2ー5 札幌・2025年(現在)

 野村はうめいた。

「なぜ列像がロシアに? いや、どうしてバイエルンに?」

 レネは言った。

「列像は一時、ルートヴィヒ2世の所有物だったのです」

 野村はわずかに苛立ちを見せた。

「だから、なぜ⁉」

「それは――」

 中西の背広で電話が鳴り、レネは答えを中断した。中西が自衛隊独自の厳重なセキュリティ対策を施したスマホを取り出す

「本部が連絡を求めてきた。協力本部の回線を使うので、1時間ほど留守にする」

 レネは言った。

「では、続きはあなたが戻ってから。ちょっと疲れましたし……」

 野村が身を乗り出す。

「先が聞きたい!」

 中西が野村をいさめた。

「一緒に聞かなければ、二重手間だ」

 レネがすまなそうにつぶやく。

「ごめんなさい、野村さん。でも、丸1日眠っていなくて……。そこのベッドで横になってかまいませんか?」

 野村も仕方なくうなずいた。

「でも、俺の寝床だよ」

「気になりませんから」

 中西は部屋を出る時に言った。

「2人とも、絶対に外に出ないように。すぐ鍵をかけてくれ」

 レネはベッドで毛布に潜り込むと、たちまち寝息をたてた。その寝顔は、奇妙に幼さを感じさせる。

 逆に、野村は完全に落ち着きを失っていた。列像については誰よりも詳しいはずだったが、レネの話には驚かされるばかりだ。エキスパートの誇りを砕かれた悔しさと同時に、押さえようのない好奇心が膨れ上がる。とはいえ、疲れ切ったレネを起こすのは大人げない。野村には、今まで肌寒かった部屋が耐え難いほど息苦しく感じられた。レネが発する甘い香りも、胸を苦しくさせていた。

 自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「頭を冷やしたいな……。10分ぐらいなら出たっていいだろう……」


         *


 野村は芝生に寝そべって、3日ぶりの陽射しを浴びた。北海道の芝生は牧草と同じ品種が多く、中に入ることを禁止することはまれだ。万事に大らかで大雑把な北海道人にとっての芝生は、炭火でジンギスカン鍋を囲む場所なのだ。人が集って自然に親しむ、もっとも身近な空間だ。暖かいそよ風が、野村の頬を撫でていく。

 と、誰かに脇腹をつつかれた。

 きっちりとスーツを着込んだ男が横に座ってほほえんでいた。人が良すぎて業績を上げられない営業員を思わせるその男は、氷柱のような口調で野村に命じた。

「友人の振りをしろ」

 手には小型の拳銃が握られている。

 野村はゆっくりと上体を起こした。血の気が音をたてて引く。

「誰だ?」

「黙れ。ゆっくり立て」

 野村は男に背後から押されて車道へ向かった。公園の出口の脇で、白い乗用車がドアを開いて待っている。後席に押し込まれた。

 2人が乗り込むと、運転席の男が言った。

「どこへ?」

「地方協力本部。チェックポイントを3ヶ所通過し、尾行を確認」

「中西の部下か⁉」

 男は銃を脇に吊ったホルスターに収めたが、口調は冷たい。

「ロシアなら死んでいる」

 車が動き出す。野村はカンニングを見咎められた学生のようにうなだれ、言った。

「部屋に戻れないのか?」

「レネ・デュボアを1人にする」

「なぜ?」そして、気づいた。「まさか、彼女は敵⁉」

「協力者が味方だという保証はない」

 野村は突然、自分が孤立無援であるような不安に怯えた。

 車は不規則に札幌市の中心部を走り回った。厳重に監視されたエリアを通過し、尾行が発見された場合は『処理部隊』が動く。中西から教えられたSVR対策の1つだった。20分ほどして、車は北四条の札幌地方協力本部に着いた。狭い駐車場に乗り入れる。オフィスビル風の3階建ての建物に、自衛隊を意識させる部分はない。

 地方協力本部の前の通りには、人の姿はなかった。中央に『ミニ大通り』の愛称を持つ緑地帯が設けられた、静かな場所だ。その東側の外れには、観光客であふれる北大植物園がある。野村はその近くの釣具店の常連だった。何度も通った道なのに、自衛隊の施設は記憶にない。それほどありふれた風景だった。

 車のドアを開けた瞬間だった。野村はヒュッという、何かが風を切る音を聞いた。同時に、車のガラスが砕け散る。

 銃の男が野村を外に突き飛ばしながら叫ぶ。

「建物へ!」

 野村は状況を掴む前に、走り出していた。


         *


 30分後、医務室に押し込められていた野村に中西が言った。

「検査の結果、やはり外傷はない」

「なんだったんだ……?」

 中西は死人のように無表情だ。

「狙撃。犠牲者はいないが、撃った場所はまだ特定されていない」

「俺を殺すため……だよな?」

「焦っているんだ。私が呼び出されたのも、その件だ。SVRの活動が急激に活発になった。CIAからも警告があった。ロシアは札幌を戦場にする気かもしれない。我々は核心に近づいている」

「ロシアの仕業なんだな⁉」

「敵が1つとは限らない。身近にいる恐れもある」

「レネ⁉」

「彼女は、お前がいないと知ると、すぐに外に出て誰かと連絡を取った。狙撃される10分ほど前だ」

「俺を狙わせたのか……⁉ だが、チャンスなら何度もあった!」

「SVRとは無関係だろう。しかし、セクフィールだ。国家以上の権力を持ち、利権のために世界を動かす一族だ。世界各国の情報機関との関係も深い。セクフィールが何を企んでいるか、隊でもまだ掴めずにいる。今は味方でも、味方であり続けると期待するな」

「じゃあ、なぜ襲われた? ロシアはどうやって居場所を知った⁉」

「協力本部が見張られていたか、部下が監視されていたか……。内部にスパイがいる可能性も否定できない。緊急に洗い直す」

 野村は目を伏せてつぶやいた。

「ともかく、助けてくれてありがとう……」

「今回はこれで済んだが、次はないと思え」


         *


 3時間後、古ビルに戻った2人を前に〝講義〟が再開された。レネの反応を伺うために、狙撃されたことは秘密にされていた。

 野村が、レネに尋ねる。

「列像はどうしてバイエルンに?」

「ルートヴィヒ2世がノイシュバンシュタイン城などの築城資金にするために、『黄金の砦』を探したのです。彼に列像を渡したのはドイツの鉄血宰相、ビスマルクでした」

 野村は直感した。

「で、ビスマルクに列像を渡したのは――セクフィールか?」

 レネはほほえんだ。

「分かってきたようですね」

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