3ー3 真駒内駐屯地

 作戦指揮車で真駒内の第11師団司令部へ直行した野村たちは、バスを降りると駐屯地の中央部のエレベーターに案内された。

 降下した先は大型の地下施設で、高級将校のためのシェルターだという。オフホワイトの明るい廊下の左右に、ずらりとドアが並んでいる。各人に割り当てられた部屋を覗くと、生活用品は一応揃っているようで、圧迫感も感じない。無駄と装飾品を取り除いたビジネスホテルという印象だ。

 しかし休養を取る間もなく、彼らは中央の会議室に集められた。中西の部下は、部屋の外での後方支援に回っている。

 会議室には、夷酋列像も関係資料もすでに運び込まれていた。さらに国後から送信されてきた文書もプリントされ、テーブルに並べられている。文書は2種類に分けられた。筆書きの日本語と装飾的なキリル文字で記された複数の文書だ。日本語の古文書は野村が解読し、ロシア語はレネと中西が2人で翻訳していった。

 複数の文書の内容は、矛盾なく一致した。解読作業が進むに連れ、誰もが言葉を失っていく――。

 あまりに驚くべき内容だった。全員がその意味を理解するにつれ、事の大きさに我を忘れた。

 野村がようやく言葉を発する。

「まあ、モグラみたいに閉じ込められるのも止むを得ないな……まさか、こんなとんでもない文書が出てくるとは……。夷酋列像は、この文書の存在を報せようとしていたんだな……」

 認めるしかなかった。夷酋列像の謎と価値は、洞窟を満たした黄金よりも遥かに巨大だったのだ。意外な文書の登場は、21世紀の世界地図を塗り替えかねない力を秘めていた。

 中西も、ぼんやりとつぶやく。

「黄金伝説は、単なる〝おまけ〟に過ぎなかったってことか……? しかし……2世紀も昔に……そんな昔のアイヌに、なぜこれほどの離れ業が可能だったんだ……?」

 テーブルの夷酋列像に、全員の視線が集まる。

 驚きから立ち直った野村は、しかし喜びを隠せないでいる。

「俺は信じていた……神々は決してアイヌを見捨てないと……」

 傭兵部隊が発見したのは、200年以上前に結ばれた〝条約文書〟だった。国後島のアイヌたちは、ロシアと日本という2つの大国を相手に〝国際条約〟を締結していたのだ。その条約は今でも、アイヌ民族の独立を実現する力を持っていた。同時に、大国間のパワーバランスを揺るがす可能性も孕んでいる。

 中西には、その潜在力が即座に理解できた。国後には、歴史の闇に葬られた条約が眠っていた。だがそれは、死んではいない。今でも核弾頭を凌ぐ破壊力を保ち、ロシアを怯えさせている。

 レネがつぶやく。

「でも、あれほどの爆発じゃ……条約文書だけじゃなくて、砦そのものが消滅したでしょうし……」

 中西がうなずく。

「この条約は、ロシアの死を意味しかねない。少なくとも、核軍備によってかろうじて保ってきた軍事力を根底から毀損する。何があっても受け入れられない。だからこそ、躍起になって野村を殺そうとしてきたんだ。それなのに物的証拠になる文書自体が消え去っていたんじゃ、ロシアは絶対に条約を認めない。認められない。実効支配している国後での調査も、決して受け入れないだろう……」

 レネも受け入れるしかないようだった。

「そもそも、戦闘があったことさえ隠蔽するわね」

「爆発は、爆撃機の墜落だとでも言い逃れるだろう。セクフィールは、黄金も手に入れられずにタダ働きだったわけだ」

「でもこんな条約を見つけ出したなんて……それだけでも、誇らしいわ。大金を投じた価値はあります」

「歴史的には、だ。まあ、財閥の道楽には相応しいかもな」

 レネは平然と言い放った。

「わたしたちにとっては、歴史を作ることは勲章ですから」

 野村はしかし、傭兵たちの安否を気にしていた。それに関心がないような2人の会話が異様に思える。

「砦にいた兵隊たち、どうなった?」

 中西が驚いたように答えた。

「偵察機の映像を見ただろう? あれほどの爆発は、通常の弾薬で起こせるものではない。おそらくは大型のサーモバリック――気体爆弾とか呼ばれる爆薬を使っている。一瞬の燃焼で酸素を奪って猛烈な風圧を起こす。シリアの内戦でも反政府組織の拠点掃討に使われた。近くの生物は当然致命傷を負うし、洞窟も崩れて跡形も残らないだろう。つまり、そういうことだ」

 野村が呆れたように見つめる。

「なぜそんなに軽々しく話せる……? 大勢の命が奪われたのに」

「それが世界の現実だからだ。自分は、現実の中で生きている。平和憲法だとか人権擁護だとかの美しい理念は、世界の隅々にまで届いているわけじゃない。むしろ、日本人の目を塞がせるために作られた隠れ蓑でしかない」

 レネもうなずく。

「この条約は、もはやアイヌ民族だけの問題じゃない。世界を変えかねないわ。だからこそ、ロシアは全力で否定するでしょう。それがどんな結果を生むにしても、条約締結の背景はなんとしても解明しないと。わたしはしばらく札幌を離れます。今後この文書をどう扱うか、父たちと話し合う必要があります」

 混沌の衝撃が、国後島から世界に広がろうとしていた。

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