ー16ー

 昼下がりの公園は、鮮やかな光と色に満ちていた。

 大きな噴水の傍で子供たちがはしゃぎながら水遊びに興じており、楽し気な歓声がここまで聞こえてくる。

 花壇には夏らしい鮮やかな色合いの花々が丁寧に植えられ、通り過ぎる人々の目を楽しませてくれている。

 広場の片隅にはキッチンカーが冷たい飲み物やかき氷などを販売しており、学生服の少年少女が目を輝かせながら何を購入するか賑やかに相談していた。


 客が途切れたタイミングでアイスティーとメロンソーダを購入し、木陰のベンチで待つ木蓮の元へ戻る。

 ヒバナともよく一緒に座って見ていたこの景色はいつもと変わりがない筈なのに、真夏の陽炎に揺らめいて幻のように白く霞んでいた。

「ありがと」

 差し出されたソーダを受け取った木蓮は、水滴に濡れた容器をそっと頬に添える。

「暑かったでしょ。本当にここで良かったのかい?」

「うん。ここ、好きなんだ。水があって、緑に溢れてて、なんか落ち着く」

「そっか。……うん、そうだね」

 頷きながら、ミズキはそっと木蓮の隣へ腰を下ろした。


「いろいろ考えたんだけど。……いや、考えたのかどうか、自分でもよくわからないけど」

 ぽつりぽつりと、ミズキは言葉を零していく。

「木蓮、ボクはね。兄さんや父さんが亡くなった時、神様ってこの世の中にはいないんだなって思った。理不尽なことはいつだって突然やってくるし、それを止めることはできないんだって」

 手に持つ琥珀の液体で満ちた容器が、微かに歪む。

「だからずっと、キミやヒバナに何かあったらどうしようって、心のどこかでボクは怖がってた。……でも、でもね」

 常に手袋を嵌めた自らの手を見下ろす。

 オーヴァードになって以降、木蓮以外の素肌に触れることはできなくなった、この手。

「さっきの毒島先生の話を聞いて、もう一度神様を信じてみてもいいのかもって思ったよ」

 手袋を外し、黙って自分を見つめる木蓮の頬にゆっくりと触れる。

「この “対抗種” の力がヒバナを助けることに繋がるんだったら、ボクは今すぐにだって、あの子を助けてあげたい」

「でも、そうしたらミズキが……死んじゃうんだろ」

 頬に添えられたその手に、木蓮はそっと自らの手を重ねる。

 まっすぐにこちらを見上げる瞳は哀し気に揺れ、感情を抑え込むようにきつくその眉根は寄せられていた。

「……そうだね。だけど、こうしてる間にも刻一刻と、あの子を日常に繋げるものは砂みたいに零れ落ちていってる。……今この瞬間だって、木蓮、キミのことを忘れてしまうかもしれないんだよ。キミは忘れられて、ヒバナの中からキミの存在がいなくなって……そんなのって、そんなのってないだろ。だから」

「俺だって、忘れられたくなんてないぞ。ヒバナともう一度「初めまして」なんてしたくないけど。……でもそれでミズキが死んじゃったら、それも嫌なんだ」

「うん」

「……俺には選べないよ。どっちが正しいのかなんて。どっちも間違ってなんてないんだけど」

 そう言うと、木蓮はきつく口を噤み顔を伏せた。

「ごめんね。困らせるようなことを言って」

「……一番悩んでるのは、ミズキだろ」

 木蓮の言葉に、思わず少し視線が揺らぐ。

「そうだ。ボクも迷ってる。……ボクがいなくなったら君やヒバナがどう思うのか。それを思うと胸が苦しい。それにボクだって嫌なんだ。キミ達と離れ離れになるなんて。……ずっと一緒にいるってあの子と約束したのに。なのに……っ」


 ヒバナを助けたい。

 その為に出来ることならなんだってする。

 その気持ちに決して嘘偽りなんてない。

 だけど、彼女と、目の前の大切な人と、2度と逢えなくなってしまうなんて。

 ままならない現実をまざまざと叩きつけられ、ミズキは無意識に拳を強く握りしめ、唇を噛み締めて俯いた。

 そっと、その頭が引き寄せられる。


 木蓮は、腕の中の大切な人を護るように、強く胸に抱きしめた。

「きっと、きっと他に方法がある筈だよ。ヒバナも、ミズキも、死ななくていい方法がある筈なんだ。時間はないけど、それを見つけたらいいんだろう?」

「……そんな都合のいい方法が、本当に見つかるのかな」

 抱きすくめた腕の中から、いつになく弱々しい声が漏れる。

「見つかるさ。俺は、ミズキにもヒバナにもいなくなってほしくない。だからふたりで、いや、みんなで探そう」

 言い聞かせるように、腕に力を込める。


 木蓮の体温と、トクトクと胸の鼓動が肌越しに伝わってくる。

 抱きしめられた腕の力強さと規則的に刻まれる拍動が、胸に凍りついた不安の塊を優しく包む。

 その心地に、張り詰めていた息が少し緩んだ。

 顔を上げると、深い苦悩を抱えながらも決意を秘めた、直向きな瞳が見下ろしている。

 応えるように、真っ直ぐその視線を受け止めた。


「木蓮。キミは、強い子だね」

 その言葉に、白銀の泉がわずかに揺らめく。

「……強くなんてないよ。今だって本当は泣きたいし、叫びたいし。でもそんなことしてる時間はないから」

 緩んだ腕から身体を起こし、逆に木蓮の頭を引き寄せた。

「ごめん、キミにばかり無理をさせて」

 優しく労わるように、その頭を何度も撫でる。

「大丈夫。大丈夫だから。一緒に探そう、方法を。ヒバナを……ううん、ヒバナと、キミとボクと、みんなが一緒にいられる方法を。ボクたちでヒバナを守ろう。ね?」

「うん……っ」

 自らの胸にも刻む様に、そっと強く木蓮を抱きしめた。


「そうだ、木蓮。ひとつ、約束をしよう」

「約束?」

「うん。約束……デートのお誘い、でもあるかな」

「デート?」

 きょとんとした顔で見上げる木蓮に、ミズキは悪戯っぽく笑いかける。

「今週末ね、花火大会があるんだ。すごく賑やかで綺麗なんだよ。ヒバナも、毎年楽しみにしてるんだ」

「そうなんだ。でも……」

「キミと一緒になってからは、色々予定が合わなくてずっと行けてなかったからね。だから、今年こそ3人で行こうってヒバナと約束したんだ」

 右手の小指を木蓮の前に差し出す。

「キミとも、約束。3人で一緒に、花火を観に行こう」

 差し出された小指に、木蓮はゆっくりと自らの小指を絡めた。

「うん、約束。……楽しみにしてる」 

 

 ――「明日だけじゃなくて、明後日も明明後日も、その先もずっとずっと3人一緒にいられたら」

 

 そう、それはヒバナの望みであり、ボク達の望みでもあるのだから。

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