ー32ー

 毒島医院の中庭は、こぢんまりとしながらも外周には木が絶妙なバランスで植えられ、花壇には色とりどりな花が咲き誇っている。

 木陰にはベンチが設置されているが、流石に茹だるような暑さの中で腰掛けている人は他に誰もいなかった。


「さて、まずは現状を整理しようか」

 ミズキは木漏れ日が陰を作るベンチに木蓮と並んで腰掛け、手帳を開いた。

 走り書きを残しながら、思考を整理していく。

「毒島先生の見立てでは、ヒバナに残された記憶はボク達ふたり分だけだ。そして、明後日の朝には全ての絆を喪い、彼女は……」

 その先の言葉を口にすることはできず、唇を噛み締める。

「うん。そして、ヒバナの病気の進行を止めるためには、ミズキの “対抗種” を移植する事が必要。だけど……」

「……レネゲイドウイルスを移植すれば、ボクは、死ぬ」

 木蓮の言葉を受けて、ミズキは自らの未来を告げる。

「毒島先生の説明を聞いた限りでは、恐らくこれは避けられないことだ。このまま手をこまねいていればヒバナが消えてしまう。だけど、ヒバナを助けるためには、ボクの命を捧げるしかない」

「俺も、毒島先生に色々聞いてみたんだ。でも、ミズキもヒバナも助けられる方法は、わかんなかった」

 悔しそうに膝の上で拳を握りしめる木蓮の手に、ミズキはそっと自らの手を重ねる。

「ありがとう、木蓮」

 木蓮は黙ってふるふると首を振る。

「……ヒバナの体質は特別で、他の治療法を探すまでの時間を稼ぐこともできない。だから、移植をするなら明日が期限だ」


 ヒバナの命か、自分の命か。

 その二択なら、答えは選ぶまでもない。

 始めは、そう思っていた。

 ――いや、今でも。

 ヒバナを喪ってしまう事を考えるだけで、身体の芯から熱が根こそぎ奪われていくような、足元がガラガラと崩れ落ちていく感覚に襲われて身体の震えが止まらなくなる。

 彼女のためなら、自分の命を捧げることなど大したことではないと、そう思っているのに。

 同時に、遺された人の哀しみを、苦悩を、自分は痛いほど知っているから。

 愛する者を奪われ、心を引き裂かれて虚構の夢に沈むしかなかったあの人を、ずっと傍で見てきた。

 同じような思いを、ヒバナや木蓮にさせたくない。

 そして何より。

 自分が、2人と一緒に過ごせなくなるということが、どうしようもなく恐ろしく、苦しいのだ。


「レネゲイドウイルスって、本当にややこしいね」

「……ん?」

 思考の海に沈みかけていた意識が、木蓮の呟きで浮上する。

「俺みたいに無機物から命が生まれたり、簡単には死なない身体になったりできるのにさ。どうして、死んだ人を生き返らせたりできないんだろう」

「そうだ……ね……?」

 木蓮の言葉が、頭の片隅に引っかかる。


 ――死んだ人を、生き返らせる。

 自分は、知っているではないか。……その奇跡を起こせる人間を。


「……そっか。そうだ、そうだよ。木蓮!」

「え? なにが?」

 はっと顔を上げて大声を出したミズキを、木蓮は目を丸くして見つめる。

「ヒバナだよ。あの子なら、死んだ人間を生き返らせることができるんだ!」

「え……?」

「ヒバナの血は、他人の心も、身体も癒やすことができるんだ。生き返らせることだって、できる」

 実際にその力を使うことは滅多になかったけれど。

 

 ミズキの返答に、木蓮は一瞬ぱっと顔を輝かせたが、すぐにその表情は曇る。

「あ、でも……。ヒバナ、今は力を使ったらダメだって話だっただろ?」

 オーヴァードとしての力を行使することは病気の進行を早めることになる為、絶対に行わないよう毒島からきつく言い聞かされていた。

「うん。今は駄目だね。だけど病気が治って、ヒバナのレネゲイドが安定すれば、望みはある」

「レネゲイドが安定……って、それっていつになるの?」

「それは……ボクにも分からない。毒島先生は、数十年はかかるだろうって仰ってた。……でも」

 木蓮の両肩に手を置いて、ミズキは真っ直ぐにその目を見つめる。

「たとえどれだけ時間がかかるんだとしても、キミ達とまた一緒に過ごせるのだったら。……ボクは、それに賭けたい」

「……」

 

 ミズキのひたむきな視線から、木蓮は思わず目を逸らして俯く。

 (だって、それじゃ……ミズキとさよならしなくてはいけない事に変わりはないじゃないか)

 いつかまた逢えるとしても、それがいつになるのか。

 先の見えない約束を、簡単に受け入れることはできそうになかった。

 

 ふいに木蓮のコートのポケットが短く振動した。

「ごめん、ちょっと」

 ミズキに一言断りを入れて端末を確認すると、ヒバナからのメッセージが表示されている。

『今日の夜、ちょっと早めに私の病室に来て欲しいです。あと、ミズキは連れてこないように。ひとりで来ること!』

(ひとりで?)

 疑問のまま “?” のスタンプを送ると、すぐに返信が届いた。

『良いから、ふたりだけの秘密、ね?』

 “お願い” というスタンプに、内心で首を傾げながらもとりあえず了承の返事を送る。

 

「どうかした?」

 眉をひそめて考え込む木蓮の顔を、ミズキが心配そうに覗き込む。

「あ、ううん。なんでもない」

 慌てて端末を仕舞い込むと、木蓮はミズキを見上げた。

「ねえ、今の話……少し、ひとりで考えさせて」

「うん。わかった。ボクも、他に方法がないかギリギリまで考えるよ」

「……うん」

 どうしようもなく湧き上がる不安と後ろめたさで押しつぶされそうになり、思わず木蓮はポケットの中の端末をぎゅっと握りしめた。

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