4ー13 日比谷・2025年(現在)
中西は、野村をセーフハウスに残して東京へ来ていた。真昼の公園は強い日ざしに覆われている。夏の色に染まり始めた緑の中を、昼休みをくつろぐサラリーマンたちが行き過ぎる。所在なげにベンチに座った〝外人〟を見た中西は、思わず驚きの声をもらした。
「どうしてあなたが⁉」
CIAからの要請には、日時とそのベンチが指定されていただけだ。新千歳空港までは相変わらずの〝目隠し車両〟で運ばれ、一般客に混じって羽田に降り立った。彼らは自衛隊を排除した〝会談〟を求めてきたのだ。中西はその意図を探るために、統合幕僚長にさえ黙って東京へ出向いた。待っていたのは、予想外の大物だった。
DDOは中西に目を向けようともせずにつぶやいた。
「私を知っているのかね?」
中西は滑らかな英語でささやく。
「この世界で、知らない者がいますか?」
DDOの姿は、けだるい公園の風景に違和感なく溶け込んでいた。日本の不可解な商業慣習に行く手を阻まれ、憔悴した商社の駐在員――。ありふれた偽装が馴染んでいる。最前線からのしあがってきたDDOの特技だ。
うんざりとしたように溜め息をもらすと、齧りかけのハンバーガーをベンチの脇のクズ入れに落とした。
「日本のハンバーガーはうまい。アメリカとは別物だ。だが、この湿気ではな……ホーチミンより厳しい。とても食う気になれん」
中西はベンチの反対端に腰を下ろすと、手にしたスマホに目を落とす。2人の視線は、一度も絡み合っていない。
「あなたに呼ばれたとは思いませんでした」
「アイヌの国は作れそうかね?」
「報告はあなたの部下からも上がっているはずですが?」
「初めて組む人間とは、できるだけ顔を合わせることにしている」
「現場に出られるほど暇な地位だとは思えませんが?」
DDOの真剣さが増す。
「アイヌの国は作れるか?」
中西も無駄話を諦める。
「難しいでしょう。ロシアは強硬です」
「セクフィールの狙いを、君はどう判断している?」
「それが聞きたかったのですか?」
「いや。こちらにはそれなりの考えがある。聞きたいのは、アイヌが千島列島で独立できた場合、君がどうしたいのか、だ」
中西は単刀直入に切り込んだ。
「私に何をしろと?」
DDOの答えも簡潔だった。
「その時は、君を千島の王に据えたい」
中西の返事は、わずかに遅れた。
「千島は、アイヌ民族全員の領土です。しかも主導権を握っている民間団体がすでに存在します」
「彼らは北朝鮮や中国との縁が深いと聞くが?」
「合衆国が利権を奪いたい、ということですか?」
「千島は日米露、そして中朝の権益がぶつかる場所にあるからな」
「私には王になる権利はありません」
「だが、アイヌ民族だ。しかも、合衆国の後押しを受け、その軍事力を行使できるコネクションを持っている」
「アイヌの総意は、私など選びません」
「千島に誰が住むかは些末なことだ。だが、統率者は気心が知れた人物であってほしい。世界の動きを冷静に判断できる理性と、大国のパワーをコントロールできる胆力を持つ者に、だ。どのみち、日本の軍事力だけでは何もできまい?」
中西のつぶやきには迷いがうかがえる。
「オホーツクのゼレンスキーになれ……と?」
「アメリカの議会でもネオコンは排除されつつある。時代遅れな要求はせん。だが、日本の介入は最小限に押さえたい。ナイーブな幼児が口を挟むと、我々の戦略が台なしになる」
「ですが、もはやアメリカにもゴリ押しができる軍事力は残っていないのでは? 中国やイランとの紛争を放置するのですか?」
DDOは自嘲気味な含み笑いを漏らす。
「舐められたものだ。だが、2正面、3正面は厳しい。軍の再構築も先は長い。ならば、ファイブアイズの合同軍ではどうだ?」
「条約書の画像だけではロシアは納得しません」
「条約書は、きっかけの1つだ。すでに新たな冷戦の真っ只中だ。中共は徹底的に追い詰めなければならない。北極海航路の利権争いは、中露の仲を割く布石にもなる。千島を味方にしたい」
「率直ですね」
「その気がなければ、東京まで足を運ばない」
中西はわずかに考えてから言った。
「私の考えは変わりません。アイヌが千島を得られる可能性は限りなく低い。それでも、というなら、いつでもファイブアイズの責任者を集められる根回しはしておいてください」
「北海道に集めるのか?」
「ネット会議で構いません」
「ハッキングの心配はしないのか? 我々に任せると?」
「むしろ、ハッキングを誘いたいのです。特に中国には、〝自由主義陣営〟を結束させてしまったという恐怖を思い知らせたい」
「考えは同じのようだな」
「重要なのは、タイミングです。私が必要だと感じた特、即座に会議を開けますか?」
「任せてもらおう」
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