第6話:彼の想い

 でも、カルロス様は真面目。婚約者がいるのに、リオと関係を持ってしまった自責の念で、もう私に顔を向けができない状態だったのかもしれない。そして声をかけることさえ、躊躇われた……そんな風に思えた。


 私がそれをヴィンス隊長に話すと……。


「自分だったら、まず罠にかからないようにします。それでも罠に落ち、そんなことになったら……。自分は騎士です。何より名誉を重んじます。愛する人がいるのに、婚約者がいるのに、別の女性に手を出すなど、あってはならないこと。もしそんな事態になるならば……」


 ヴィンス隊長は、懐から美しい短剣を取り出した。鞘に埋め込まれた宝石に見惚れていたが、ヴィンス隊長は衝撃の言葉を放つ。


「例え罠であっても、一線を超えるようなことあったならば。自分はこの剣を持ってして、自らの命で罪を贖います」


 !? それはつまり、自害するということでは!?

 確かに騎士は名誉を重んじる。でもいくらなんでもそこまでは! 女性が純潔を奪われ、死を選ぶという話は聞いたことがある。でも男性が……。


 ヴィンス隊長、カルロス様のさらに上を行く、超大真面目!


 短剣を掴むヴィンス隊長の手を思わずつかみ「そこまで思いつめないでください!」と声をかけずにはいられない。


「でも……」


「そのお気持ちだけで、十分なはずです。自分の意志ではなく、罠だったらなおさらのこと。早まらないでください」


「分かりました」とヴィンス隊長は短剣をしまうが、そもそも彼は誰も裏切っていないのだから。何も短剣を取り出さなくてもいいのに。


 ただ、それぐらい彼が実直な人物であることはよく分かった。ヴィンス隊長なら浮気や不倫なんて絶対にしないだろう。


「どうされました?」


 私が思わず微笑んだので、ヴィンス隊長が不思議そうに尋ねた。


「ヴィンス隊長なら絶対に、浮気や不倫はなさらないだろうと思い、なんだか微笑ましくなりました。ヴィンス隊長に愛された女性は、幸せですね」


 するとヴィンス隊長の顔が、見る見る間に赤くなっていく。

 こんなに赤面すると思わず、驚くのと同時に。

 魔物と戦うような猛者なのに、なんて可愛らしい!とまたも思ってしまう。

 ヴィンス隊長に、婚約者や想う人はいるのかしら?


「国王陛下も、ヒドイと思います。これまでアンナ様を聖女と定め、カルロス様と結婚するよう命じていたのに。あんなに簡単に、手の平をかえすなんて」


 話題を変えたいと思ったのだろう。

 顔を赤くしたままヴィンス隊長が、国王陛下の態度がヒドイと指摘している。

 忠誠を誓っている国王陛下なのに。

 そんな彼でさえ、ヒドイと指摘したくなるぐらい、あれは冷たい態度だったのね。

 そこで婚約破棄を告げた時の、国王陛下の姿を思い出す。


 国王陛下は……ドライだった。私のことも一人の人間ではなく、物、聖女という物としか見ていなかったように思う。そんな彼からしたら、私は面倒な存在だったのでは?


「国王陛下については……私も悪いのかもしれません。本当は召喚されたその日のうちに、婚儀まで挙げる必要があったのを、先延ばししていただいたのですから。そんな頑固な女より、リオ様のように、とっと王太子と結ばれ、聖なる力に目覚める聖女の方が、扱いやすいと思っても……仕方ないと思います」


 ヴィンス隊長はため息をつくと、私に遠慮がちに尋ねた。


「なぜ、すぐに婚儀を挙げなかったのですか?」


 きっとヴィンス隊長だけではなく。

 国王陛下を含め、みんな思ったことだろう。

 相手は、この国の王太子。

 次期国王陛下。

 性格も優しく真面目。

 しかも金髪碧眼の、美しい容姿をしていた。

 なぜ、拒む? この国で最高の男なのに――そう思われても仕方ない。


「それは……。まあ、そういうことは、時間をかけてという思いがあったのと……」


 健斗と私は、完全に別れたわけではなかった。

 社内恋愛だし、どこかできちんと話をして、そしてそこで初めて別れたことになる。そんな風に漠然と思っていた。

 なんて言い訳ね。

 リオと浮気したかもしれない健斗のことを、あの時点ではまだ、私は嫌いになりきれていなかった。だからカルロス様と、いきなり結ばれることをためらってしまったのだ。どんなにカルロス様が、素敵男子だったとしても。

 もう健斗に会うことは叶わないのに。

 そんな健斗への気持ちを、私はヴィンス隊長に話していた。


 ヴィンス隊長とは知り合って間もないのに。

 こんな恋バナまでしてしまうなんて。

 自分でも不思議だった。

 でも私の話を聞いたヴィンス隊長は……。


「アンナ様の想い人が、リオ様という性悪女に本当に靡(なび)いていたのか。それは話してみないと分からなかったと思います。カルロス様にも仕掛けるような女であるならば。アンナ様の想い人にも、何かやった可能性はありますよね。……とはいえ、今となっては、真相は藪の中」


 そうか。あのリオのことだ。その可能性はある。

 それに健斗は……社内でも人気だったのだから。

 そこで私は思いがけず気づく。


 もしかするとリオは、私が健斗と付き合っていることに気づいたのでは? そしてリオは健斗のことを好きになっていた。私から健斗を奪いたいと思うのと同時に、健斗と付き合う私に嫉妬した……?


 私は社内公募に応募することは、特に隠していなかった。それを知ったリオは、嫌がらせをしようとしたのではないか。私に嫌がらせをして、さらに健斗を奪う。それがリオの目的だったのでは……?


 もしそうであるならば。


 リオは健斗を手に入れること……恋人として周囲に認められる……ができないまま、この世界に召喚された。健斗はもう手に入らない。ところが私はこの国の王太子と婚約している。聖女、聖女とあがめられていた。それを見て、嫉妬したのでは……?


 不二山理央という女は、周囲からちやほやされ、注目を浴びていないと落ち着かない人間なのだろう。さらに誰かから奪わないと、満足できない可哀そうな女なのかもしれない。


 かもしれない……ではなく、きっとそうなのだろう。

 自分の力不足を他者から奪うことで補うような、最低な女なのだ。

 さらに自分がやっていることが悪いことだと、自覚していない可能性もある。

 無自覚ゆえに、なおのこと手に負えない。

 聖女であることも。聖なる力も。崇拝も。カルロス様も。

 全部自分のものに、リオはしたかった。


「想い人のことが、ご自身の中で消化不良で、カルロス様を受け入れることが出来なかったのであれば、それはそれで仕方ないことではないでしょうか。それにいくらなんでも出会ってすぐに……というのは、自分としても強引過ぎると思います。しかもそれはすべてこの国の都合。アンナ様のお気持ちが、置いてきぼり過ぎます」


「ヴィンス隊長は……お優しいですね。この国の要職につかれているのに。私をこんなに擁護いただけるなんて……」


「それは……」


 ヴィンス隊長は、なぜかとても苦しそうな表情となり、視線を伏せてしまう。


「なぜなのか、自分でも分かりません。……ただ、アンナ様と初めてお会いした瞬間から、あなたを……お守りしなければならない。その気持ちでいっぱいでした」


 この言葉には驚き、私は固まってしまう。


「アンナ様は聖女であり、カルロス様の婚約者でした。それはよく理解しています。あなたを守る。それ以上は望まない。そう分かっているのですが……」


 黒曜石のような黒い瞳を煌めかせ、ヴィンス隊長が私を見た。

 その瞳の奥で燃えている熱い情熱に、息を飲む。


「この神殿で幽閉されたアンナ様に、どんな沙汰が下されるのか。内容によっては、秘かにこの国から連れ出すことも考えていました」


 ……!

 ヴィンス隊長がそこまで考えてくれていたなんて。

 驚き、でもそれは国王陛下の命令に反することなのでは?と思い、心配にもなる。

 だが私の心配に反し、ヴィンス隊長は、自身の展望を話し続ける。


「この世界は、国はここ一つだけ、というわけではありません。西の精霊が住む森を抜けた先にも、魔物が住む森を抜けた先にも、別の国があります。そしてそれぞれの国に聖女は存在し、その国は護られているのです。隣国に逃げ、ひっそりアンナ様と行きていく――そんなことも自分は……考えてしまったのです」


 そこまでして、私を守ろうとしてくれるなんて。

 しかも私は聖なる力に目覚めることのない、名ばかり聖女なのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る