◆3日目 朝 〜the Beginning〜

ー12ー

 トントン、と扉を叩く音で緩やかに意識が浮上する。

「おはよう、閃、灯。ほら早く起きて! せんせぇのところ行くよー」

 ノックとともに仄の声が室内に響いた。

 心持ち重たく感じる身体をベッドから引きはがし、のろのろと灯は起き上がった。


「おはよ、仄。今日はずいぶん早起きだな」

 もたもたと準備をする灯の横をすり抜けて、閃が扉を開ける。

「おはよう、閃。灯はまだ?」

「そう急かすなって、全く……。いつもこうならいいのに」

 そう応える閃は、既に準備を終えている。

 灯はいつもより更にぐずぐずしている上、どうしても気になってちらちらと閃に視線を送るため全く準備が進まない。

 そんな様子に少し苦笑いしながら、閃が灯の着替えを手伝う。

「ほら、灯も。仄が待ちくたびれてるぞ」

『……うん』

「……大丈夫、決心はついた。ありがとな、灯」

 小声で囁く閃の目元は、少し赤く腫れていた。


『ごめん、またせた』

「もー、灯ってばお寝坊さんなんだから」

「それを仄が言うか?」

「きょ、今日は早起きだもん」

『……ほのかは、せんせいにあえるの、たのしみ?』

「うん! ずっと忙しくて長いこと会えなかったから、話したいこといっぱいあるし、やりたいことはまだまだあるし」

 息せき切って話す仄の言葉が、一瞬詰まる。

「……だから、できるだけ長く一緒にいたいなって思うんだ」

 何かを振り払うように緩く首を振ると、そう続けた。

「ほら、ふたりとも早く行こうよ!」

 努めて明るい声を出して、仄は病室に向かって駆け出す。

「……行こうか」

『……うん』

 閃の手をぎゅっと握り、灯は仄の後を追って歩き出した。


「せんせぇ、おはよう!」

 元気な挨拶とともに、仄が病室の扉をガラッと開く。

 既に起きていたのであろうヒバナは、昨日と変わらず病院着姿のままベッドに腰掛けていた。

「おはよう、仄。早いね~。珍しくちゃんと早起きできたの?」

「えへへ、せんせぇに会いたくて早起きしちゃった」

「そっかそっか~。嬉しいな」

 そう言いながらヒバナは、抱きついてくる仄の頭をポンポンと優しく撫でる。

 その視線が開け放たれた入口へ向かい、そこに立つ2人の少年を捉えた。

 

「えっと、仄の友達……かな? 初めまして」


 灯は黙って、閃の手をぎゅっと握りしめる。


 ヒバナに抱きついていた仄は、その言葉にビクリと身体を揺らす。

 大きく目を見開いて信じられないものを見る様にヒバナの顔を見上げ、ゆっくりと入口に顔を向けた。

 

 閃の手を握っていたその手が、さらに強い力で握り返される。

 その手は、小刻みに震えていた。

 俯いて強く唇を嚙んでいた閃が、掠れた声でヒバナに答えた。

「……はい。はじめまして。仄から話は何度も聞いてます。……宵街、ヒバナ先生、ですよね。日比谷……閃と言います」

「そっか、閃君っていうんだ。いい名前だね。よろしく」

 ヒバナは屈託のない笑みで2人を迎えた。

 

「あ、とりあえず立ってないで、座って座って! 仄も、ずっと抱きついてたら顔が見えないでしょ? ……って、どうかしたの?」

 茫然と閃の様子を見ていた仄が、その言葉にはっとしたようにヒバナに向き直る。

「あ……っ、えっと、その、な、なんでもない! なんでもないよ、せんせぇ……」

「そう? ……まあ、ほらほらふたりとも座って! 話しようよ。えっと、昨日はどこまで話したっけ?」

「……昨日、は、合宿の時の話……とか」

「あ、そうそう。訓練の話とかもしたっけ」

「そ、そうそうそう……っ! えっとせんせぇ、その、ほら、みんなでまた一緒に食べようって話、した……」

「えっーと、なにか食べようって話してた? ……あ、プリン! そうだプリン! 木蓮に頼まれたプリンだよね。あれ、確か……まだ残ってたかなぁ?」

 仄は必死で昨晩の話を、閃の事を思い出してもらおうと言い募る。

 だが、哀しいくらいに会話は嚙み合っていなかった。

 

『……ほのか』

「……何?」

『おれとせん、のみもの、かってくる。なにがいい?』

「……甘いものなら、何でもいい」

『……せんせいは?』

「え、私? そんな気を使ってくれなくていいのに、ごめんね。えっとそうだな、私はお茶かな。ほら、一応病人ですし。入院してるから変なもの飲めないし、薬とかもあるだろうからね。あ、お金は出すよ~」

 朗らかにそう言いながら、ヒバナは財布から1000円札を何枚か取り出した。

 灯は入口から動かず、首を横に振った。

『だいじょうぶ。……ひとりでよっつ、もてないから。……せん、てつだって』

「……わかった」

 俯いたまま、閃が答える。

『ほのか、ここでまってて』

「……うん、分かった……。……っせんせぇ、それで、それでね! 話の続きなんだけど……」

 その声を耳にしながら、バタンと扉を閉じた。

「あ、うん、なになに?……あ、そだ。ふたりともいなくなったから聞いちゃお。……その、仄はさ、どっちが好きなの? ねえねえ、ふたりもかっこいい男の子がいるなんて聞いてないよ!」

「……あはは、そうだ、ね……」

 扉の向こうから漏れ聞こえる楽しげな声とひきつった笑い声を背に、灯は閃の手を強く引っ張り玄関の方へ歩き出した。


 無言のまま足早に、閃の手を引き歩き続ける。

 少しでも、あの場所から閃を遠ざけたかった。

 

 突然、握りしめていた手がぐいっと引き戻される。

「……わり、わりい。ちょっと、ごめん……っ」

 閃の手から力が抜け、そのままずるずると階段の踊り場で蹲った。

「……ダメだな。やっぱり、わかってたのに……。知ってた、のに……、思ってた、思ってた以上に……キツいや、これ…………っ」

 強く抱えられ、顔を埋めた膝の間から、絞り出すような震えた声が漏れる。

 灯は、壁と自らの身体で閃を隠すように座り込んだ。

 触れた肩から、微かな振動が伝わってくる。

 黙って虚空を睨み付けながら、震えが治まるのをひたすらに待つことしかできなかった。

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