◆5日目 夜 〜The last promise〜
ー33ー
いつもより少し早めの時間。
夕食を運ぶカートとすれ違いながら、木蓮はヒバナに言われた通りに1人で病室へと向かっていた。
窓から覗く空はかなり雲の厚みが増してきており、すれ違う人の表情を薄闇に溶かして曖昧にさせる。
――数日前、初めて病室を訪れた時はどうだっただろう。
ふとそんな考えが浮かんだが、あの時は不安と緊張感で周りを見る余裕はなかったのを思い出す。
それから毎日通ってきた廊下。
まるで違う風景に見えるのは、1人きりで歩いている所為なのか、それとも。
物思いに耽りながらも、通い慣れた足は間違える事なく目的の部屋の前で止まった。
「待ってたよ〜! もっくん。さ、座って座って」
ノックをしてそっと扉を開けると、笑顔で手招きするヒバナが木蓮を迎えた。
ベッドに腰掛けているヒバナは自らの隣をポンポン、と叩いて座るよう示す。
「ふたりだけで会うの、久しぶりだね」
誘われるまま木蓮はヒバナに近づき、彼女の傍にぽすんと腰掛けた。
「そうだね~。なんだかんだ色々と用事とかもあったし、病気になってからはいろんな人がわちゃわちゃと入れ替わり立ち替わりだったからね」
ふう、とひとつ息を吐くとヒバナはぱん、と両手を自らの胸の前で合わせる。
「あ、そうそう。夜の検診も毒島先生に言ってちょっと早めに終わらせてもらったんだ。だから、これから夜寝るまでは木蓮を私が独り占めしちゃっていいの!」
そう言って木蓮に抱き付くヒバナの肩に、木蓮は額を寄せる。
「俺が独り占めしちゃっていいの?」
そう返す木蓮の身体に回された腕に、ぎゅっと力が籠った。
「……本当のことを言うとね」
「うん」
「多分、私は明日、もっくんのこと忘れる」
「……うん」
「何となく、自覚があるんだ。残された時間も少なくて。だから、だから最後にいーっぱい、話したくて。……駄目かな?」
「……駄目じゃないよ」
「ありがとう」
その言葉と共にもう1度、木蓮の身体が強く抱きしめられ、温もりがそっと離れた。
「……もう、なんか恥ずかしいなこういうの」
少し顔を赤らめたヒバナは、ニコニコと笑いながら木蓮の腕にギュッと抱きつくと、顔を覗き込む。
「ね、最近はどう? ごめん。その、UGNに関してはよく覚えてないんだけど……」
「最近……か。なんだろう? 今週はずっとバタバタしてたから、3人で一緒にいたのがずっと前のことみたいでさ」
「ああ、そうだね」
「今までどんな話をしてたんだったかな」
木蓮はぽつりと呟くと口を噤み、何を話せばいいのだろうかと思案に耽る。
「そうだね。改めて考えてみるとこうやって話す事はあんまりなかったかな。いつもは3人でわちゃわちゃしてたもんね」
「うん、そうだったね」
うんうんと頷くと、ヒバナは腕を絡めたまま木蓮に寄りかかる。
「もっくんはさ、私とミズキにとってはね、妹とか弟とか、あと子供? みたいな感じなんだ。……って言うと、もっくんは怒るかな」
えへへ、と照れ臭そうに顔に掛かる髪を弄りながらヒバナは笑う。
木蓮はふるふると首を横に振った。
「ううん、そんなことない。俺もふたりのこと、人間でいう親……みたいに思ってるから」
「そうなんだ」
肩に掛かる重みに、木蓮もそっと体重を預ける。
「ふたりがいろいろ教えてくれたんだよ。人と話すことは楽しいとか、ご飯を食べると美味しいとか、笑うとお腹が痛くなるとかね。そういうことさ、教えてくれたのはふたりなんだ」
「うん、そっか。そっか……よかったぁ。もっくんの中に、私がいるんだ」
ほっと息を吐いたヒバナは、そのまま木蓮の肩に顔を埋めた。
「私もね。もっくんからいっぱい、いろんなことを教わったよ」
「……俺、何か教えられたかな」
「うん」
「だったら……」
続けようとした言葉が喉に詰まり、そのまま木蓮は口を強く引き結ぶ。
(でも、それも忘れちゃうんだよね)
今こうして話していることも、全部。
覚悟は、していたつもりだった。
たとえ忘れられても、何よりも大切な2人が生きていることがいちばん大事なのだと。
そう思っていた筈だったのに。
――「多分、私は明日、もっくんのこと忘れる」
先程耳に届いた言葉が、鉛を飲み込んだようにずしりと胸に沈んでいる。
俯いたまま、木蓮は膝の上の手を知らず強く握りしめていた。
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