第2話:もう一人の聖女
あまりの急展開に、私が戸惑いを隠し切れないでいると、王太子カルロスは「聖女様の気持ちを汲みましょう。先代聖女はまだ亡くなったわけではないのですから。それにわたしはまだ、聖女様のお名前すら分からないのです。わたしとしても、聖女様のことを知りたいと思います。それに少しでも聖女様に、わたしのことを知ってもらってから、婚儀を挙げることができればと思うのです」そう言ってくれたのだ。
王太子カルロスは……カルロス様はとても優しい。
彼は神官長を説得し、私を連れ、王宮へ向かうことになった。カルロス様はいろいろな儀式に猶予をつけてもらえないか、国王陛下を説得してみると言ってくれたのだ。
ひとまず神官長が用意してくれていた白いドレスに着替え、馬車にカルロス様と共に乗り込み、宮殿へ向かうことになった。元いた世界で着ていたシャツやスーツを脱ぎ、ドレスに着替えることで、これが夢ではなく現実であることを噛みしめることになる。
さらには人生初の馬車に乗り、ここが元いた世界とは文明のレベルが全く違うのだと実感した。
宮殿に着き、シンプルな造りの神殿に対し、豪華絢爛な建物や調度品、シャンデリアなどに、本当に驚いてしまう。元いた世界でベルサイユ宮殿を見たことがあったが……。
ここには沢山の人がいる。貴族、騎士、使用人といったこの世界をリアルに生きる人が揃うことで、この宮殿の壮麗さが増しているように思えた。
そんな中、カルロス様にエスコートされ、向かった先は「謁見の間」。
対面した国王陛下は、顔付きはカルロス様に似ている。でも金髪は白に近く、瞳はグリーンがかった青だった。その国王陛下にカルロス様は、私が困惑しており、気持ちを落ち着かせるためにも、時間を必要としていると話すと……。
国王陛下は条件付きで、カルロス様の提案を受け入れてくれた。
条件。
それは婚約については今日行うこと。婚儀はひとまず三日の猶予。ただし、先代聖女が亡くなることがあれば、婚儀は即行うというものだった。
本来なら即日婚儀のところを三日でも猶予をもらえたのだ。私としては交渉してくれたカルロス様に対し、感謝しかなかった。しかし彼は……。
「アンナ様、申し訳ないです。婚約は……この書類にサインいただけますか。もしサインいただけないと、父上はあなたをこの国から追放すると言っています。これにはまだ王太子の身のわたしでは、どうにもできなくて……」
私の名前をすぐに覚えてくれたカルロス様は、申し訳なさそうにそう言うが、それはもう仕方ないと思った。
聖なる力に目覚めていない聖女が、この国の外に出れば、魔物に襲われ、命を落とす。
階段から落ち、私は命を失ったと思っていた。
でもこの世界に召喚され、命拾いができた。
せっかく助かった命なのに魔物に殺されるなんて嫌だ。
少し考えてから婚約に必要な書類に、ひとまずサインをした。
その後はカルロス様と時間を過ごすことになる。
三日間で彼のことを、好きになれるのだろうか?
とはいえ、この国は私の意思など関係なく聖女として召喚した私を、手放すつもりはないだろう。
それに……。
もう健斗とも会うことは……できないのだ。
理央との一件を、ちゃんと健斗に聞いておけばよかった。
モヤモヤした気持ちを私は抱えていたが、カルロス様はそんなこと知らない。
何も知らないカルロス様は、私が聖女としてこの国を好きになってくれるよう、また自身のことを分かってもらおうと、懸命に言葉を重ね、行動してくれた。カルロス様が悪い人ではないこと。それはよく分かった。
こうして召喚初日はもう夜も遅いので、案内された部屋で休むことになった。
◇
次の日、カルロス様は宮殿内の様々な場所に私を案内し、ブラウン王国の歴史を話してくれた。
共に食事をし、馬にも乗せてもらい、王宮の特別な温室も見せてくれる。宮殿の外へ出て、馬車の窓越しであったが、王都とその街の様子を見せてくれた。
そこはまさにヨーロッパのような街並みで、沢山の人が暮らしている。パン屋、花屋、果物屋。本屋、雑貨屋、家具屋。レストラン、屋台、宿屋。そこを行き交う沢山の人々。彼らの生活を守るために、聖女が必要なのだと、理解することができた。
何より、あの場所に案内され――。
「ここは西の城門で、西の地は比較的、魔物が少ないと言われています。西の地には精霊が住んでいるため、魔物もそこにはあまり近づかないようなのです。よって隣国との交易は、主にこの西の城門を使い行っていますが、魔物が一切現れないわけではありません。聖域の外は常に魔物と隣合わせなのです」
西の城門で馬車を降り、特別に城壁の上から、外の景色を見せてもらった。ものすごい高さの城壁から見渡した西の方角には、広大な森が広がり、その背後に山脈が見えている。森の上空は晴れているのに、森が途切れた辺りの上空は、灰色の空が広がり、靄が漂っている。
得体の知れない生物の咆哮が聞こえ、遥か遠くの上空に何か飛んでいる姿が見えた。この距離から視認できるということは。鳥などではない。相当なサイズなのだから、きっと邪竜と呼ばれる魔物なのだろう。
確かにこの世界には魔物が存在し、聖女が必要されていると、実感として理解することになった。
カルロス様と過ごし、私は聖女として召喚されたからには聖なる力に目覚め、この国とそこで暮らす人々を守る必要があると理解することはできた。会社員として働いていた日々がとても昔のことに思え、健斗のことも……諦めるしかないと思えてきた。
聖なる力に目覚めるために、この国の王太子と結ばれる――。
その王太子であるカルロス様は、親切で優しく、私のことを貴婦人のように扱い、尽くしてくれる人物だった。悪い人ではない。むしろ良識のある立派な人物に思える。
自分の気持ちに向き合い、カルロス様のことを知り、健斗を忘れようと努力しているうちに、三日間の猶予期間は、あっという間に終わってしまった。
一方、衰弱していると言われていた先代聖女は、まだ無事だった。
先代聖女が存命しているのだ。
あと数日、婚儀を延ばすことはできるかもしれない。
でもその数日で気持ちは固まるのだろうか?
カルロス様への気持ちは揺るぎないものになるのか。
彼のことは、好ましいとは感じている。
でも……諦めるしかないと分かっていても、頭の片隅には健斗のことが残っていた。
もし理央と関係を持っていることが確定していたら。
こんな気持ちにはならず、カルロス様に、すぐに気持ちが切り替わったかもしれない。実際のところ、理央とどうだったのか、健斗に確認することなく、この世界に来てしまったのだから……。
この消化不良な気持ちは、あと数日、婚儀までの猶予をもらっても、変わることはないだろう。
それにハッキリしていることが、一つある。
私に選択肢はない――ということだ。
聖女になることを拒めば、魔物の餌にされる。
よってどんなに先延ばしをしても、カルロス様と婚儀を挙げるしかないのだ。
……死にたくはない。それにカルロス様なら……。
強引に無理矢理に――ということはないはず。
カルロス様ならきっと優しくしてくれるだろう。
彼となら結ばれても……そういう気持ちに、なんとかもっていこうとしていたまさにその時。
「もう一人の聖女が、この王都へやって来たそうです」
午後、国王陛下と会うことになっていた。
そこでさらなる猶予を乞うか、婚儀を挙げると伝えるか。
それをカルロス様と昼食をしながら話している時にもたされたのが、もう一人の聖女が王都に来たという情報だ。
一体、どういうことなのか。
魔術師には派閥があった。
王宮付きの魔術師の他に、神殿付きの魔術師という一派がいた。
聖女の召喚は通常、王宮付きの魔術師が行っており、ゆえに彼らの権力は絶大だった。神殿付きの魔術師は、歴史は長いものの、日陰の存在。王宮付きの魔術師のスペアのような存在だった。
日の目を浴びたい、権力を得たい。
そう考えた神殿付きの魔術師達は、大胆な手段に出る。
神殿付きの魔術師達は、秘密裡に、聖女の召喚を行っていたのだ。私が召喚された日に。
しかもその召喚はバレないよう、王都から離れた場所で行っていた。というのも聖女の召喚は、魔術としてはとても高度なもの。失敗の可能性もあった。成功すれば、堂々と聖女を召喚したと告げる。失敗したら、召喚などしていなかったと、なかったことにする。
よって遠く離れた場所で、召喚を行った。神殿付きの魔術師達が、聖女の召喚を試みていることは、王宮の人間は誰も知ることがなかった。
さらに彼らは、聖女の召喚に成功した。そこで神殿付きの魔術師達は、召喚した聖女を連れ、王都へ乗り込んだのだ。
こうして私は、もう一人の聖女と、宮殿の「謁見の間」で顔を合わせることになる。
国王陛下の前で、神殿付きの魔術師達と共にお辞儀をしていた聖女が面(おもて)をあげた時。
その顔を見て……私は驚愕する。
白いドレスを着る私の前に現れたのは……。
淡いパステルピンクのドレスを着た、小顔で小柄、でも胸は大きい。垂れ目で唇の近くにホクロがあり、髪は栗色のゆるふわの癖毛。
神殿付きの魔術師に伴われ、この場に登場した聖女は――。
「初めまして、皆様。私が聖女リオですぅ~」
鼻にかかったような甘ったるい声で挨拶をするのは間違いない。
不二山理央だ……。
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