第10話:その後の彼
その腕の中で庇うことで、私を助けてくれたヴィンス隊長。
彼は背に怪我をしていたが、それはグラスによりついた傷と判断された。
防犯カメラの映像で確認したところ、私とヴィンス隊長は、グラスに入った飲み物をそれぞれ手に、階段の踊り場で話していた。楽しく盛り上がっていたまさにその時、私がバランスを崩し、階段から落ちそうになった。
ヴィンス隊長はすぐさま私を庇うために、自身が落下するのを厭わず、私を抱きしめたのだという。 その時、私達より先に落下し、砕けたグラスの上に、ヴィンス隊長が倒れたことで、怪我をしたのだと結論付けられた。
その怪我は縫うことになったが、きちんと処置を受けたことで、大事に至ることはなかった。怪我はそれで大丈夫だったが、階段から落下している。よって一通りの検査を受けることになり、ヴィンス隊長はそのまま入院していた。そしてそのヴィンス隊長について、奇妙なことが起きている。
彼は、ブルーグレーに銀糸の刺繍が施された隊服と濃紺のマントという姿であり、どう考えても浮いている。この現代社会の服装ではない。おかしいと思われる。そう私は思った。ところが、そんなことはない。
なぜなら祝賀パーティーはハロウィンを意識し、仮装っぽい衣装で参加していた社員も沢山いたのだ。だからヴィンス隊長の服装も、仮装と思われ、受け入れられてしまったのだ。
衣装は……それでもいいだろう。
まだ理解できる。
でも衝撃だったのは、皆がヴィンス隊長のことを、黒川健斗であると思っていることだ。
ヴィンス隊長が黒川健斗……?
驚愕し、彼は黒川健斗ではないと私が言うと、理央の時と同じ。「階段から落下したショックで、一時的に記憶が混乱しているのでは?」と、警察、会社の人、家族からも言われてしまう。
まさか。
そんなまさかと思うが、会社や同僚が見せてくれた写真や動画には、ヴィンス隊長が黒川健斗として、皆とバーベキューをしたり、スーツ姿で微笑んでいたりするのだ。
これはどう解釈したらいいのか。
理央の件は自分なりに理解できたが、ヴィンス隊長については……。
それに本物の黒川健斗は、どうなってしまったの?
どうしてヴィンス隊長が、健斗として認識されているのか。
全く分からない。
私の知る黒川健斗は、どこにいるのか。
こちらは本当に全く手がかりがない。
ここは一旦、ヴィンス隊長に話を聞くしかない。
だが果たしてヴィンス隊長は、ここではない世界、ブラウン王国の記憶を持っているのか。
ともかく私は、検査のためそのまま入院したヴィンス隊長に、翌朝、会いに行くことにした。
◇
短い期間ではあったが、中世西洋風の世界で、ドレスを着て過ごしていた。それが再び、現代の服を着るなんて。
懐かしく感じながら、クローゼットから服を取り出す。
白のタートルネックにハイウエストの紺色のロングスカート、それにショート丈の黒のコートにショートブーツをはき、病院へ向かった。
今日、午後には退院すると聞いていた。花束やかさばるお見舞いの品は持参せず、フルーツ専門店で購入した果物のゼリーを二つだけ持ち、彼のもとを訪れた。健斗が好きだったマスカットのゼリーとレモンのゼリーだ。
健斗=ヴィンス隊長とは思えない。でもヴィンス隊長の食の好みは……分からない。だから健斗が好むゼリーを選んだのだけれど……。
電車を乗り継ぎ、ヴィンス隊長が入院する病院に到着した。
六人部屋の窓際のベッドにいる、ヴィンス隊長のところへ行くと。スマホで写真を見せてもらったことがある、健斗の母親がいる。どうやら今回の騒動を聞き、宮城県の実家から上京してきたようだ。そして二人は……普通に親子の会話をしている。
「まあ、あんたにしてはよくやったんじゃない? まだお母さんに紹介してくれていないけど、もう心に決めた相手なのでしょ? 結婚するつもりなのよね。つまりは未来のお嫁さんを守って、怪我をしたのなら……それはもう名誉の負傷よ」
健斗の母親の言葉に、思わず心臓がドキドキしてしまう。
未来のお嫁さん……。
健斗と結婚の話は、まだ一度もしたことがなかった。
これに対し、健斗……というか、ヴィンス隊長はどう答えるのかしら?
「心配かけてすまなかったよ。わざわざ東京に出て来てくれてありがとう。父さんにも驚かせてごめんって伝えてよ。……彼女のことは、うん。近いうちに実家に連れて行って、ちゃんと紹介する。早く結婚したいけど、彼女、仕事頑張っているしな。しかも新規事業の立ち上げに、これから関わることになるから……」
これにはもうビックリ!
健斗は私と結婚したいと思っていたの!?
というか見た目はヴィンス隊長なのに……。
口調や話している内容は、どう考えても健斗としか思えない。
「あんた、そんなすごいお嬢さんなら、早く捕まえておかないと! 他の男にとられちゃうわよ」
健斗のお母さんは……!
なんて前のめり。
このお母さんであれば、嫁姑問題とは無縁に思える。
つい、二人の会話を立ち聞きしてしまったが。
これ以上の立ち聞きはよくないと思い、私は「おはようございます」と明るく声をかける。
「まあ! あなたが杏奈さん。綺麗な黒髪ねぇ。それにまるでモデルさんみたい! パッチリ二重の美人さん!」
健斗の母親の明るい感じは、私の気質に似ている。だから馬が合い、しばらくヴィンス隊長そっちのけで、会話していたが。
「せっかくお見舞いに来てくださったのだから、お邪魔虫はカフェにでも行ってくるわね!」
そう言うと健斗の母親は手を振り、病室から出て行く。
こうしてヴィンス隊長と私は、向き合うことになった。
さっきヴィンス隊長は、健斗の母親と当たり前のように会話していた。その内容は、どう考えても、健斗が母親としそうなもの。そうなると目の前にいるのはヴィンス隊長なのだが、中身が健斗だったりするのだろうか……?
もしそうであるならば、なぜヴィンス隊長の中身が健斗なのか。
というか、健斗の体はどこへ行ったのか?
ヴィンス隊長の心は、どうなったのか?
聞きたいことは沢山ある。
でもまず伝えるべきことがあった。それは――。
「助けてくださり、ありがとうございます。その腕の中で庇っていただけなければ、私は今頃、天に召されていたでしょう。私を守ると言ってくれた誓いを果たしていただき、心から感謝しています」
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