1ー3 真駒内駐屯地
自衛隊第11旅団真駒内駐屯地――。札幌市の南に位置する広大な基地は、2005年までは『さっぽろ雪祭り』の第2会場にされていたほど市民に親しまれた場所だ。一般に北海道では、自衛隊への嫌悪感はほとんど存在しない。それは、冷戦時代にソ連の脅威に対するために配備された隊員たちが、地域の経済活動を支える〝地場産業〟であり、〝公共事業〟ともいえる存在だったからだ。自衛隊の主力が南西方面に移動するに従って道内の基地は縮小されていったが、真っ先に移転反対を唱えるのは地域の商店主たちだ。道民には自衛官の家族も多く、制服姿も見慣れた風景になっている。今でも雪祭りの時期には、街の中心部に自衛隊にトラックが雪を運び込み『野戦築城訓練』の名目で雪像造りに汗を流す。世界に名が知られた祭典も、自衛隊の援助なしでは成立が困難だ。
駐屯地司令室で中西健二を待っていたのは、意外な人物だった。
直立して敬礼を終えた中西がつぶやく。
「まさか、陸将がお待ちだったとは……」
司令官の椅子に座っていた陸上自衛隊幕僚長が笑顔を見せる。
「久しぶりだな。Sでの活躍は聞かせてもらっている。サイバー戦にまで才能があったとは驚きだ」
「アルゴリズムといえども、言語の一種ですので。むしろ、不規則な変化を許さない分だけ理解しやすいといえます」
Sは、『特殊作戦群』の愛称だった。彼らは第一空挺団を擁する習志野駐屯地に置かれた特殊部隊で、対テロ戦や情報戦などを行う〝秘密部隊〟だ。その実態が公表されることはないが、隊員の多くは過酷なレンジャー訓練をくぐり抜けた猛者たちだ。
大学在学当時から語学に並はずれた才能を発揮した中西は、外国軍の視察に欠かせない人材として頭角を現した。防衛大出身のエリートには希薄な、すさまじい向上心が幹部の目に留まったのだ。
群を抜く知力と体力でチャンスを生かした中西は、対テロリズムを専門とするエリート部隊――英国SASや西独GSG9、米陸軍のデルタフォースを渡り歩いて5年を過ごした。その結果中西は、Sでも最も人望を集める指揮官として、また国際的な特殊部隊間のコネクションの窓口として重用されていた。
「堅くなるな。とにかく、座ってくれたまえ。話がしづらい」
中西は、机の前に用意されていた椅子に座った。
陸幕長は、じっと中西の目を見つめてからおもむろに言った。
「任務を言い渡す。演習や災害派遣ではない、作戦行動だ」
中西の表情に驚きが現われた。
「軍事作戦……ですか?」
「そう考えてくれたまえ。実際には何が始まったのか掴みかねているのだがな。『夷酋列像』盗難に関しては君の知識が大いに役に立った。だがあの事件は発端に過ぎなかったようだ。今、世界の情報機関の関心が北海道に集中している。あの絵に彼らを奔走させる謎が秘められているらしい。現在、CIA、SVR、モサドといった物騒な連中が集結している。官邸にも様々な筋から圧力がかかっている。どうやら問題の絵が札幌にあるらしい。この事件に、特殊作戦群を投入する。君をリーダーに、数名の隊員を呼び寄せたまえ」
中西は北海道に呼ばれた時点で、列像との関連を予感していた。
「ネオナチ以上の存在が動いていたのですね?」
「モサドからの情報に嘘はないだろう。しかし彼らは全てを明かしてはいない。あの絵がなぜこれほどの衝撃を引き起こすのか、皆目見当がつかない。それを解明してほしい」
「自分はアイヌだから選ばれたのですか?」
「それも重要だが、ベストのメンバーを使いたい。武力行使も厭わない情報機関がせめぎ合う場所に送り込める者は、君以外にない」
「装備はテロ対策用でよろしいでしょうか?」
「真相が不明な以上、何が起きるかも判断がつかない。『ネズミ1匹』という可能性は濃いのだが、市街戦も想定しておきたまえ」
「市街戦……」中西はわずかに迷ってから、覚悟を決めた。「今も野村誠が関係しているのですね?」
「彼は先ほどロシアの書記官に襲われた。救出したのはモサドだ。もうすぐここに到着する」
「まさか……」
「事態は、予想外の展開を見せている。危機は回避できたが、今度はセクフィール家が接近を図っている。謎はそれほど重大で、解き明かせるのは野村君だけらしい。君には彼の身を守ると同時に、近づく情報機関の動向を探ってほしい」
対テロリズム戦の情報収集を担う中西には、DGSIから『テロリストに破壊された美術館に日本人の名刺があった』と連絡が入っていた。しかも、その名は10年前に決別した親友、野村誠だった。中西は自分が野村の家で育てられ、兄弟同然にして育ったことを上官に報告したが、入隊後は会っていない理由は知られていないはずだった。だが隊は、関係者を担当に当てることが冷静な判断を鈍らせることを恐れ、中西を現場から外した。その間にモサドとの摺り合わせが行われ、事態は水面下で進行していたのだ。この段階で担当に戻すのは、深刻さが増したからに違いない。
「幼なじみをスパイしろ、と?」
「SVRは今後も彼の命を狙うと考えられる。護衛は欠かせない。モサドの真意も不明だ。列像が我が国にどんな影響を及ぼすのか……それを探り出し、害があるなら、阻止しなければならない」
「ネオナチの目的は特定できたのですか?」
「まだだが、ナチはイスラエルに任せればいい。君は列像の謎を解き、その先に起きる事象に対処せよ。世界の情報機関を奔走させる秘密だ、実戦部隊でなければ対応できない恐れがある」
中西は冷静に言った。
「野村とは兄弟のように育ちましたが、10年前からは絶交状態にあります。彼は自分を拒むかもしれません」
「調べた。それでも、君しかいない」机の上に1冊のファイルを押し出す。「これまでの経過をまとめた。読後は焼却したまえ」
陸自トップからの命令を拒否することはできない。中西はファイルを取って、立ち上がった。
「了解いたしました。失礼いたします」
背を向けた中西に、幕僚長が言った。わずかな不安がにじむ。
「中西二尉――君には、日本の国益を第一に考えて行動してもらいたい。アイヌ民族としてではなく、だ。できるね」
振り返った中西は躊躇なく答えた。
「もちろん。自分は日本人ですから」
「信じよう。非正規の戦闘を選択する権限も与える。SVRが子飼いのテロリストを差し向ける危険も高い。必要な時は処分するように」幕僚長はわずかに視線をそらした。「そして万一、野村君が日本の脅威になるようなら……」
中西はきっぱりとうなずいた。
「自分が排除いたします」
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