◆3日目 昼 〜We‘re in the Fog〜

ー14ー

 ミズキと木蓮、灯と閃という見慣れない取り合わせに、扉を開けた毒島は一瞬驚いたような顔をする。

 だがすぐに状況を察したのか、黙って4人を院長室へと招き入れた。


 毒島は冷凍庫から保冷剤を取り出しタオルを巻きつけると、ぽんと閃の膝の上に置く。

「冷やしとけ。早く腫れが引く」

「……うん。ありがと、先生」

 俯いたまま答える閃の頭を、毒島の手が一度だけぐしゃ、と乱暴に撫でた。

 

 昨日と同じように全員にコーヒーを配り、毒島は対面のソファへと腰かける。

 その目元には、いつもよりくっきりと濃い隈が刻まれていた。

「それで、先生。どうでしたか。治療方法について、何かわかりましたか」

 黙って砂糖入りのコーヒーを啜っている毒島に焦れたように、ミズキが話を切り出す。

「……ああ、まあな」

「じゃあ……!」

 思わず身を乗り出すミズキを、毒島は手で押し止めた。

「落ち着け。……昨日と同じように、わかったことを順に話す。いいな?」

 4人がそれぞれ頷いたのを見ると、ひとつ大きく息を吐き、ゆっくりと毒島は話し始めた。


「UGNでも何件か、SSDMIの症例報告は上がっていた。中には、確かに “完治させた” という報告もあった。……だがな、問題はその治療方法だ」

「それは、どういう……」

「 “賢者の石レネゲイドクリスタル” だ」

「……っ」


 ―― “賢者の石レネゲイドクリスタル”。

 高濃度のレネゲイドウイルスが結晶化した、稀少な存在。

 重篤な代償と引き換えに、適合者に膨大な力を与えるといわれている。


「報告されていた症例は、いずれも “賢者の石”、あるいは人工的に “賢者の石” を作ろうとして生まれた紛い物―― “愚者の黄金デミクリスタル” を移植して、強制的に発症者のレネゲイド活性を抑えることで治療した……とあった」

「待ってください。 “賢者の石” や “愚者の黄金” だなんて、そんな貴重なもの……」

「ああ。少なくとも俺は、このあたりで適合者や保管されたブツがあるって話は聞いたことがねぇな。……仮にあったところで、一介のエージェントにそんな貴重なモンを使わせてくれるとも思えねぇ」

「そん、な……」

 絶望の中、天から降りてきた希望という名の一筋の細い蜘蛛の糸。

 それはあまりにも微かで頼りなく、無情にもぷつりと切れ、幻のように手からすり抜けてしまった。


「じゃあ、やっぱり、ヒバナは……治らない、の?」

 ぽつりと、木蓮が呟く。

 その顔は、白磁のごとく色を失っていた。

 縋るようにミズキの腕にしがみつく。

 震える手を労わるように包むミズキのそれも、同様に細かく震えていた。


「……方法は、全くないわけじゃねぇ」

 マグカップを両手で抱えたまま、ぽつりと毒島は告げた。

「えっ……」

 その言葉に、四対の眼が一斉に毒島に向けられる。

「要は、発症者の異常に活性化しているレネゲイドを力任せに押さえつけた……ってのが、報告されている治療方法だ。だったら押さえつける力は、何も “賢者の石” やら “愚者の黄金” なんていう大層なモンじゃなくったっていい筈だ」

「でも、 “賢者の石” に匹敵する力なんて……」

「あるんだよ。……ひとつだけな」

 ゆっくりと顔を上げ、昏い瞳で毒島はミズキを見つめた。

「それはな……お前の “対抗種カウンターレネゲイド” だよ。朝宮」


「ボク、の……?」

 茫然と、ミズキは手袋を嵌めた自身の手を見つめる。

 “対抗種カウンターレネゲイド” ――レネゲイドを殺すレネゲイド。

 自分自身も、そして大切な人も、レネゲイドを宿す全ての存在を傷つけるだけだと思っていた。――この、力が。

「本当、なんですか。ボクの “対抗種” でヒバナを治すことが、できるんですか……!?」

「……理論上は、可能だ」

「だったら……!」


「……ちょっと待って。それって、不可能じゃねえの」

 色めき立つミズキに水を差したのは、タオルで目元を覆っていた閃だった。

『どういう、こと?』

「 “賢者の石” みたいにそもそも独立して存在する物なら、発症者に移植することだって可能だろうけど。……ミズキさんのレネゲイドウイルスが “対抗種” だとして、それをどうやってヒバナ先生に移植するの」

「それ、は……。どうなんですか? 毒島先生」

「閃の言う通り、通常であれば不可能だ」

「それじゃ……」

「……問題は、そこじゃねぇんだよ」

 ぼそりと毒島が呟く。

「 “レネゲイドの移植手術” 自体は、俺ができるんだ。……理由とか理屈とか、細かいところは今の問題には関係ねぇから説明は省く」

「じゃあ……じゃあボクがいて、先生がいれば、ヒバナは助かるってことでしょう!?」

 縋るような目で自分を見るミズキに、毒島はさらに険しい顔をする。

「朝宮。……お前、昨日俺が話したこと、ちゃんと覚えてるか?」

「昨日……って、SSDMIの事とかヒバナの体質の事とか、ですよね。ちゃんと覚えて……」

「その前提の話だ」

「前提……」

 問われて、浮ついた頭を必死に動かして昨日の会話を思い出す。

 

 ――「オーヴァードとして覚醒した後は、レネゲイドウイルスは共生状態に入り…………」

 

「確か、そもそもレネゲイドウイルスに感染するとその身体がどうなるかっていう……」

「そうだ。オーヴァードとして覚醒した者は、レネゲイドウイルスと共生状態にある。これは、 “本来は別の組織がお互いに害を及ぼさず大人しくしてる” ってだけじゃねぇ。……宿主にとって、レネゲイドウイルスはいわば “なくてはならない存在” になってるんだよ」

「つまり、どういうことですか……?」

 毒島の言わんとすることが今ひとつ理解できていない。

 毒島もそれは把握できたのか、大きく溜息をつくと、厳しい顔でまっすぐミズキを見つめた。


「はっきり言おう。……朝宮。お前の身体から “対抗種” を取り出せば――お前は、死ぬ」

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