◆2日目 夜 ~The Calm before the Storm~

ー10ー

「おじゃましまーす。せんせぇ、戻ってる?」

 ノックと共に仄が室内を覗くと、ヒバナは既に検査から帰ってきていたらしく、笑顔で3人を出迎えた。

 

「待ってたよー! 仄、閃、それと灯君。いらっしゃい。……あれ、なんか良い匂いがする」

 クンクンと鼻をならすヒバナの前に、仄がビニール袋を掲げる。

「えへへ、せんせぇと一緒にご飯食べたくて買ってきちゃった」

「えー、良いなぁ。何買ってきたの?」

「えっとね、私はオムライス!」

 そう言いながら、仄が袋から取り出したトレーのフタを開けると、温められたケチャップと卵の香りがふわっと部屋に広がった。

「仄ほんと好きだねー、オムライス」

「だってだって、せんせぇが前につくってくれたの、本当に美味しかったんだもん」

 力説する仄に閃も同意する。

「合宿の時のやつだろ? あれほんと美味かったよなー。卵がこう綺麗にツヤッとしててさ。先生、こう見えても料理うまいんだぜ」

「ちょっと、こう見えても……ってどういうことよ」

「えー、だって、なぁ?」

 そう言いながら閃はけらけらと笑う。

「いやでもさ、あれは本当に美味しいオムライスで。……懐かしいな」

「ふたりともよく覚えてたねー、そんなこと」

「うん、もちろん覚えてるよ。だって私、あの時せんせぇが作ってくれたオムライスがいちばん好きだから」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃーん」

 仄の体をぎゅっと抱きしめると、ヒバナはその頭をくしゃくしゃっと撫でまわした。

「ねぇ、せんせぇ。私、せんせぇが作ってくれたオムライス、また食べたいな」

 頭を撫でられている仄はふわり、と幸せそうに笑いながらヒバナの顔を見上げる。

「オッケー、任せて。退院したら腕によりをかけて作ってあげる! その時はもちろん灯君も一緒にね」

『あ……うん』

「あれ、もしかしてオムライス苦手? だったら……」

 それには慌てて灯は首を振って否定する。

『おれ、べつにきらいなもの、ない』

「そっかー、好き嫌いが無いのは偉いね」

 屈託なく向けられる笑顔にどう返していいのかわからず、灯は黙って俯いた。

 

「あ、そうそう、毒島先生に買ってもらったプリンもあるんだ。食後のデザートに食べよう」

「わーい、やったぁ!」

「毒島先生もなんだかんだあま……優しいよね」

 手を叩いて喜ぶ仄の隣で、閃も悪戯っぽく笑う。

「こら、せっかくのご厚意なんだからそんなこと言っちゃダメでしょー?」

「……あれ、 “ご厚意” って言っていいのかなあ」

 先ほどの毒島の顔を思い出したのか、堪えきれず閃は噴きだす。

「いーのいーの! 子供は遠慮しない!」

「それ、ヒバナ先生が言っちゃダメじゃねえ?」

「いーんだって! それより閃は何買ってきたの?」

 ヒバナは閃の手にしているビニール袋を興味津々に見やる。

「俺? 牛丼」

「え、羨ましい……。私もそっちのが良いなぁ」

「そんなこと言ったらまた毒島先生に怒られるよ、ヒバナ先生」

「うぅぅ……それはやだけど。毒島先生、本気で怒るとめちゃめちゃ怖いし」

「知ってる知ってる。特に寝不足の時とか、目の下のクマが一層濃くなって迫力増すんだよね」

「 “医者の不養生” ってやつだよね。……と、入院してる私が言っちゃダメか」

 ペロリと舌を出したヒバナが、灯の方に振り向いた。

 

「灯君の夕飯は?」

『おれは、おにぎり、とか』

「え、それだけじゃ足らないでしょ。成長期なんだからもっと食べなきゃ!」

『……だいじょうぶ。いま、そんな、おなかすいてない』

 本当は、空腹感は感じていた。

 しかしそれより、仄や閃以外の人間と食事をするという状況に気後れしてしまい、今ひとつ食指が動かなかった。

 そもそも誰かと一緒に食事を取ること自体に慣れていない。

 仄や閃と食べるのだって、慣れるのに随分時間が掛かったのだ。

 それでも、嬉しそうに「みんなでご飯を食べたい」と言う仄の望みを無下にしたくはなかった。

 

 夕食を運んできた看護師は、食べ物を持ち込んでいる子供達を特に咎めることはせず「ちゃんとゴミは自分達で持って帰ってね」と注意するだけだった。

「おまたせ。じゃ、みんなでいただきます、しようか」

「うん! いただきまーす」

「いただきます」

『……いただき、ます』

 ヒバナの号令で手を合わせる仄、閃を見て慌てて灯もそれに習う。

 そんな3人の様子を優しげな目で見つめながら、ヒバナも「いただきます」と箸を手に取った。


 食事中も仄は、話したいことが尽きない様子でずっと楽しそうにヒバナと談笑している。

 ヒバナも興味深そうに、ときには驚いたり笑い転げたりしながら相手をしていた。

 間に閃がツッコミやら茶々を入れ、それでまた全員で大盛り上がりをする。

 そんな和やかな様子を、もそもそとおにぎりを頬張りながら灯は眺めていた。

(せんもほのかも、たのしそう)

 こんなにはしゃいで、大声をあげて笑う仄を見るのは初めてだ。

 本当に嬉しそうな仄を見てよかったと安堵する反面、一抹の寂しさも感じた。

 それに、今朝からの閃の様子もずっと心に引っかかっている。

 油断していると急に話題を振られるため、話の内容には意識して耳を傾けながらも、灯は自身の表情を見られないようにこっそりとフードを深く引き下げた。


「あーでも良かった。本当にふたりともすごく幸せそうで。うん何より、何よりだね~」

 安心したような柔らかな笑みを浮かべて、ヒバナはしきりに頷いた。

「えへへ、でも久しぶりに会えた先生と、こんだけ話せて今日は本当に良かった」

 仄がニコニコしながら返す。

「仄も、久しぶりに会ったらこんなに大きくなってるなんてね~。もうすっかりお姉さんだね」

 そう言いながらヒバナは仄の頭を優しく撫でる。

 仄は少し照れ臭そうにしながらも、本当に嬉しそうに笑っていた。

「うーん、相変わらずふたりともべったりなんだもん。妬いちゃうなあ」

 そんな二人を見ながら閃も楽しそうに笑う。

「何言ってるの。閃も私の大事な教え子だよ! それから灯君も。灯君とは今日初めて会ったけど、それでもふたりに良くしてくれたんだから、もう私の教え子みたいなもんだよ」

 ヒバナはそう言いながら両腕を伸ばして、閃と灯の頭も同様にくしゃくしゃっと撫でた。

 突然のことに灯はびっくりして固まってしまう。

 

「ねえ、灯君。灯君から見て仄と閃ってどんな子?」

『……え?』

「いや、さっきから私達ばっかり話してるし、灯君からの話も聞きたいなーって」

 2人の頭を撫でながら、急にヒバナがそんな風に問いかけてきた。

 頭を撫でられた驚きと、急に飛んできた質問に思考がフリーズしていた灯は、難しい顔でしばらく思案したのち、ぽつりぽつりと答えを返す。

『ほのかは、えっと、いつもやさしい。あと、いざというときは、やる』

「えー、そっかなぁ」

 仄は両頬に手を当てて、少し恥ずかしそうにモジモジする。

 そんな彼女をじっと見て、閃の方に視線を移した。

『せんは、いつもげんき。だけど、いつもまわりのこと、ちゃんとみてる』

「あー、なんか面と向かって言われると、恥ずかしいな」

 少し気恥しそうに頭を掻きながら、閃は目を逸らす。

『ふたりとも、だいじ』

 そんな2人を見ながら、灯はひとり頷いた。

 そうやって頷く灯のことを、ヒバナは愛おしそうな目で見つめている。

「そっかぁ。それは良かった。これからもふたりのことよろしくね、灯君」

 まっすぐにこちらに向いてにっこりと笑うヒバナに目線を合わせて、灯はコクリ、と力強く頷いた。

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