第3話:聖女の証
どうして理央がこの世界に……?
もう呆然とするしかなかった。
ただ、階段から突き落とされた時。
突き落としたのは理央であり、あの場にいた。
そして同時刻で聖女の召喚は、王宮付き魔術師、神殿付き魔術師、それぞれで行われていたと聞いている。だから同時にそれぞれが召喚されてしまった……ということなの?
「二人の聖女。こんなこと後に先にもない事例。でも共に異世界から召喚された聖女であるならば、わしはどちらでも構わん。カルロス、お前が決めればいい」
国王陛下の言葉に対し、カルロス様はその優しさゆえに、悩むことになる。
私がいるのだ。
後からやってきた理央……聖女なんて無視して欲しい!と私は思ってしまう。
だが、カルロス様は優しく、真面目なので、真摯な対応した。
「アンナ様。わたしの気持ちはアンナ様にあります。初めてお会いした瞬間から、わたしの聖女はアンナ様だと決めていました。よってわたしの気持ちは変わりません」
そう言われたことに、まず私は安堵する。
元の世界では理央に健斗にちょっかいを出されていた。
ここに来てカルロス様にまで手を出されるのは避けたい。
だって、カルロス様はもう私の婚約者なのだから。
「ただ、新たに現れたリオ様という聖女。彼女もまた、アンナ様と同じ。異世界からいらしたのですよね。右も左も分からず、心細いことでしょう。そしてわざわざここまでやってきたのです。彼女とも話をしてみようと思います」
公平さを口にするカルロス様に対し「それはやめてください。リオは私を階段から突き落とした悪女です!」とは言いにくい。先入観を与え、告げ口をしている……そんな風にリオを召喚した魔術師達が、騒ぎ出すことも考えられる。
「夕食の席でまた会いましょう。これから私はリオ様とお話しをしてみます」
リオとカルロス様は、並んで歩きながら、王宮の特別な温室へと向かっていく。
二人の後ろ姿を見送るだけの私は……。
甘いのかもしれない。お人好しなのかもしれない。
◇
落ち込む私に声をかけてくれたのは、近衛騎士団の隊長であるヴィンス・フォスターだ。
騎士でありその長(おさ)であるヴィンスは、よく鍛えられた体躯をしていた。ただそれは無駄な贅肉がないということで、身長も高く、引き締まった体をしている。
黒い髪はサラサラで艶やかで、瞳はまるで黒曜石。鼻筋の通った整った顔立ちで、キリッとした眉、形のいい唇と、カルロス様に負けないぐらいの男前だ。
ブルーグレーに銀糸の刺繍が施された隊服と濃紺のマントも、実によく似合っている。
奇しくもリオが宮殿に乗り込んできたこの日、彼は魔物討伐から帰還し、聖女である私の護衛についてくれた。
カルロス様とリオが何を話しているのか。
どうしても気になってしまう私は、その気持ちを紛らわせるため、ヴィンス隊長に話しかけた。自室の部屋でお茶をしながら、そばに控えるヴィンス隊長に、話し相手になってもらっていたのだ。
「ブラウン王国内にいれば、聖域の中ですから、魔物の心配はありませんよね? なぜ討伐に行かれるのですか?」
「天敵がいなければ、その動物はどんどん増える一方です。聖女様の力で守られているとはいえ、召喚自体が不確定な魔術に基づくもの。もしもの場合に備え、増え続ける魔物を抑制する必要があります。さらに魔物との戦闘を忘れないために。定期的に各騎士団が魔物討伐へ向かいます」
ブラウン王国には、三つの騎士団が存在していた。
ブラウン騎士団は平民から構成されるいわば一番下っ端の騎士団。その上位に当たるのが王立騎士団で、上流平民と下流貴族から構成される。近衛騎士団は上流貴族で構成され、最強の騎士の集まりと言われていた。
そしてこの三つの騎士団が交代で魔物討伐に向かっているのだという。
「魔物は、人間の武器でも倒せるのですか?」
「ええ。魔物と言えど、生き物ですから。口から火を吐いたり、水を吹き出したりしますが、心臓を穿ち、首を落とせば倒せます」
こんな感じでヴィンス隊長と話すことで、私はリオとカルロス様について忘れることができた。
この異世界に来てから、いつも一緒に食事をしていたのに、その席にカルロス様が現れないことには、大いに不安になってしまう。
夕食の席で会いましょう――カルロス様はそう言っていたのに、姿を現さなかったのだ。ただ彼の侍従が来て「本日、お夕食の席に、カルロス様が同席するのは難しくなりました。申し訳ございません」とだけ、言われることになった。
用意される夕食は、とても豪華なもの。
鹿肉や猪肉など元いた世界では食べたことがないお肉も並ぶ。でもそれはちゃんと下処理がされ、臭みもなく、煮込まれていればほろほろに、焼かれて入れば肉汁溢れ、とても美味しいものだった。
でもこの異世界に来て、この夕食で、私は初めて一人で食事をすることになったのだ。
テーブルに並ぶ料理はいつも変わらず豪勢なもの。
それなのに全く食欲がわかない。
私が料理をほとんど食べていないと気づいたヴィンス隊長は、こんなことを口にした。
「アンナ様、鹿肉も猪肉も、とても貴重なものです。聖域内では動物は減る一方なので、肉料理はもはや王族や一部の貴族しか食べることができません。少しでもいいですから、召し上がってください」
ヴィンス隊長に励まされ、なんとか肉料理とサラダを食べた。もし彼が声をかけてくれなかったら、スープだけで終えていただろう。
多くを残すことを詫び、入浴をしてベッドに潜り込んだが……。
不安だった。
リオが、この世界にいることに。
私とカルロス様は、既に婚約をしている。でもこの国の婚約は、紙切れ一枚で成されるもので、しかも簡単に破棄もできるようだ。さらに国王陛下は聖女であれば、カルロス様がどちらと婚儀を挙げようが、構わないというスタンス。
ただ、カルロス様は、私が自分の聖女であると言ってくれている。勿論、婚約していることも承知しているはずだ。だからリオと話しても問題はない……と思う。
むしろ私がカルロス様のことを好きなのか……そこがまだハッキリしていない。それでもリオにだけは奪われたくない!という気持ちにはなっていた。
元いた世界では、リオにやられっぱなしだった。
企画書のアイデアを盗まれ、健斗にちょっかいを出され、階段から突き落とされ……。そんなリオとこの世界で再会し、カルロス様を――そう思うと、落ち着かなかった。
◇
明け方になってようやくまどろみ、短い睡眠を終え、目覚めることになる。昨日とはデザインの違う白いドレスを着て、朝食の席に向かうが……。
昨晩と同じ。
従者が来て、カルロス様は、朝食の席に来ないことを告げた。
それを知ると、朝食をとる気がしなくなる。
でも食事はとらないと、体力がもたない。
「ヴィンス隊長」
護衛のため控えているヴィンス隊長を、つい呼び出してしまう。
「おはようございます、アンナ様。どうされましたか?」
「おはようございます。……ごめんなさい。一人の朝食に慣れていなくて。……話し相手になっていただいても、いいですか?」
ヴィンス隊長は、その黒曜石のような瞳を細め、とても爽やかに微笑んだ。
「ええ、自分でよければ。でも自分が話せることは、どんな魔物に出会い、どのように倒したのか、そんな話だけですよ。それでもよろしいですか?」
「それで構いません。お願いします!」
結果として、ヴィンス隊長に朝食の席についてもらい、良かったと心底思った。彼の魔物討伐の話は、まるで冒険活劇。ドラマチックでとても面白かった。
邪竜との戦いは、その翼を封じることが第一で、毒を塗った矢を翼に向け、集中的に放つのだという。飛べなくなれば、火を吐き出せないよう、首を狙うというのだが……。その方法は火薬の詰まった樽を獣の皮で包み、餌と思わせ食べさせるというのだから。奇想天外で、驚いてしまう。
そんな話を聞かせてくれるので、朝食はいつも以上にすすんだ。
その後のカルロス様が不在の食事、お茶の時間には、ヴィンス隊長に必ず同席してもらい、話をしてもらった。何度も魔物の討伐に出ているし、様々な魔物が存在するので、ヴィンス隊長の話が尽きることはない。
おかげでカルロス様がいない食事の時間を、寂しいと感じることはなくなっていた。それに私の部屋には、沢山の書物が用意されていたので、食事の時間以外は、本を読んで過ごすことで、気を紛らわすこともできている。
ただ、リオと話すと言っても、それは一度か二度と思っていたのだけど。
先代聖女の容態が、安定したこともあり、リオとカルロス様が話す機会は、何度となく設けられている。
気づけば丸二日、カルロス様と食事は勿論、それ以外の時間でも会っていなかった。
◇
「カルロス様、リオ様と話す時間は、まだまだ必要なのですか?」
リオが来て三日目の朝。
カルロス様と久々に朝食をとることになった私は、そう思わず尋ねていた。
もはやヴィンス隊長がいるので、食事にカルロス様がいなくとも問題はなかった。どちらかというと、カルロス様がリオをどう思っているのか。それが気になり、問いかけた部分が大きい。
私の問いに対し、カルロス様は……。
「リオ様はとてもお寂しい身の上のようで……。辛い子供時代からの話を聞いています。ですから時間が少しかかりそうです。苦しい時は誰かに話すことで、楽になりますよね。わたしにできることは、話を聞いてあげることだけです。それでもリオ様のお気持ちが楽になるのであれば……。そう思い、お話しをお聞きしています」
そんな風に言われてしまうと、リオがどんな人間であるか、増々話せなくなる。言うなら最初にしておくべきだったと思うが、それは後の祭り。
そして――。
リオが姿を現して五日目。
聖女の容態が急変し、その命が神に召された。その日の午後、私は突然、婚約破棄を突きつけられることになった。
私と目を合わせないカルロス様。
そしてリオの左手の甲には、自身の紫のドレスに合わせたかのように、聖女の証である紫の薔薇の紋章が確かに咲いている。
これが意味すること、それは――。
カルロス様とリオが、寝所を共にしたということ。
つまり二人は、身も心も結ばれたことを意味していた。
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