第10話 答えはそこにあります

青年は、私を応接室へ案内した。私は促せるままソファーに座ると、彼は軽やかな足取りで出て行った。私は、手持ち無沙汰で、とりあえず応接室を眺めた。1番最初に目に入ったのが、壁一面に占めている大きな本棚だった。そこにはびっしりと英語らしき専門書が収まっている。一体、何の本なんだろう?教会なのだから、キリスト教関係なんだろうか?流石に古書店で働いているから、多少なりとも本の知識はあるけど、いくら見てもサッパリわからなかった。そして、私の視線は自然と本棚と向き合う様に佇んでいる大きな振り子時計に移った。振り子時計は、ただ黙々とカチカチと時を刻んでいる。年代を感じさせる代物で、もしかすると一世紀は時を刻み続けているのかもしれない。私は、骨董の知識はないけど、物珍しい気持ちで近づいて見ていると


「その古時計は、この教会を初めて建てた宣教師が、ドイツから持ってきた物なんですよ」


私は、不意に背後で声をしたので振り返った。そこには青年は、穏やかな表情でコーヒーカップをテーブルに置いているところだった。昼下がりの応接室に穏やかな日差しと甘いコーヒーの香りが部屋一面に満たしていた。私は、なんとなくここの部屋の時の流れが、特別遅い様な気がした。そこには、東京では感じることができない、牧歌的なゆったりとした空気がそこにはあった。その空気は、私が道中感じてきた不安によってささくれた心を自然と落ち着かせてくれた。私は、今までの不安を忘れて、青年に応えるように微笑み返しながら、ソファーに座った。


「このコーヒーは、地元の焙煎場で特別に煎ってもらった豆を使っているんですよ。香りだけでなく、味も深みがあるんです。まぁ、素材は良くても淹れる本人はまだまだ未熟くなんですけどね」


と青年は、くしゃっと顔を綻ばせて笑顔で話した。私は、青年が純粋におべっかや建前でなく本心から笑っているのが一目でわかった。この青年は、狡さや悪賢さがみられない、東京では会ったことのない特殊な人柄だと改めて感じた。


「どうぞ、冷めないうちに召し上がってください。そうしないと、せっかくのコーヒーの美味しさが薄れますから」


私は「いただきます」と言って一口コーヒーを飲んだ。香りもさることながら、深みと甘みが際立つ、暖かい味がした。私は、ふと昔いきつけの神保町の喫茶店のマスターから「コーヒーを淹れるとその人の心の味がするんだよ」と言った言葉が頭によぎった。

私は、青年の心のこもった穏やかなおもてなしに感謝する様に、穏やか笑みを送って


「とても美味しいです。とっても暖かい…」


と思ったまま口にすると青年は満足そうに頷きながら


「それなら、よかった。ああ…すみません、まだ僕名乗ってなかったですね。僕は、この教会の牧師をしている。松田清と言います」


「え?先代の松田先生かなりのご高齢だったと聞いていたので清先生も、てっきり初老の方だと思っていたのですが…」


「ふふ…」


と、清先生は笑い声を漏らすと


「僕はお義父さんとは、血のつながりがないんです。お義父さんが孤児院を高齢で維持できないうえに、教会員も年配が多くなって郊外だと通うのも難しくなってきていました。それで孤児院を畳む時に最後の神の子供の僕を養子にして、ここに教会を移したわけです」


私は、コーヒーを口にしながら黙って話を待った。コーヒーは、冷めてしまっていたけど、それはそれで心地の良い風味が口の中に広がっていた。


「お義父さんが亡くなったのは、ちょうど僕が成人して神学校を卒業したばかりの頃でした。もちろん、右も左もわからない若造でしたが、この教会の教会員はベテランさんばかりなのでありがたいことに庶務は任せて、牧師の仕事のみに集中できたのです。」


 と一通り話終えた清先生はにっこり微笑むと私に穏やかな視線を送って


ー 大丈夫。警戒することはないよー


と語っていた。私は、清先生の視線から逃れる様に空になったコーヒーカップをしばらく見つめながら、溢すように


「改めまして、私は神田ことはと言います。じつは私も神の子供だと先日わかったのです。元々私のお父さんが松田先生に仕事の用で会って、そこからキリスト教に目覚めたらしいのです。そして、家庭内DVで逃れていた私をお父さんが引き取って、その後まもなくお父さんは亡くなりました。もちろん、お父さんの変わりようが激しく家ではかなり揉めたみたいですが、私がお父さんとお母さんとの血が繋がっていないと感じさせないくらい愛してくれました。私は、知りたいのです。私の本当のお父さんや、お母さんが誰で、お父さんがすっかり変わってしまったキリスト教の教えがなんなのかを」


清先生は、終始穏やかな顔で合間合間に頷きながら黙って私が語るのを聞いていた。清先生は、一通り私が語り終えるまで、黙って私をしばらく見つめた。そして、ゆっくりと細く長い人差し指を私の心臓に向かって指すと


ー答えはそこにありますー

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