ー11ー
食事を終え、夜が更けても病室の中は明るい笑い声で満ちていた、のだが。
「それであの時さー、……っと」
ベッドに並んで腰かけていた仄の頭がぐらりと揺れると、ぽす、と隣のヒバナにもたれかかる。
慌ててヒバナはその身体を抱き留めた。
「あらら、もうこんな時間か。つい話し込んじゃったね~」
ベッドサイドの時計は既に22時を回っていた。
「んー……まだ、まだせんせぇといる……」
仄は目をごしごしとこすりながら必死に頭を上げようとするが、「ふわぁ……」と大きな欠伸をしてそのままこくり、と舟をこぎだす。
「仄が12時まで起きてられないのは昔から変わんないね~。ほら仄、今日は帰りな。寮まで戻れないよ?」
「あ、いや、毒島先生が家族控室、使っていいって言ってくれたんで」
「え、そうなの? それなら良かったけど。でもさすがにこの子は寝かせてあげないとね」
ヒバナは苦笑しながら、ウトウトしながらもヒバナの服の裾を掴んで離さない仄の頭を優しく撫でる。
灯は仄に近づき、その肩を軽く叩いた。
『ほのか、いこう。ちゃんとねないと、だめ』
「灯の言う通りだ。ほら行くぞ、仄」
灯の後ろから閃も近寄ると、仄の前に背中を向けてしゃがみ込んだ。
「ほら、おぶってやるから。灯も手伝って」
幼子のようにいやいやをする仄を、3人がかりで閃の背中に背負わせる。
「ゆっくりおやすみ、仄。また明日、待ってるからね」
閃におぶわれた仄の背中を、ヒバナが愛おしそうに撫でた。
「……ぅん……せんせぇ、さよなら……またあした……」
「うん、バイバイ。また明日」
そう言ってから、ヒバナは灯と閃の方に顔を向ける。
「ふたりも今日はありがとうね、お見舞いに来てくれて。また明日、おやすみなさい」
病室の入口まで3人に付き添いながら、ヒバナは嬉しそうに笑ってそう言った。
『おやすみなさい』
「おやすみ~」
扉越しにゆっくりと閃が振り返る。
「じゃあ、ヒバナ先生。…………さよなら」
「うん、また明日ね!」
笑顔で手を振って見送るヒバナの姿が、扉の向こうに消えた。
* * *
寝息を立て始めた仄を背負った閃と灯は、常夜灯に淡く照らされた薄暗い廊下を歩いていく。
「ったく、ちょっとはしゃぎすぎだっての。……まあ、無理もねえか」
肩越しに仄を見やり、閃はかすかに苦笑する。
『ほのか、ほんとうにたのしそうだった。うれしかったんだね』
「先生と話ができたことか? それもあるけど、それだけじゃねえさ。……先生の前で不安な表情をしないよう、無理やりテンション上げてたんだよ。だからいつもより電池切れが早いんだ」
『……そうだったの?』
灯の目からは、心から先生と再会できたことを喜んでいるようにしか見えなかった。
『やっぱり、せんはよくみてる』
「……それはお前もだろ」
『え?』
「今日ずっと、こっちの事気にしてただろ。あつーい視線が痛かったぜ」
『……ごめん』
「ばーか、冗談だっての。謝んなって」
『ご……うん』
どう言葉を続ければいいのかわからず、そのまま2人とも黙り込んだまま控室までたどり着いた。
準備されていたベッドにゆっくりと仄を横たえる。
すでに深い夢の中なのか、すうすうと安らかな寝息を立てている仄が起きる気配はない。
「おやすみ、仄」
閃はそっと仄の身体に掛け布団を被せると、灯の方に向き直った。
「なあ、灯。……ちょっと屋上まで付き合ってくれねえ?」
明かりの消えた室内では、閃がどんな表情をしているのかは見えない。
『……おくじょう? でも、このじかんは』
「鍵なんか関係ねえさ。こうやればな……っと」
言いながら閃は窓をからりと開けると、窓枠を掴んでひょい、と身を乗り出す。
「灯もこんくらい行けるだろ? ほら」
そのまま身軽にも窓枠を伝いながら、閃はあっという間に屋上まで登って行ってしまった。
戸惑ったようにその姿を見ていた灯も、軽く息をつくと同じように窓枠を掴み、力任せに自身の身体を引き上げた。
「やっぱ身体動かすと、この時間でもあっちいな」
屋上のフェンスを乗り越えて灯が着地すると、既に閃はコンクリートの床に座り込んで、パタパタと両の手のひらで扇いでいた。
『……いつも、こんなことしてた?』
「ん?」
閃の隣に座り込んだ灯は、そのまま自らの膝に顎を埋める。
『いつも、よる、こっそりでかけてた』
「……なーんだ、やっぱバレてたのか」
それには、閃の顔を見ないままこくりと頷く。
「俺も知ってんだぞ。帰ってくるの待とうとして、いつも夜更かししてたろ」
『うん』
「そんなことしてるから朝起きられねえんだぞ。仄も寝ぼすけだしさ」
『うん。……ごめん』
「なんで謝るんだ?」
『じゃま、されたく、ないのかなって』
「……そんなんじゃねえよ」
言いながら、閃はゴロリ、とコンクリートの床に仰向けになった。
「みんなが寝てる中でさ。……ひとりきりになるのが、嫌だっただけだ」
『……?』
「なんか、俺だけ置いてかれてるみたいで」
灯は、自らの腕で顔を覆った閃をじっと見つめる。
『おれも、おんなじ』
「え……?」
『せんに、おいてかれるのかと、おもってた。だから、かえってくるまで、まとうとしたけど……』
いつも眠気には勝てず、気づいたら明るくなった部屋の中、見飽きた天井を目にして溜息をつくばかりだった。
「……はは、なんだそりゃ」
ぐしゃり、と泣き笑いのように閃の顔が歪む。
『だから、きょうは、ちょっとうれしい』
へら、と灯は不器用に笑みを浮かべる。
腕の隙間から伺い見ていた閃は、勢いをつけて上半身を起こすと、そのまま灯の肩に頭を寄せた。
「……ほんと馬鹿だよな。お前も俺も」
『せんは、ばかじゃないよ』
「……どうだろうな」
そのまま、大きくひとつ息をついた。
「なぁ、灯。……頼みがあるんだ」
『なに?』
「明日……明日の朝、さ。先生が無くす記憶は……俺の、俺に関してなんだ」
びくり、と灯の身体が揺れる。
『……わか、るの……?』
「なんとなく、だけどな。直感みたいなもん。……だからさ。だから明日、仄のこと見ていてやってほしいんだ。それに……」
ぎゅっと、灯の服の裾が強く掴まれる。
「もし、もしもさ。俺達が間違った事をするんだったら……それを、お前に止めてほしいんだ」
『……』
灯の肩に強く額を押し付けているため、閃の表情を窺い知ることはできない。
月の光がほの青く照らす赤銅色を、灯は黙って見つめていた。
『……いいよ』
「……ありがとう。頼んだ」
ぐっと一層強く、額が押し付けられた。
『せんは、どうするの。りょうにかえる……?』
「……いや、俺もここにいるよ」
『でも、あしたのあさ』
「……会いに行くよ。これはあくまでも俺の……なんつーの、デジャヴ? 予想、みてえなもんだからさ。……外れれば、外れるならそれに越したことはねえし」
自らに言い聞かせるように、閃は続ける。
「だから、俺は大丈夫だから。……仄の事、止めてやってくれ」
『……でも、おれは、せんのことも、しんぱい』
「大丈夫だよ。…………ありがとな」
そう言って閃は、ゆっくりと顔を上げた。
少し大人びた表情をして、灯の肩をポンポンと軽く叩く。
灯は黙って、その顔をまっすぐ見つめていた。
叩かれていた肩が突如ぎゅっと、痛いほど強く掴まれる。
「ダメだな……おれ、まだ大人になりきれねえや…………っ」
もう一度強く押し付けられた頭が震え、灯の肩が濡れていく。
灯は微動だにしないまま、ただ強く、唇を嚙みしめる事しかできなかった。
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