◆4日目 夜 ~Do we have to choice only one stool?~

ー25ー

 傷の手当や屋上の片付けなどで思った以上に時間を取られ、一息つく頃にはとっぷりと日は暮れていた。

 ミズキと木蓮が連れ立って病室を訪れると、すでに食事を終えていたヒバナが出迎える。

 いつも通りに明るく振る舞ってはいたが、連日の検査や今朝までの出来事の為か、疲労の影がその顔に薄く張り付いていた。

 

 何気ない会話が途切れた瞬間、ヒバナが意を決したように口火を切る。

「あの……さ、今朝の女の子、大丈夫だった?」

 一瞬返答に迷い口を噤んだミズキだったが、嘘はつけないと正直に答える。

「泣いてたよ。すごく、泣いてた」

「そう……そっか…………」

「ヒバナの事をすごく大切に思ってて、昨日だってずっと楽しそうに喋ってたんだ。だからあの子も辛かったんだと思う」

 その返答を聞きながら、少しずつヒバナの顔が苦しそうに、辛そうに歪んでいく。

「そんなに……そんなに楽しそうだった? 私……」

「うん」

「そう、そうなんだ。……でも、覚えてない。何も、何も思い出せないの。あの子と過ごした日も、あの子と話した内容も、全然わからないんだ」

 ヒバナはもどかしげに首を何度も振ると、そのまま頭を抱えて蹲る。

「ぽっかりと穴が開いたみたいに……何か、何か大切なものを無くしてるんじゃないかな、私。他にもっと忘れてることあるんじゃないかな。……ねえミズキ、木蓮。私おかしいよ、怖いよ……っ」

 ひび割れた心から漏れ出た悲痛な叫びにどう応えれば良いのかわからず、2人は凍りついたようにただ俯くヒバナを見つめていた。


 微かなすすり泣きの声だけが満ちる室内に、トントンとノックの音が響く。

「取り組み中のとこ悪いが、失礼するぞ」

 ガラリと扉を開けたのは毒島だった。

「あ……ごめんなさい、私……」

 泣き腫らした目でそう返すヒバナに、毒島は緩く首を振る。

「いいさ、別に。泣くなとも言わない。嘆くなとも言わない。お前はそれだけの病気に罹っているんだ。友達の前ぐらい、ちゃんとしっかり泣いた方がいい」

 言いながら毒島はヒバナの元に屈むと、小型の機器を準備する。

「バイタルのチェックだけさせてもらう。話は続けてもらって構わねぇ」


 言葉通り黙々とミズキの状態を記録していく毒島の背中を、木蓮はじっと見つめる。

「なあ、毒島先生」

「なんだ」

「ミズキの “対抗種カウンターレネゲイド” をヒバナに移植する手術って先生がするんだよね」

「そうだな」

「レネゲイドウイルスを暴走させない方法って、ないのかな」

 その質問に、毒島は手を止めないまでも少し黙り込む。

「……思いつく限りじゃ、ないな。……よし、終わり。ほら、いい時間だ。宵街、お前はもう寝ろ」

 そう言いながら、毒島はヒバナに薬を手渡すとニカっと笑いかける。

「大丈夫だ。まだ時間はある。俺の見立てじゃ、お前はまだこの2人のことは忘れねぇ。話すのはゆっくり寝て、落ち着いた時がいいんじゃねぇか」

「……うん。わかった先生。ありがとう」

 その言葉にヒバナはぎこちない笑みを返すと薬を受け取った。

「ミズキ、木蓮。もう消灯時間だから、また明日ね」

「うん、また明日ね。ちゃんと休むんだよ」

 そう言いながら、ミズキはヒバナの身体をそっと抱きしめる。

 

 そんな2人の姿を見つめる木蓮の顔には、不安の影が落ちていた。

 たとえ毒島の言葉であっても、明日は自分が忘れられてるかもしれない。ミズキを忘れているかもしれない。

 そんな恐怖が、木蓮の心にじっとりと絡みつく。

 

 ――明日なんか、来てほしくない。


「……木蓮?」

 黙ったまま自分たちを見つめている木蓮の顔を、ミズキが心配げに覗き込んだ。

 はっとしたように木蓮は慌てて首を振る。

「……また、明日。おやすみ、ヒバナ」

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