ー18ー

 口を閉ざし、じっと自分を見つめるミズキの目に耐えかねた様に、ヒバナは木蓮の方へ縋るような視線を移した。

 「も、もっくん! なんとか言ってよ。ミズキおかしいよ! こんな意地悪い冗談言うヤツじゃないのに……」

 だが、木蓮もきつく口を結び、瞳に微かに涙を滲ませて小さく首を横に振る。

 2人の様子に、ヒバナは顔を青ざめた。


「なんで、どうして……? なんで……っ?」

「本当に知らないかい。君と仄ちゃんの思い出には、どの光景にもひとり分の空白があるんじゃないかな」

「わかんない……知らない、わかんないよ……っ」

 遮二無二しゃにむにに首を振るヒバナの手に、ミズキはそっと自らの手を重ねる。

「ヒバナ。落ち着いて聞いてほしい。……キミは、キミは病気なんだ。キミが大切に思っているものを、1日ずつ忘れていってしまう病気なんだよ」

「びょう、き……?」

「そう、病気なんだ。……そして」

 そこでミズキは一瞬言葉を詰まらせる。

「このままじゃ、あと数日でキミは……全てを忘れて、ジャーム化してしまう」

 重ねた手に、思わず力が入る。

「キミは今までその力で多くの人を助けてきた。こんなに慕われるくらい」

 ヒバナの傍らで安らかな寝息を立てる仄の寝顔に目線を落とす。

「でも、それが、それがこんな病気を引き起こしてしまった。……ごめんね。いきなりこんなこと言われても困るよね」

 呆然と自分を見上げるヒバナの瞳をまっすぐ見つめながら、できるだけ冷静に言葉を続けた。

 

「今、ボク達はキミを治す方法を必死に探してる。……それでね、毒島先生がひとつだけ、方法を見つけてくださったんだ」

「え……」

 震えているヒバナの手を、改めて両手で握りしめる。

 できるだけ穏やかな笑みを意識して浮かべ、目の前で揺れる琥珀から目を逸らさずに。

「ボクのね、 “対抗種” の力を使えば、キミの病気は治るんだって」

「それって、どういうこと……?」

「ボクのレネゲイドウイルスを、キミに移植するんだ。そうすれば、暴走するキミのウイルスを制御してキミは、助かる」

「ちょ、ちょっと待って。ウイルスを移植なんて、そんなこと出来るわけ……」

「毒島先生なら出来るんだって。本当にすごいよね、先生は」

「待ってってば……! 一度発症したオーヴァードからウイルスを取り出すなんて事、そんなこと……。そんな事してミズキは、どうなるの……?」

 なにかに気づいたように更に顔を青ざめて、こちらをキッと見つめ返す強い視線に、思わず苦笑を漏らす。

「……やっぱり、キミには隠し事は出来ないね」

「……っ」

「キミをジャームになんかさせない、絶対に。ボクが、ボクがキミを助けるよ、ヒバナ。……ボクの命を賭けても」

「やめて……っ!!」

 ヒバナは、話を遮るように声を荒げて立ち上がる。

 ぐらり、と揺れる仄の身体を、慌てて木蓮が抱き止めた。

「あ……ご、ごめん」

 その様子が目に入ったのか、我に返ったようにヒバナはぽすり、とベッドに力なく腰を下ろす。

 

 俯いて拳を握りしめるヒバナの頬に、ミズキは手袋をはめた手をそっと添えた。

「ヒバナ、聞いて。……ボクはね、キミに触れることもできないこの身体がずっと嫌だったんだ」

「……」

「でも、それがキミを助けるためにあったんだって。それを知って、ボクは本当に嬉しかった」

 イヤイヤと、聞きたくないと言うように首を振り続けるヒバナの両頬を包んで、額を合わせる。

「キミを助けられるのなら、ボクは喜んでこの身を捧げるよ」

「嫌、そんなこと聞きたくない! それは駄目だよ、それだけは絶対に駄目!! ミズキ、絶対にやめて! お願い、お願いだから……っ」

「でも、それじゃ君が死んでしまう」

「だからって……っ」

「明日の朝になったら、君はまたひとつ、大切なものを忘れてしまうんだよ」

「それでも……ミズキが死ぬのは、嫌だよ……っ」

 耐えきれず、ぽろぽろと大粒の涙を零すヒバナを、ミズキはそっと抱きしめた。

「明日の朝になったら、ボクや木蓮、仄ちゃん……キミの中から、誰かが消えてしまうかもしれない。……ボクはね、キミが望んでくれるなら、今ここでキミを助けたいとすら思っているんだ」

「もういい、もういいから……っ。そんな話聞きたくない……っ」

 自分を抱きしめる腕から抜け出そうと、ヒバナは力なく藻掻く。

 言い聞かせるように、宥めるようにミズキは何度もその背を優しく撫でた。

「ボクだって死にたいわけじゃない。キミと約束したじゃないか。「明日も明後日も明明後日も、ずっと一緒にいる」……って」

「……」

「今、木蓮と一緒にみんなが助かる方法を探している。だから、ボク達を信じて。ね、ヒバナ」

「……わかった。わかったから。でも、本当にミズキだけが犠牲になっちゃ駄目だからね」

 腕の中の強張りきった身体から、少しずつ力が抜けていく。

「ごめん、そろそろ薬が効いてきたのかな、頭が回らないや。……落ち着いて、考えたいから」

「わかった。今日は帰るね」


 ゆっくりと、ミズキの胸から顔を上げたヒバナは、木蓮が抱えている仄にそっと震える手を伸ばした。

「大好き。大好きだよ、仄。……幸せにね」

 愛おしそうに、名残惜しそうに何度もその柔らかな髪を撫でる。

「……この子のこと、お願い」

 仄から目線を上げて自分を見つめるヒバナの瞳を、木蓮はなにか言いたげにじっと見つめ返した。


 木蓮は、いつも大切に身に着けていたペンダントをゆっくりと外す。

 かつてヒバナからプレゼントされた大切な宝物を、そっとヒバナの手に握らせた。

「木蓮?」

「……俺達のことを忘れないで、ヒバナ」

 縋るようなその視線に、自らを包むその手の微かな震えに、ヒバナは一瞬目を見開いてペンダントをぎゅっと握りしめる。

「もっくん、ありがとう。絶対、絶対に忘れない。忘れないよ」

「……うん」

「忘れない、から……」

 何度も自らに言い聞かせるように忘れない、と繰り返しながらゆっくりと眠りに落ちていくヒバナの身体を、ミズキがそっと横たえた。

「おやすみ、ヒバナ」

「おやすみ。……また、明日」


 仄を背負った木蓮を促し、明かりを消した病室を後にする。

「ペンダント、きっと効果あるよ」

「うん」

 俯いたまま歩き続ける木蓮の頭を、ミズキの手が優しく撫でる。

「もし、もし忘れてしまったとしても、その思い出があの子の手元に残るなら、きっと意味はある」

「……うん」

 

 どうか、どうか。

 この誰よりも無垢で優しい想いが、叶いますように。


 月光に淡く照らされる白銀を見つめながら、ミズキは心の中でそう願い続けていた。

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