⑯特別な私に
「………はぁ」
「…なぁ詩喜。いずみん、元気ないけど何かあったのか?」
「それが…何も話してくれなくて……」
「生理中ってわけでもなさそうだしね……テストや文化祭、体育祭があったから疲れてるのかな?」
「だとしても……ここ最近ずっとあんな感じですよね…」
「和純、最近元気ないけど何かあったのか?」
「………」
「和純さん、さっき焼いたシュークリームあるから皆で食べよう?カスタードに貴重なトンカ豆も入れたからすっごい美味しいはずだ」
「………」
ほっといて欲しいはずなのに、兄や矢間さん達は構わず私に話し掛けてくる。確かにここ最近は定期テストや文化祭、体育祭などで忙しい日々を終え、疲れているのも事実ではあるのだが、二つほど大きな悩みを抱えていた。それは高校卒業後の進路と、修学旅行という大きな壁だ。このサロンにて日に日に綺麗になっていく私を面白く思わない生徒も多く、未だに友達といえる存在がいないのだ。しかも行先は関西…。東京とはまた違う大都会で、生涯の思い出となる修学旅行を一人で過ごす未来が見える。それにもう一つ重要なことが…。それは高校卒業後の進路だ…。私が大人気美容系YouTuberである小沼詩喜の妹だと世間に知られてる以上、安泰な人生が見えない。でも、それを兄達に話すと罪悪感で心臓が抉れそうだ。兄達の顔を見ずに、ただクッションに顔を埋めていたが、虎哲さんが席を立ち、冷蔵庫から大皿と飲み物を取り出し、テーブルに出した。
「……とりあえずこれでも食べて」
「うんめ〜!和純ちゃんも食えよ!店レベルだ」
「トンカ豆はバニラの香りに似た甘い香りのスパイス……カスタードクリームとかに入れたらすっごく美味しくなるんです。玄牙さん…和純さんや俺の分も…あと龍聖さんの分も…」
「……まぁ、とりあえず何か悩んでても肌や髪に悪いだけだ…話してみなよ」
「…矢間さん。実は……今度の修学旅行や進路がめちゃくちゃ不安で……」
「あれだろ?行先は関西だっけ?一人で行動する未来が見えるってことか…」
「うん……でもこのことお兄に話しても罪悪感増すだけだし…」
話していくうちに、声が細く小さくなっていく。それでも私は、兄達に修学旅行や進路についての悩みを打ち明けたのだ。一通り話し終わると……
「なるほど。修学旅行での班行動が不安…あとはやりたいことはあるけど進路は不安…か」
「うん。私、皆と同じ美容系のお仕事がしたいの」
「化粧品メーカーだと、理系大卒の人間が理想だね。ちなみに俺と玄ちゃんは美容専門学校の後に、美容室やメイクスタジオでバイトしながら理系大学に進んだよ」
「俺は、家庭が貧しいこともあって、夜間の調理学校に通いながら大学の建築学部にいるよ」
「そうそう。ちなみに龍聖さんは俺と同じ大学だったんだけど、卒業後に海外の大学院に編入したんだ」
「ひぇぇ……皆優秀過ぎます」
「だから俺達みたいに、大学に通いつつ学びたい専門知識を学ぶってのもありなんだよ」
「よし、そうと決まればいずみん、ネイルしながらじっくり考えようか」
龍聖さんの部屋から出て、皆でサロンへ移動した。玄牙さんの担当するメイクスタジオに入り、玄牙さんは幾つかのサンプルとネイルを持ってきた。
「……これがネイル…こんなにたくさん……」
「これ全部俺が作ったんだぜ?凄いだろ」
「玄ちゃん、ネイリストやアイリストでもあるからねぇ…」
「そういうお前らも、ヘアメイクアーティストだろ…ちなみにだけど、一応コイツらもメイクやネイルは出来るからな」
「一応ってなんだよ……とりあえず和純の爪を磨いてあげようよ」
「言われなくてもやるつもりだわ……とりあえず、やすりで爪磨いて、甘皮も取るからな」
一本一本の指の爪を、玄牙さんは丁寧にやすりで磨いていく。玄牙さん曰く、爪を磨くことでネイルがムラなく綺麗に塗れるらしい。長いアイスの棒のようなものを出し、はみ出ている爪を磨いた。
「これはエメリーボード。爪伸びてると感じたら削るやつだ。爪の先端に四十五度に傾けて削るんだ」
「へぇ……今までは爪を意識したことなかったです…」
「だろ?爪は意外と見られる箇所だからな…清潔感も美意識も増すからたまにやるといい。ネイルも楽しくなる」
「なんか…甘皮?とかありますけど…それは?」
「キューティクルのことさ。甘皮は爪の根元を保護したり、細菌や異物が入るのを防ぐ役割があるんだ。甘皮を適切に処理することで、爪の成長を促したり、ネイルの持ちを良くするんだ」
「へぇ…全部取ればいいってわけじゃないんですね…」
「そうっ!見えづらいが、ルースキューティクルは、目では見えないくらい透明なんだ」
矢間さん曰く、キューティクルと甘皮は同じ意味を持ち、ネイル用語ではエポニキウムと呼ばれているらしい。玄牙さんの丁寧な自爪磨きにより…私の自爪は綺麗に削れていた。
「すっごい綺麗…」
「だろ?だが、いずみんの爪はまだまだ綺麗になるからな!」
「エメリーボードは爪の形を整えるものだと覚えとけよ〜?次はこのウッドスティックやプッシャーで甘皮を取るんだ。これは綿棒でも代用出来る」
「へぇ……」
「大体こんなもんか……それじゃ次はお待ちかねの、爪の表面を磨くぞ。このやすり…バッファーで爪の表面を整えるやつで、グリット数が大きいほど目が細かくて、逆にグリット数が小さいと目が荒くなるんだ」
「いやー、玄ちゃんの手はエグいぞ〜?どんな爪もピッカピカになるんだ!あ、ちなみに爪が弱い人は二枚爪になりやすい…」
先程のエメリーボードとはほぼ見た目が同じであるネイルバッファーは、爪の表面を磨くものだという。別名スポンジファイルともいわれていて、エメリーボードで爪を削った時に出る削りカスを取る時にも使えるらしい。玄牙さんと共にネイルケアに必要なものを紹介している矢間さんはあることに気付いていた。
「あ、和純ちゃん…爪の表面に縦じわあるね」
「本当だ。いずみん覚えときな。爪の表面に縦じわあるのは爪が乾燥してる可能性がある。横じわだと過去にやったケアに問題があることが多いんだ」
「なるほど……」
「本来ならネイル美容液やネイルオイルで保湿するのが好ましいけど、ハンドクリームでも爪の保湿は出来るぞ」
「ほら、俺の爪見てみなよ…甘皮処理ちょっとやり過ぎたかも…ネイルで隠してるけど、横じわあるんだよね」
「…詩喜の爪は後で俺が何とかするよ…」
「その……この爪のしわを消すにはどうすれば…」
「とりあえず、このスポンジバッファーで爪をフラットに整えて…あ、ちなみにこれ爪に優しいものでもあるからな」
「ハンドクリーム……確か万人受けする香りは石鹸と桃の香りかぁ…和純さん、好きな香りある?」
「ん〜、さっき虎哲さんが作ったカスタードクリームの香り!」
「トンカ豆…バニラや杏仁、桜、ココナッツのような香りか……」
「確かにあれ結構いい香りしたよね…めちゃくちゃ美味しかったし…」
「ほら見ろ!フラットになっただろ?」
「わぁ…先程とは全然違います…」
私の爪は縦じわがあり、爪の表面が乾燥しているらしい。なので玄牙さんがシャイナーと呼ばれるもので爪を磨くことで、私の爪は艶やかになった。それに、ハンドクリームを塗るついでに爪にも塗るといいと教わり、私は数十分前とは全く違う自分の爪を見て驚いた。
「わぁ…本当にピッカピカ…」
「爪を磨くことで、美意識も清潔感も上がるのは分かっただろ?」
「はい……やっぱり美容って…凄い!」
「それでそれで…考えはまとまったかい?」
「あ……やっぱり、美容系のお仕事したいです…」
「具体的に言えば?美容師?メイクアーティスト?ネイリスト?」
「んん……セラピストってやつかな…私みたいに生きづらいと感じてる人を、美容で救いたい」
「アロマセラピストってやつか…いずみん、使う柔軟剤とかヘアオイルの香りに結構拘ってるよな」
「和純ー、今日俺が使ってる香水、なんの匂いか分かる?」
「んん……あ、アールグレイの香り!てか香水って…どこにどう付ければいいんだろ…」
「ふふっ…和純ちゃん、今度龍聖さんと旅行に行くんでしょ?この香水、お試しサイズだから使ってみるといい」
「あ、ありがとうございます……あの、どこに付ければ…」
「手首、首筋、ウエスト、膝裏とかかな…香水は香料と水、アルコールで出来ていて、それらの割合を賦香率っていうんだけど、それや香りとかによって付け方も若干変わってくるんだ」
最後に柑橘系のネイルオイルを塗って爪を保湿し、玄牙さんによる爪のケアは終わった。矢間さんからもらった香水は、桃と杏仁の香りがするものだった。それを一振りしてみると、甘く女性らしい香りがした。
「めっちゃいい匂いじゃん……矢間、その香水どこで買ったの?」
「あー、これね…俺が香水作り体験で作ったやつなんだよ。俺天才かも」
「確かにその匂いのヘアオイルとかあると最高だよなぁ……和純、気に入ったか?」
「うん!矢間さん…ありがとうございます」
「役に立って良かったよ……あ、そうだ。今日のお風呂でこれ使ってみるといいよ」
「これは……」
「スクラブだよ。古い角質や皮脂、汚れを取り除く、滑らかな肌にするんだ」
「細かい粒子状の研磨剤が入ってるから、優しくマッサージするように使いな。スクラブ使うとより肌が乾燥しやすいから保湿を忘れるなよ」
そしてその夜、夕食を食べ、お風呂に入ってる時のこと…。玄牙さん達のアドバイスを元に、もう一度進路について考えた。大学進学はしなくてはいいのだが、とにかく美容系の職に就きたい。とは思っているものの……
「和純ー!スクラブ使おうぜっ!」
「………うわあ」
兄も同じ浴室に入ってきた。兄と暮らし始めて、一緒にお風呂に入ることには慣れているつもりだが、世間的におかしいのだろう。だが、年頃の妹がいるにも、兄自身が大人気の美容系YouTuberだというにも関わらず、兄妹一緒に入浴している。最初は拒否していたのだが、兄が聞かなく、無理やり慣れるしかなかった。
「バスソルト入れた?」
「あ、忘れてた!」
「よし、今日はビタミンCとヒアルロン酸の入浴剤に…バスソルト入れよう。浸かる美容液ってやつだな」
「最近の入浴剤も、進化してるんだねぇ…」
「そうっ!あとこれ……矢間が和純に使って欲しいって……」
腰にタオルを巻いた兄が、浴槽の湯の中に入浴剤やバスソルトを入れる。シャワーを浴び、浴槽に兄も浸かると、例のことについて聞いてきた。
「………進路はまだ…」
「とにかく私、美容系の仕事に就きたいの」
「あー、龍聖さんとも話してみたんだけど、通信系の理系大学に通いながら、美容専門学校通うのはどうかって」
「なるほど…そしたら美容により集中出来るね!」
「確かに和純は理系少し得意だもんな!分からないやつは玄ちゃんか虎ちゃんに聞いてくれ!俺は美容系のこと全部答えるぜ」
「…お兄、勉強と料理はダメだよね…」
「まあまあ。とりあえず、このクレイパックと酒粕パックとかやりながら他にもゆっくり話すか!水も持ってきたし」
この夜、私は兄が考えた進路に決めることにした。もちろん皆もその進路に納得してくれ、学費は龍聖さんが払ってくれるとのことだった…。これからも、自分らしく、美しくいたいのだ……。
……To be continued
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