列像には秘められた謎があり、1世紀以上も前からセクフィール家がその謎に挑み、敗れてきました。アイヌ民族のあなたが加われば、長年の夢が果たせるかもしれません」

「謎とは何か、を聞いている」

 レネの視線がチャールズに向かう。チャールズと英語で言葉を交わしてから、通訳する。

「情報を開示するまで、もうしばらく時間をください。各国のセクフィール家の了解が、まだ完全には得られていませんので」

「だったら、なぜ俺がここに連れてこられた?」

「チャールズお爺様が、直接お会いしたいから、と。あなたの目を見て、列像を預けることを決心してくださいました。ぜひ教授のお力をお貸しください。わたしが学芸員になったのも列像の謎を解くためなのです。そのためにテルアビブで教育を受けましたので」

「イスラエルで育ったのか?」

「国籍はイスラエルです。フランスには仕事で滞在していました」

「俺は列像の全てが知りたい。何もかも教えてもらえるなら、喜んで協力するが……」

「今回のような危険がこれ以上起きないように、全力を尽くします。先ほどの救出作戦に当たった部隊も待機していますから」

 中西が言い添える。

「自衛隊からも護衛をつける。ネオナチが列像を奪ったのは謎を解くためだろう。だがロシアは、解明の可能性を持つお前を殺そうとした。つまり、謎が解かれることを恐れている。攻撃は今後も続くと考えるべきだ。だから私もチームに参加することになった」

 野村の鋭い視線が中西に向かう。

「チーム?」

「列像の謎を解明するために編成された」

「アイヌを捨てたお前が、か?」

「自衛官として、警護に当たる」

 と、野村は不意に気づいてレネを見た。

「さっき、チャールズお爺様と言ったか? じゃあ、君は……?」

「フランス・セクフィールの長、ルイの末娘で、デュボアは母方の姓です。私の父の姉が、チャールズの息子さんの奥様です。本来なら父がこの場に出向くべきなのですが、少し体調を崩していまして……」レネは、ギャラガーに目をやった。「それにお爺様は、とびきり優秀なスタッフを揃えていますから。父は全てをお爺様に一任しました。この事件に関してはお爺様が世界中のセクフィールを統率しています。数日中には全てをお話しできるはずです」

「娘だったのか……」

 野村は、レネの態度に自信があふれていた理由をようやく理解した。他国の警察さえ操れるレネが単なる学芸員だとは考えていなかったが、セクフィール家の身内だとまでは予想できなかったのだ。

 野村はレネの地位の高さに呆れながらも、言った。

「ところで、教授とは呼ばないでくれ。一介の学芸員だから……」

 レネの頬に微笑みが戻る。

「大学で教えているのでしょう?」

「ただの講師だ。短大で、非常勤だし」

「同じ事です。あなたはアイヌ文化とアイヌ絵の権威で、今や全世界の注目の的ですから」

 それが命まで狙われる理由だと、野村は認めざるを得なかった。

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