第7話:彼女の企み

 自身の想いを打ち明けると、ヴィンス隊長は床に片膝をつき、跪いた。


「申し訳ありません。こんなことを申し上げて。聖女であるアンナ様の幸せは、カルロス様と結ばれること。リオ様の悪巧みを止めることが一番です。自分は……何をためらってしまったのでしょう。……今すぐ、宮殿に戻ります。国王陛下に事態を報告し、こちらへ戻ってきます」


「ヴィンス隊長……」


「アンナ様、あなたが必ず幸せになれるよう、尽くします」


 私の手をとり、甲へ口づけするその姿は、映画で見た騎士そのもの。

 さらに絶対的な忠誠心、騎士道故の自分を律する姿、私の幸せを願ってくれる誠実さ……。これは胸を打つ。そして……心が揺さぶられる。


「では行ってまいります」


 身をひるがえし、歩き出すヴィンス隊長の後ろ姿を見て、駆け寄りたくなっていた。


 私は……聖女にどうしてもなりたいわけではない。

 聖女にならないなら、魔物が住む、この国の外へ放り出されると言われ、カルロス様を好きになろうと努めていた。そしてカルロス様は悪い方ではなかったので、彼となら結ばれても……という気持ちになりかけていたが……。


 結局、カルロス様は優し過ぎた。

 優し過ぎてリオの策略にまんまとハマり、私から目を逸らした。

 でもヴィンス隊長は……。

 会ってほとんど、時間は経っていない。

 しかも彼とじっくり過ごしたのは、この数時間。

 そうではあっても……。

 気持ちは大きく、彼にもっていかれていた。


 私にどんな沙汰が下されるか、分からない。

 でも本当に。

 ヴィンス隊長が言うように。

 それがとてもヒドイ仕打ちなら、彼と隣国に逃げれば……。

 いや、その未来はないはずだ。

 なぜならこれから、ヴィンス隊長が王宮へ向かうから。

 リオがしたこと、しようとしていることは、国王陛下が知るところになる。

 それでも。

 そうだとしても。

 リオとカルロス様とブラウン王国がどうなろうと、それは私が知ったことではないと切り捨ててしまえば……。

 でもそんな大それたこと、私にできるわけがない。

 リオの悪事、この国を牛耳ろうと考えていることが分かれば、リオが聖女となることはないだろう。そうなれば……やはり私が聖女になることを求められる。

 それに既に先代聖女は、天に召されてしまったのだ。

 猶予はない。もう、待ったはなしだ。

 何より私は、見てしまった。

 この国の人々を。彼らが生活する姿を。そしてこの国の外にいるだろう魔物を、垣間見ている。この目で見てしまったことから、目を逸らすことはできない。聖女として、彼らを守る。それをできるのは、聖女である私だけなのだから。


 ヴィンス隊長の言葉はうたかたの夢。

 ほんの一瞬だが、彼との生活が脳裏に浮かんだ。

 どこかの国で、笑い合い、夕食の準備をする自分とヴィンス隊長の姿が。

 聖女と言う枷はなく、お互い一人の人間として向き合い、穏やかで幸せな時間を過ごす様子を想像することができた。


 でもこの夢が、叶うことはない。


 というか、こんな夢を一瞬でも夢見たと健斗が知ったら。

 怒るかな。嫉妬するかな。不機嫌になるかな。

 健斗とは、もう会えない。

 そして私を護ると誓うヴィンス隊長とは、永遠の平行線。

 聖女になるということは、一人の人間としての幸せを諦めることなのね。

 いや、そんな風に思ってはいけない。

 カルロス様は、決して悪い人ではないのだから。


 それにもしかしたらカルロス様にだって、想う人がいるのかもしれないのだ。

 その気持ちを封印し、召喚された聖女と、無条件で婚儀を挙げることに同意するようなものなのだから……。自分を犠牲にするという点でいえば、カルロス様も同じ。そうすることでこの国と人々は、守られるのだから……。


 一度大きく深呼吸をして、気持ちを切り替える。


 テーブルの上の沢山集めた書物や羊皮紙を元に戻し、書庫を出て、部屋に戻ることにした。


 書庫から出た私は「しまった」と思った。


 自室を出て、先代聖女が安置されている祭壇、そこから書庫への移動。

 それはすべて、ヴィンス隊長に任せていた。

 つまりは彼の案内で移動し、私は道順を覚えていなかった。


 神殿はとても広い。

 入口から祭壇まで一直線の廊下があり、その左右には大理石でできた太い柱がいくつもある。その柱と柱の間を進むと、さらに奥に進む廊下にぶつかる。そこからさらに細かい廊下が伸びて……。


 私からすると複雑な造りなのに、すべてが白いこの神殿は、ランドマークを設定できない。ゆえに一度迷うと、本当に延々と彷徨うことになる。


 完全に迷子だわ。


 警備の騎士に声をかけたいところだが、宮殿に比べ、神殿の警備の騎士の数はうんと少ない。警備の騎士がどこにいるのか。それを探すところから、始めなければならない。


 神殿は、聖女の霊廟でもある。よってその証である紫の薔薇にちなみ、警備の騎士は、甲冑に紫のマントという姿が基本。床も柱も天井も屋根も、すべてが白のこの神殿なら、紫のマントをつけた警備の騎士は、すぐ見つかると思ったが……。


 なかなか見つからない。


 もしかして警備の騎士さえ、宮殿にいる新しい聖女……リオを祝う宴に参加するため、神殿を去ってしまったのかしら?


 もはや諦めかけていたが……。


「いた!」


 甘ったるい声に心臓がギクッと反応する。

 今、リオのことを考えていたから、空耳が聞こえたのよね。

 ドキドキする心臓を、宥めようとしたが。


「もう、なんで部屋にいないんですかぁ~? 探すの大変だったのですからぁ~」


 声の方を振り返ると、シルクの紫のドレスを着たリオが、何人もの魔術師……グレーのローブを着た男性達を従え、私の方へ向かって歩いて来ていた。


 口角が不自然なほど上がり、ニタリと笑ったようなその顔は、見た瞬間、鳥肌が立った。


 本能的に恐怖を覚え、リオから逃げるよう、駆け出すと。


「待ちなさいよ!」


 何をしに来たのか。

 何をされるのか。

 もう私から奪えるものなんて何もないのに。

 何をするつもりなの!?


 懸命に駆けて行くと、警備の騎士の姿が見えた。


「助けてください!」


 懸命に私が叫ぶと、それに被せるようにリオが怒鳴った。


「聖女リオが命じます。その女を捕らえなさい!」


 驚いて後ろを見ると、リオはあの左手の甲の、聖女の証を警備の騎士に見えるように向けている。


 神殿の騎士に命じることができるのは、神官長と国王陛下だけではないの!?


 ハッとして振り返った時には、遅かった。

 警備の騎士に捕まり、思いっきり首を掴まれ、意識が瞬時に吹き飛んだ。


 ◇


 目覚めると、全身がペタリと大理石の床にくっついている。

 つまり、うつ伏せで私は、床に寝かされていると気づいた。

 体を起こそうとするが、何かものすごい圧力で上から押されているようで、身動きがとりにくい。


「ちょっと早くして頂戴。カルロス様が来てしまうでしょう」


「はい。リオ聖女様。ただ、魔術円の起動には相応の魔力が必要でして。……聖女様の聖なるお力をお借りできると、スムーズにできるのですが……」


「はあ? 何言っているの? あんた達、魔術師でしょう? 働きなさいよ。聖女の力をそんなことに、使えるわけないでしょ!」


 初めて聞く、リオの普通の声。

 甘ったるいあの声は、作りものだったのね。

 今のリオの声は、ドスも聞いていて、まるで別人。


 顔をリオ達の方へ向けることはできないが、状況はなんとか理解できた。


 ここは……私が召喚された時の部屋だ。

 大理石の床には、召喚のために使われる魔術円……元いた世界でいう魔法陣が、白っぽいエメラルドグリーンに輝いている。複雑な幾何学模様と、文字のような絵のようなものが、沢山描かれていた。


 一体、何をするつもりなのだろう……?


 魔術円の真ん中に寝かされ、体全体にかかる圧力で身動きがとれない状態。


 これが意味することって……。


 リオが現れた時、連れていた魔術師達は……多分、二十名ぐらいはいたと思う。

 この魔術師達を使い、何をリオは企んでいるの……?

 でも魔術円を起動させているということは。

 召喚をしようとしている?

 でも召喚をするなら、魔術円に私を寝かせておく必要性はない。

 なぜ、ここに私が……?


 しばし想像を巡らせる。


 まさか。


 心臓が、急激にドキドキしてきた。


 私を元の世界に戻そうとしている……?

 元の世界に戻る――それが意味することは何?


 リオから階段に突き落とされたと思った瞬間に、こちらの世界に召喚されていた。

 元の世界に戻るということは、もしかして……。


 リオの企みを想像すると、悪寒が走った。

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