―4―
――毒島医院、正面入口。
灯、仄、閃の3人は、ガラス扉の前で建物を見上げていた。
“毒島医院” という名前ではあるものの、ある程度の設備と入院施設が整っている立派な病院だ。
元々病院に苦手意識があるのか、それとも現状に不安を隠しきれないのか。
灯が握る両手は、夏の盛りだというのにどちらも冷え切っており、少し震えていた。
『ふたりとも、だいじょうぶ?』
そっと2人の表情を交互に伺うと、仄も閃も強張った笑みを浮かべた。
「……うん、ごめん。大丈夫」
仄はそう答えて、灯の手をぎゅっと握りかえす。
それにはこくん、と頷きのみで返答し、意を決したように3人は自動ドアをくぐった。
受付で宵街ヒバナの名前を出すと、事情を聞いていたらしい1人の看護師が病室まで案内してくれた。
病室が近づくにつれ、灯の両手はますます強く握られる。
安心させるように少しだけ灯も力を籠めた。
そんな緊張に包まれる3人とは裏腹に、病室の中からはわちゃわちゃとした楽し気な歓声が漏れ出ている。
「あらあら、ずいぶんと楽しそうね?」
少し呆れたような、しかし安心させるような柔らかな笑みを浮かべて、看護師は3人に目的の病室を示した。
ぺこりと看護師にお辞儀をして、灯は「開ける?」と問うように再び2人の顔を伺う。
仄はその視線を受けてますます怯えたように少し後退った。
閃が見かねて一歩前へ出る。
「なんかずいぶん賑やかだし、思ったより悪くねえのかもな」
自らに言い聞かせるように呟くと、意を決したようにトントン、と扉をノックした。
「すいません。失礼します」
「はーい! 木蓮ごめん、そこの扉開けてくれる?」
「うん、わかった」
中からは明るい声が返ってすぐ、がらりと扉が開いた。
扉を開けた中性的な面立ちの少年の脇からそっと部屋の中を伺う。
白を基調とした無機質な室内、清潔そうなシーツの掛かったベッドに腰かけている明るい金髪の女性、そして傍らに立つ背の高い、これまた中性的な装いの黒髪の青年が目に入った。
隣で同じように部屋の中を覗き込んだ仄がはっと息を呑むと、はじかれたように少年の脇をすり抜け、部屋の中へ駆け込んだ。
「せんせぇ……っ!」
そう叫びながら、仄は病院着を纏った金髪の女性の胸に飛び込む。
「おわっ……!? えっと……あれ? 仄?」
突然懐に飛び込んできた仄をびっくりしたように見下ろす女性は、頓狂な声を上げる。
「よかった……っ、せんせぇ……せんせぇよかった……本当に……っ」
その胴にギュッとしがみついたまま、仄は大粒の涙を流す。
「ちょっとちょっとちょっと待って、待って待って!?」
その様子に狼狽えていた女性の視線が、入口で固まっている閃と灯に向けられる。
「あれ? せ、閃も? 久しぶり~。大きくなったね……って、ええぇ???」
胸元に抱きついている仄と入口の閃を交互に見ながら慌てふためいている女性の肩に、傍らの青年がそっと労わるように手を置いた。
「これはこれは。ずいぶん可愛らしいお客さんだね、ヒバナ」
「え~、いや、びっくりしたんだけど! 仄も閃もいきなりどうしたの?」
そう問いかけられて、仄の行動にやや度肝を抜かれていた閃がはっとしたようにペコリ、と中にいる3人にお辞儀をした。
「すみません、ヒバナ先生。その、お邪魔します」
そう挨拶をすると、閃は室内の2人――ミズキと木蓮に顔を向ける。
「えっと、ヒバナ先生と同じチームメイトのミズキさんと木蓮さん、ですよね」
そう問いかけられ、ミズキは改めて挨拶をした赤髪の少年と、ヒバナの胸で泣きじゃくっている桃色の髪の少女を交互に見つめる。
「ふたりとも可愛い可愛い私の教え子なんだ~」
かつてそう言いながらヒバナが嬉しそうに見せてくれた写真の少年少女と、目の前の2人が重なった。
「やあ、ようやく会えたね。日比谷閃君、麻倉仄ちゃん。ヒバナがキミたちの話ばっかりするから、なんだか初めて会った気がしないな。――朝宮ミズキだよ。よろしくね」
そう言って、少女漫画に出てくる王子様よろしくにっこりと微笑んだ。
対して木蓮は、ヒバナに抱きついている仄をジトりとした目で見ながらムスッとした表情を浮かべている。
いつもヒバナが嬉しそうに、大切そうに話す少年と少女が突然目の前に現れ、あまつさえ大好きなヒバナに抱き着いている姿を目にして、木蓮は心中穏やかでいられなかった。
「俺は木蓮。よろしく」
自分の気持ちを持て余してもやもやとしたまま、そっけなく挨拶を返す。
その様子を見て堪え切れないようにミズキが吹き出すのを、木蓮は恨めし気に見上げた。
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
少し緊張した面持ちで閃は改めてふたりにぺこりとお辞儀をすると、入口に立ちすくんでいた灯を半ば強引に部屋に引き入れた。
「えっと、それでこいつは、俺らのチームメイトの鴻野灯です。……ほら、灯」
そう閃に促され、灯はフードを改めて目深にかぶり直すと黙って会釈をする。
自分の火傷跡だらけの顔は見慣れているものの、初めて会う他者からの視線にはいつまで経っても慣れなかった。
不躾な視線も、気の毒そうな表情も、怯えたような目線もすべてが煩わしい。
顔を伏せたまま、仄と閃にだけそっと声を届けた。
『せんせい、げんきそう。よかったね』
閃はそれを受けてほっとしたようにニコリと微笑む。
「一緒に来てくれて、ありがとな」
そう小さな声で灯に返した。
仄はその声が聞こえているのかいないのか、ずっとヒバナに抱き着いたまましゃくりあげている。
仄から少し目線を上げれば、困り切った表情でこちらに助けを求めているヒバナと目が合った。
灯は思わず目線を逸らし、そのまま2人に近づくと仄の肩をぽんぽんと叩く。
『ほのか。せんせい、こまってる』
そう声をかけると、はっとしたように仄は顔を上げた。
「え……? あっ! あっあっ……あっ、ご、ごめんなさいせんせぇ!! その、その…………」
部屋中の視線が自分に集まっていることに気づくと、仄の顔はさっと赤く染まり、弾かれたようにヒバナから離れた。
「あ、あああ、えっと……っ!! あのあの、す、すいません! 本当にごめんなさい、私、取り乱しちゃって……っ」
慌てふためく仄の肩に、ミズキがそっと手を添えた。
「大丈夫だよ、落ち着いて。ヒバナも、今はもうなんともないみたいだから。ね、ヒバナ?」
「うん、ごめんね! でも、いきなり来るからびっくりしちゃったよ~」
そうあっけらかんと返すヒバナに、ミズキは思わず苦笑を浮かべる。
「それだけ君が好かれてる、ってことでしょ。こんなに心配されてるんだよ」
そう諭されて、ヒバナはバツの悪そうな表情を浮かべる。
「あー……、うん。ミズキの言う通りだね。ごめんね、心配かけて。この通り私はピンピンしてるよ! 元気、元気!!」
そう言いながら、ヒバナは仄と閃を安心させるようににっこりと微笑む。
「それにしても、こんな風に抱きつかれるなんて熱烈だね。ヒバナは本当に良い先生なんだ?」
感心したようにミズキがそう問いかけると、仄が堰を切ったように話し出す。
「せんせぇはすごくいい先生です! 本当に優しくて、かっこよくて。あの……っ」
「仄、落ち着けって」
溢れ出す想いに言葉が追い付かず詰まる仄に、閃が笑いながら軽く肩を叩く。
そんな2人を優し気に見つめて、ミズキはフードを深く被り目線を合わせようとしない残りの少年にも声をかけた。
「君は、このふたりの付き添いで来てくれたんだね」
灯は俯いたまま、こくりと頷く。
「そっか。ありがとう。わざわざ病院まで来てくれて。さっきも言ったけど、ボクは朝宮ミズキ。この子は木蓮だよ。よろしくね。えっと、鴻野灯君?」
ミズキの言葉に続くように、ハイハイ、とヒバナも手を上げる。
「えっと、じゃあ私も自己紹介するね。宵街ヒバナです。そっかぁ、君がふたりのチームメイトなんだ。噂には聞いてたんだけど初めて会うね、よろしく!」
明るい笑顔で声をかけるヒバナの顔をちらりと見て、小さく会釈をすると、灯はそのまま再び俯いてしまう。
ふぅ、と緊張したように息を吐くと、仄や閃以外にも聞こえるように声を届けた。
『ふたりから、いつもはなし、きいてた……から』
「え~、そうなんだぁ。何言われてるんだろう私? 恥ずかしくなってきちゃった~」
そんな灯の態度を気にした様子もなくけらけらと笑いながら、ヒバナは自分の頬に手を当てる。
「ボクも気になるな。どんな話なんだろう?」
興味深そうにミズキとヒバナに見つめられて、戸惑いながらぽつりぽつりと灯は話し始める。
『せんせいは、やさしくて、すごいって。ふたりとも、せんせいのこと、だいすき。だから……』
「ちょ、ちょっと灯……っ、そ、そういうこと俺らの前で言うのマジで恥ずかしいっていうか! さ、さすがに、なっ?」
目の前で自分の心情を訥々と話されるという現状に居たたまれなくなり、閃が慌てて灯の言葉を必死に止めに入る。
仄も「あ、う……」と再び顔を真っ赤にして俯いてしまった。
そんな2人の様子をキョトンとして灯は見つめる。
『だって、ふたりとも、いつもそういってる。……それに、きょう、ふたりともすごくしんぱいしてた』
「だから……っ! そういうことは言わなくて良いって……!! あーもう! 灯お前少し黙れよ……っ」
焦ったように思わず閃は灯の口を塞ぐ。
口を塞がれたまま灯はコクリと頷き、声を止めた。
シーンとした静寂がしばしの間病室を包む。
「あああ、悪い、俺の言い方が悪かった。そうじゃなくて……っ!」
慌てふためく閃と、真っ赤に照れてモジモジしている仄、そして不思議そうに首を傾げる灯の姿を見て、ヒバナはアハハと声を上げて笑った。
「よかったねぇ、ふたりとも。こんなに仲のいい友人ができたんだ」
うんうんとひとり納得したように頷き、ヒバナはそっぽを向いていた木蓮に対して暖かい目を向けた。
その視線に気づいた木蓮は、とたた、とヒバナのベッドの傍に駆け寄る。
そんな木蓮の様子にますます笑みを深くしながら、ヒバナはその髪を優しく撫でた。
「はあぁ……、なんだこの可愛い生物は……」
「ん、なに?」
「んー、別に何でもないよ」
思わず心の声が漏れ出てしまったらしい。
不思議そうに見上げる木蓮の頭を、ヒバナはよしよし、とひとしきり撫でまわした。
( “嫉妬心” とか、まだ自覚してないんだろうなあ)
そんな木蓮の心の成長が愛おしく感じられる。
ミズキも、そんな2人の様子を穏やかに、嬉しそうに見つめていた。
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