第4話:何かがあった

 神殿へ向かう馬車の中。

 私の心境は実に複雑だ。


 婚約者であるカルロス様をリオに奪われた。

 しかも既成事実を突きつけられ、有無を言えない形で。

 さらに言えば、婚約者を失い、婚約破棄された上に、聖女の地位も乗っ取られたことになる。


 客観的に見たら、怒り狂うか、泣き叫ぶか、どちらかをしておかしくない事態。

 でも私の場合、婚儀を挙げないで済むことに、どこかで安堵もしていた。

 カルロス様は真面目で優しい。

 よって好ましいとは感じていた。

 でも「好き」という気持ちにまで至っていなかったのだ。

 どうしても……まだ健斗が頭の片隅に居座っている。


 その一方で。

 この世界に召喚される前。

 リオ……理央は、私のアイデアを盗み、恋人を奪おうとし、階段から私を突き落とした。


 そして召喚されたこの世界で。

 リオは私からカルロス様という婚約者を奪い、聖女の地位を手に入れたのだ。


 単純にもう、私から何もかも奪い去って行くリオに対し、怒りが沸き、悔し涙がこぼれそうになっていた。


 どれだけ私から奪えば気が済むのか? 何よりなぜ私なのか? 私がリオのターゲットにされる理由が全く分からなかった。


 何よりも。どうしてリオのような悪女が聖女なの……?


 理不尽。


 そう、まさにこの一言に尽きる。

 聖女という存在があり、神だって存在しているのだ。

 でも神は一体どこを見ているのか!

 あんな悪女を聖女にするなんて。

 神として怠慢では?

 とはいえ。

 初動で私がカルロス様を止めなかったのも悪い。


 あのリオからしたら、カルロス様なんて、まさに鴨が葱をしょって来るだろう。遠慮せずにリオの悪事をぶちまけていたら……。


 いや、それも無駄だった可能性はある。

 リオはそうされた場合を踏まえ、策を練っていた可能性も、十分考えられるのだから。


 過ぎてしまったことはもう仕方ない。

 覆水盆に返らず。

 こうなってはどうにもならない。

 今、私が考えるべきことは……。

 この後、自分がどうなるのか、だ。


 聖女になることを拒んだわけではない。

 よって魔物が暮らす国外に追放されるようなことは、ないと思っているけれど……。


 不安だった。


「ねえ、ヴィンス隊長。聖なる力に目覚めていない、名前ばかり聖女の私は、この後どうなるのでしょうか?」


 馬車には、護衛を兼ねたヴィンス隊長が、同乗していた。

 初めて会った時と同じ、隊服にマントのヴィンス隊長は、真摯な表情で私の問いに答えてくれる。


「私が知る限り、二名の聖女が召喚されたことは、過去に一度もありません。よってアンナ様がどうなるのか……。それは自分でも分かりません」


 そこで言葉を切ったヴィンス隊長は、その黒曜石のような瞳を私に向けた。


「自分は近衛騎士団の隊長であり、仕えるべきは王族であると心得ています。ただ、それ以前に自分は一人の騎士。騎士は子供や女性、老人を敬うのが当然です。そして弱い者を守る。それが騎士の務め。ですからこれからアンナ様の身に何か起きようとも、自分がお守りします」


 ヴィンス隊長の騎士道精神に、私は涙が出そうになる。

 同時に。

 人の言葉、約束の不確実性も、今回噛みしめることになった。


「カルロス様は、自身の気持ちは私にあると仰ってくださっていました。婚約もしていたのですよ。それなのに……」


 涙がついに、ポロポロと瞳からこぼれ落ちて行く。

 悲しいというより、もう悔しい、だ。

 慌ててハンカチを出そうとした。


 すると……。


 胸元から取り出したハンカチを、ヴィンス隊長が渡してくれた。


 この気遣いにさらにハンカチを濡らすことになる。


「カルロス様はお優しい方です。そして決して嘘をつくような方ではありません。アンナ様に伝えた言葉は……嘘偽りはなかったと思います。何かがあったのだと感じています、自分も」


 ヴィンス隊長は苦しそうな表情で、窓の外を見ている。


 何かがあった……。

 つまりリオが……例えば色仕掛けでも仕掛けたのか。


 うん、その可能性はある。

 あのリオであればやりそうなことだ。


 もしそうであったならば。

 カルロス様には拒んで欲しかったな。

 だって、私という婚約者がいるのだし。

 そう思いつつも。

 リオは男好きする体をしている。

 同性である私からしても、あの揺れる胸にはつい目が奪われた。

 拒むことは……難しかった……のかしら。


 ベッドで睦み合う二人の姿が浮かび、それは悲しいよりも、腹立たしく感じた。


 そう、腹立たしいだけ。

 私は怒っているの。

 それでもなんだか涙はこぼれ落ちる。

 怒って泣くの、私は?

 悔しくて怒って涙も出て。


 最悪な状態だ。


「!」


 突然、ヴィンス隊長がメロディを口ずさみ始めた。


 ……言葉は理解できない。

 何か古い言語の唄だ。

 このメロディの感じは……元の世界のケルト音楽を思わせる。

 なぜだかその音楽は胸に染み渡り、聞いていると、心が次第に落ち着いてきた。


「ヴィンス隊長、素敵な歌声でした。ありがとうございます」


 歌を終えたヴィンス隊長に拍手すると、彼ははにかむような笑顔を見せる。

 魔物を倒すような猛者なのに、その笑顔は少年のようにあどけない。


「今の唄は。『戦士のための歌』です。戦場で命を落とした者に送る鎮魂の曲。不思議とこのメロディを聴くと、心が落ち着くのです。……鎮魂の音楽など、この場にはふさわしくなったかもしれませんが……」


「いえ、ありがとうございます。おかげで涙も止まりました」


「それはよかったです」


 ほどなくして、神殿へ到着した。



 真っ白な大理石で出来たその神殿は、まるで元いた世界のパルテノン神殿のよう。


 壮大で圧巻。

 長い長い廊下を進み、そして部屋の中へ案内された。

 部屋の中も、明るく白い。

 調度品は、すべて白のペンキで塗られ、布の類も白。

 奇しくも私も、白いドレスを着ていた。

 金糸や銀糸による、美しい刺繍で縁取られたドレスだ。


 あ。


 飾られている花や葉だけが唯一色があった。


 さらに部屋を見渡し、気づくことになる。

 何もないのね。

 本の一つもない。

 こんな部屋で、どう時間をつぶせばいいの……?


「では自分は、廊下で待機しています」


「ヴィンス隊長、ここは神殿なのですよね?」


「そうです」


「ではどこかに、神が祀られているのですよね?」


「ここはそう言った意味での神殿とは違います。歴代の聖女様の遺骨が安置されている、霊廟の意味合いが強い場所です」


 つまりは神に召された聖女が納骨されている場所ということ。


 ……。

 そんなことを聞くと、なんだか不吉な気持ちになる。

 このまま私も、霊廟に納められることになるのではと。


「聖列が間もなく到着すると、聞いています。息を引き取られた先代聖女のお体が、運ばれてくるかと」


 聖列……天に召された聖女の葬儀の列ね。


「……そうですか。先代聖女様に祈りを捧げることはできますか?」


「……! 確認してきます」


 ヴィンス隊長が部屋を出て行き、いよいよ一人になってしまう。

 どうしても自分の今後が分からず、不安な気持ちしかない。


 ここは……歴代聖女の遺骨が眠る場所。

 神殿そのものが、巨大な墓碑のようなもの。

 私はもう死者も同然なのかしら……?


 ダメ。

 不安になってばかりでは。

 不穏な考えしか浮かばない!

 自分で自分を鼓舞し、気持ちを切り替えようと考える。


 そうだ!


 明るい陽射しが届く柱の方へと歩いて行くと……。


 外の景色が見えた。

 神殿に入る際、五十段近い階段を上ることになった。

 つまり基礎となる土台は階段五十段分の高さがある。

 予想以上の高さであるが、そこから見下ろすと、王都の街並みがよく見えた。


 あれは……。


 紫色の天幕がはられた御輿を運ぶ行列が見えている。

 多分、あれが亡くなった先代聖女を運ぶ聖列ね。

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