第9話 運命の彼

私は、唐突な「神の子供」と言うフレーズに何か本能的な忌避感を感じた。運転手さんは、私の反応が快くないと表情から感じたのだろう、気まずそうに


「失礼しました。私は松田先生を尋ねるからてっきり…」


「そもそも、神の子供ってなんですか?」


運転手さんは、まるで口に意外な物が入った様な驚いた顔をして


「神の子供も知らずに松田先生を尋ねて来たのですか?」


私は、黙って首を縦に振ると


「松田先生は、生前俗に言う孤児院を経営していました。家庭内DVから逃れる為に入った子供。また事故などで両親を亡くして頼る人がいない天涯孤独の子供など、松田先生は社会の闇に深く沈んだ子供達を先生なりの情報網で日本中から集めていたと聞きました。北は北海道から、南は沖縄まで先生は日本中全ての不幸な子供を救わなくてはならないとよく言っていたと聞きます。そして、集めた子供たちに先生は

『あなたたちの本当のお父さんとお母さんは、天国にいる神様です。私は、その神様にお願いされてあなたたちを育てているのです。ですから、あなたたちは


ー 神の子供 ー


なんですよ』


とよく言っていたらしいです。先生は、出来が良くても悪くても関係なく子供たち一人ひとり差別することなく平等に接していたと言う話です。先生が亡くなって、しばらくはなります。ですが、今も時々ここにはかつての「神の子供」たちが先生を偲んでよく尋ねてくるんですよ」


と運転手さんは顔を紅潮させながら、まるで自分のことの様に誇らしげに語った。私は、そんな亡くなっても地元の誇りとなった松田先生の人となりに驚かずにはいられなかった。


私は私が亡くなった後、誰かからか、あの人は素晴らしかったと呼べる人生を歩めるだろうか?普通の人では、時々思い出させれてはしても、誇りとして語られるのはまず無理だろう。これから尋ねる人はそんな無理を成し遂げた人だ。私は、想いを新たに


「では、運転手さん、松田先生のお子さん清先生の教会までお願いします」


運転手さんはドアを開けて私をタクシーに入れた。そして、運転しながら松田先生の逸話や神の子供たちの中には有名大学の教授になった人がいるなど、松田先生に関する話題を尽きることなく語っていた。私は、自分とお父さんに関する様な話が出てくるのかと期待したが一切関係ない話ばかりだった。私はある意味失望して、結局最後は諦めて運転手さんには、悪いけど聞き流した。

タクシーは、商店街を抜けしばらく走った後、郊外の住宅街に入った。すると、私は十字架が一際大きく印象的な建物が目に入った。それは、住宅を改装した感じがした建物で一目で教会だとわかる外装だった。ライトイエローの外装がどことなく私を落ち着かせてくれる。タクシーも当然そこで止まった。私は礼を言って料金を払うと、運転手さん料金を受け取りながら、ご機嫌の笑顔を私に送った。そして、運転手さんは明るい口調で一言「良い旅を」と言ってタクシーは私を残して去っていった。私は小さくなるタクシーを見送ると、教会へと向き直った。シックな真新しい木目調の大きいドアの横に、さりげなくインターフォンがあるのに気づいた。私は、しばらくインターフォンを見つめた。これから私はお父さんと自分の過去に向き合わなくてはならない、その覚悟があるのか?知らないままでも、私の生活は変わらないだろう。でも、私は知りたい。いや、知らなくてはならない。私は、本当はどこの家から生まれて、どうしてお父さんに拾われたのかと。私がこのボタン一つ押せば、その謎のピースの一つが解ける。知らないうちに私の人差し指が震えている事に今更気づいた。


私は怖い、現実が。きっとそこには見たくない事実が地獄の蓋に閉ざされている様に眠っている。私は、それを開けようとしている。私がこのインターフォンを押せば、間違いなくそれらが私を捉えて悩ませる。そして、現実を知れば私は元の私に戻れなくなる。それでもいいのか?内心自分自身に問いかけた。ひととき私の心の中に色々な想いが渦巻いた。そして、私はただ黙って考えた。私はその想いの答えとして弱気な心を振り払う様に力強くインターフォンを推した。


ー ピンポーン ー


静寂な世界に呼び鈴のみがただ響いた。


すると


「はーい」


と若い男性の明るい声が中から聞こえてきた。そして、唐突に扉が開いた。すると中から背が高く、体型が細身の眼鏡が印象的な穏やかな顔をした青年が顔を出した。


青年は、私を見て意外だったのか、一瞬驚いた顔をしたがすぐに穏やかな笑顔を浮かべて


「いらっしゃい、中にお入り」


と、優しい口調で言った。彼は、私の素性とか、訪問の目的も聞くことなく快く教会の中へと誘った。


この彼との出会いが、私の一生において一番の転機となった。これからの私の人生に彼が

深く関わっていくという事にこの時の私には、まだわかっていなかった。


ただ言えるのは神様が数奇なきっかけを通してかけがえのない


ー運命の彼ー


と出会わせてくれたのだった。

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