ー3ー
――毒島医院・ヒバナの病室。
昨晩の苦しそうな息遣いがまるで嘘のように元気よく朝食をかきこむヒバナの姿を、ほっとした、半ば呆れた様な複雑な表情を浮かべてミズキは見つめていた。
パンの塊にかぶりついた後、急に目を白黒させて自らの胸元を叩くヒバナを目にして、ミズキは慌てて提供された牛乳を差し出しながらその背中をさする。
「ああ、もうそんなにかっこまないで! 体に悪いよ? ……っていうか、本当にもう大丈夫なの?」
心配げに問いかけるミズキの手から牛乳をひったくるように受け取ると、勢いよく飲み干すヒバナ。
「ふぅ、死ぬかと思ったぁ……じゃなくて! だーいじょうぶだって。こんなにピンピンしてるんだよ? 私」
空になった牛乳パックを片手に、ヒバナは満面の笑みでVサインを返す。
いつもと変わらない笑顔を向けられて、ミズキは思わず小さく安堵の吐息を漏らした。
昨晩から強張り続けていた身体から、少しだけ力が抜ける。
「それならいいんだけどさ。でも、調子が悪かったりちょっとでも変なところがあったり、おかしいなって思ったらすぐボクに言いなよ?」
そういいながら、ミズキはヒバナの額に自らの額を近づける。
「もぅ、ミズキは~。そうやっておせっかいっていうか心配性っていうか、構いすぎっていうか。だから!」
言葉と共にヒバナは素早く、近づけられた額にペチンとデコピンをかます。
思わず額を抑えて呻くミズキの顔を、ヒバナが逆に覗き込んだ。
「ミズキの方こそ、ずっと起きてるんじゃないの? ちゃんと寝た?? 私がぐーすか寝てる間に心配だからってずっと起きてたでしょ。目の下にクマ見えてるよ」
グイっと顔を近づけられて、思わず目線を逸らす。
「い、いや? ……ボクは適度に休みを入れながら見てたから、ね? 大丈夫! 大丈夫だよ」
「……ホントぉ?」
目を泳がせながら必死で取り繕うミズキに、ますますヒバナの視線が胡乱げになる。
はぁ、とひとつ大きく溜息をつくと、ヒバナはサイドテーブルに置いてある自分のポーチを指さした。
「そこのポーチ取って」
「これかい?」
指示されたものを手渡そうと差し出された腕をグイ、と掴み、ヒバナはミズキを隣に座らせた。
「バレたら先生に怒られるかもしれないけど。……ほら、顔こっち向けて!」
そう言いながら、ポーチの中から化粧道具一式を取り出し膝に広げる。
「……参ったな……」
少し照れくさそうにしながらもミズキは大人しく目を閉じ、ヒバナの前に無防備な顔を晒す。
「ミズキだって年頃の女の子なんだから、ちゃんと肌の手入れとかしなくちゃダメだよ! ……まあ、倒れてた私が言っても説得力ないかもだけど」
そう言いながら、ヒバナは手早くコンシーラーをミズキの目元に伸ばし、パウダーをはたいて、薄く頬に紅を指す。
「はい、できた!」
ヒバナが差し出した手鏡に映るミズキは、先ほどよりずいぶんと顔色がよく見える。
それでいて一見メイクしているとはわからない、まるで素顔のようなナチュラルな仕上がりだった。
「……ありがと」
少し照れ臭そうにはにかみながら鏡から顔を上げると、こちらをじっと見つめるヒバナと目があった。
そのまましばし、無言のまま見つめ合う。
そっとミズキの手がヒバナの頬に添えられ、そして。
部屋に遠慮がちなノックの音が響いた。
ゆっくり扉が開いて、白銀の髪がそっと部屋を覗き込む。
「おはよう」
少し緊張した面持ちの木蓮が、きょろきょろと病室の中を見渡し、ベッドに腰かけて向かい合う2人を目にすると、その表情がぱあっと輝いた。
「おはよ!」
先ほどとは打って変わって元気な声で挨拶をしながら、木蓮はベッドサイドに駆け寄ってくる。
「あ、木蓮。来てくれたんだ」
ミズキはそちらの方に顔を向け、穏やかな微笑みを浮かべる。
ヒバナも同時に声の方を向き、両手を伸ばして木蓮を出迎えた。
「もっくん、おはよ~! ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって。今日休みだったのに」
「謝んないで、全然大丈夫だから!」
そう返しながら、木蓮は伸ばされたヒバナの両手をぎゅっと握りしめる。
「えっ!? ど、どうしたのもっくん?」
びっくりしたように目を見開く琥珀の瞳と、その手から伝わる少し高い体温。
自分のよく知る、いつもと変わらないヒバナが目の前にいることを実感して、木蓮はようやく体の力が抜けた気がした。
「……何でもない、何でもなさそうでよかった」
心底安心した表情で、ヒバナに笑いかける。
木蓮に満面の笑みを向けられて、へへっとちょっと照れたように、そしてものすごく嬉しそうにヒバナも笑顔を返した。
「う~ん、こうやってみんなに心配されるんだったら、たまに病気になるのもいいのかもしれないなぁ」
「こら、縁起でもないことを言わないでくれよ」
冗談めかしてにやけるヒバナの頬を、ミズキが軽く小突く。
「えへへ、ゴメンゴメン」
「でも、まあそんな軽口を言えるくらいなら、心配して損したかな?」
冗談に返すかのように、ミズキは大げさに肩をすくめてみせた。
「でも本当にごめんね、ふたりとも。大丈夫! 私こんなにピンピンしてるし元気だから、問題はないと思うよ?」
2人の顔を交互に見ながら、改めて安心させるようにヒバナは笑顔でガッツポーズを作る。
「 “おせっかい” ってさっきは言われたけど、ボクらはオーヴァードだし、一体どんな不調だったか分からないじゃないか。だから、本当に気をつけて。ね、ヒバナ?」
「うーん……」
少し顔を引き締めたミズキにそう言われ、ヒバナは腕を組んで考え込む。
「木蓮もだよ? キミの頼もしさはちゃんと知ってるけど、でも自分のことをあんまり蔑ろにしないように。いいね?」
「……え、俺?」
急に話を振られてキョトンとする木蓮の頭を、ミズキは慈しむようにそっと撫でる。
目を丸くしていた木蓮は、頭上に添えられた手にふにゃり、と安心しきった表情を浮かべた。
その可愛らしい様子を目にして、一瞬ミズキの表情が固まる。
何かを堪える様に、ことさらゆっくりと丁寧に木蓮の頭を撫で続けていたミズキと、ゴロゴロと喉を鳴らしてその手に擦り寄る猫のような木蓮を、ヒバナはにやにやとしながら見つめていたが。
「えい!」
やがて耐え切れなくなったように2人の頭に手を添えると、クシャクシャと乱暴に撫でまわした。
「ああもう、なんだよヒバナ」
突然髪を乱されてミズキが非難めいた視線を向けると、そこには「カッコつけようとしてるのなんてお見通しだぞ」と言わんばかりに満面の笑みを浮かべたヒバナの顔。
「もう、ふたりともほんっとにかわいいなぁ~」
ますます笑みを深くしながら、ヒバナは2人の頭をぎゅっと抱きしめる。
「か、かわいいって……。そ、そんなことない。そんなことないよ」
ちょっと目を泳がせて、ミズキはその腕から逃れようとする。
「え~、そんなことあるよ! ねー、もっくん。ミズキ、可愛いよね~?」
そんなミズキを逃すまいとがっつりホールドしながら、ヒバナは木蓮の方に大げさに同意を求める。
「うん、ふたりともとっても可愛い!」
お返し、と言わんばかりに木蓮は2人にギュッと抱き着いた。
「わわっ」
可愛い、と繰り返されたミズキは無性に照れくささでいたたまれなくなり、顔を赤らめる。
「……あー、もう! この話! この話は終わり終わり! ……ね?」
半ば懇願するように、大げさに手を振ってその話題を閉めようとするミズキに、ヒバナと木蓮はますます口をそろえて「可愛い」を連呼するのであった。
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