◆2日目 朝 ~Slight cloud~

ー2ー

 いつもとは違うメンバーとの任務を無事終えた翌朝。

 木蓮もくれんは、任務の報告書を提出しに自身の所属するUGN支部を訪れていた。

 これを提出すれば今日は非番だ。ミズキとヒバナも、今日は休みだと聞いている。

『朝支部に寄るなら迎えに行くね! そのまま遊びに行こうよ』

 昨夕ヒバナから届いていた可愛らしいスタンプとメッセージを何度も確認しては、思わず頬が緩む。

 たった数日とはいえ、慣れないメンバーとの任務で思った以上に気を張り詰めていたらしい。

 2人に会えるのを殊更ことさら楽しみにしながら、木蓮は支部の扉を開いた。


 既に出勤していたらしい支部員達の視線が、一斉にこちらへと注がれる。

 そのどことなく緊張をはらんだ雰囲気に気圧され、扉を開けたまま木蓮はその場で固まってしまった。

 目線だけを動かし室内を見渡したが、会いたいと焦がれていた2人の姿はそこにはない。

「 “盾の人シールドマン” 、来たか」

 そんな木蓮に、奥から壮年の男性が声をかけた。

「……支部長、おはようございます」

 その声で少し金縛りが解けたように、木蓮はその男性――上司である支部長にぺこりと頭を下げた。


「……ああ、おはよう。任務、ご苦労だった」

 そう返す彼の顔は、いつも以上に暗く落ち込んで見える。

「なんか支部長、顔色悪い?」

 そう返された支部長は、ばつが悪そうに目線を逸らす。

 支部の雰囲気、支部長の表情、そしてここにいるはずの2人の不在。

 木蓮の中で、言い知れぬ不安がむくむくと首をもたげてくる。

「支部長、ふたりは今日まだ来てないんです?」

 不安を振り払うように、まっすぐに支部長のほうを見てそう問いかける。

 その視線を受けて、覚悟を決めたように支部長は奥の扉へと木蓮を招いた。


「……その事なんだがな」

 支部長室に入ると、木蓮をソファに座らせながら彼は自分の机に向かう。

「隠し立てするのも良くないな。お前には知る権利があるだろう。宵街ヒバナは…… “終わりゆく祝砲の華ハピリィエヴァーアフター” は、昨晩倒れたんだ。今はUGN傘下の毒島ぶすじま医院にいる。お前もあそこはよく知ってるだろう。すぐに向かうと良い」

 ――ヒバナが、倒れた。

 その言葉の意味を咀嚼し、理解するまでに数秒を要した。

 白銀の瞳がゆっくりと大きく見開かれる。

 小さく息を吞む音がやけに大きく部屋に響いた。

 支部長は机上にあった紙束を手早くかき集め、それをまとめて木蓮に差し出した。

 ぎこちなくそれに目線を落とす。


 “薬霧ヤクム異能イノウ起因型キインガタ七段ナナダン解離性カイリセイ健忘ケンボウ記憶障害キオクショウガイ、通称:SSDMI”


 やたら長ったらしい漢字の羅列が目に飛び込んでくる。

 文字の意味は全く頭に入ってこないにも関わらず、蛍光マーカーで強調されたそれが、なぜか強烈に脳裏に焼き付いた。


「詳しいことは俺にもよくわからんが、少なくとも一命は取り留めている……との事だ。ちょうど一緒にいた朝宮ミズキ―― “原初の水メルクリウス” が対処に当たってくれたよ。今も宵街に付き添っている筈だ」

 状況に追いつけず固まっていた木蓮の思考に、ミズキの名前がじんわりと染み入る。

 ミズキが、と吐息交じりにその名を口にして、少し体の強張りが解けた。

「ミズキがいたんなら、大丈夫なのかな。……今、ヒバナは病院にいるんですよね?」

「ああ、そうだ。お前も今日は非番だったろう? しばらくお前達3人のチームには休暇を出した。お前もすぐに宵街の元に行くといい」

「分かりました。ありがとうございます。じゃあ、私は今から病院に行くので失礼します」

 再びぺこりと頭を下げ部屋を後にする木蓮の背中に、支部長が声をかける。

「木蓮。……気張れよ」

 どこか沈痛な面持ちの彼の表情とその言葉が、重苦しく響いた。

 


 * * *



 ――同時刻、ヒバナ達とは別のUGN支部。

 チルドレンの住まう寮の談話室で、鴻野こうのあかしはチームメイトの麻倉あさくらほのか日比谷ひびやせんを待っていた。

 スリーマンセルで任務にあたるときは、いつもここで軽くミーティングをしてから現場に向かうのが日課になっている。

 どちらかというと朝が弱い灯は最後に合流することが多いのだが、珍しく今日は一番乗りだった。

 時間になっても来ない2人に内心首を傾げながら、手持ち無沙汰に椅子に座ってぼーっと廊下のほうを眺めていると、バタバタという慌ただしい足音とともに仄と閃が息を切らして走ってくるのが見えた。

 明らかに様子がおかしい2人を見て、思わず立ち上がった灯の胸元に仄が飛び込んでくる。

 慌ててその小さな身体を抱きとめると、勢いで彼女のウェーブのかかった柔らかい髪が花霞のように視界いっぱいに広がった。


『せん、ほのか、おはよう。……どうした?』

 その様子に目を丸くしつつ、ふたりに直接『声』を届ける。

 かつての事故で声を失った灯にとって、これが日常のコミュニケーション手段であった。

 最も、その声が『聴こえる』のは同じオーヴァードだけなのだが。


 仄はギュッとしがみつきながら、目に涙を浮かべて灯の顔を見上げる。

「灯、あかし、どうしよ……どうしよう……っせんせぇが、せんせぇが……っ」

 その声はひどく震えており、取り乱した様子で「せんせぇが」と繰り返すばかりだ。

 灯は宥めるようにその背中を優しく撫でながら問いかけた。

『 “せんせい” ……って、ほのかとせんがいつもいってた “よいまち ひばな” せんせいのこと?』

 仄は声にならないようで、その問いにただコクコクと肯首する。

 そんな仄の後ろから、重たげな足取りで閃が談話室へと入ってきた。

 要領を得ない灯が困惑気味に閃へと視線を移すと、閃の顔もひどく青ざめており、只事でないことが起こっていることだけは把握できた。


「……いきなり悪い。灯、頼む。……俺らと一緒に来てくれないか?」

『うん、いいけど……どこいくの?』

「毒島医院。UGN傘下の病院の1つで、その……俺らの先生の宵街ヒバナ教官が昨晩倒れて、今そこに入院してるらしいんだ」

『……たおれた?』

 オーヴァードである自分たちは、あまり病気とは縁がない気がする。

 身体の中で異常が起きても、体内に巣食うレネゲイドウイルスが立ち所に治してしまうから、らしい。

 任務で大怪我をして搬送されるならともかく、“突然倒れる” という状況にはあまり馴染みがない。

 だが、2人の様子を見る限り、その “めったにあり得ない緊急事態” が、2人が大切に想っている先生の身に起きていることは明らかだった。


 灯は未だにしがみついている仄の背中を、もう一度ぽんぽんと優しく叩く。

『ほのか、せんせいのとこ、あいにいこう?』

「……うん。ごめん、ありがとう灯。ちょっと落ち着いた」

 泣きじゃくっていた仄は、その言葉に赤く腫らした瞳で灯をもう一度見上げた後、こくりと頷いた。

「ありがとな、灯。もう3人分の外出届けは出してきた。リーダーに事情を説明したら「今日は3人とも非番でいい。……しばらくはな。落ち着いてから来ればいいさ」って言ってくれたから」

 閃の言葉に灯は少し目を見開く。任務をキャンセルして非番をもらう、なんてことは初めての経験だった。

『そう、なんだ、わかった。……そんなにたいへん、なのか?』

「わかんねえ。俺にも詳しいことは分かんねえんだけど。ただ、そのことを伝えてくれたリーダーが、その……随分と慌ててたから。……ダメだよな! 見舞いに行く俺たちがこんな悲壮な顔してちゃあ」

 不吉な考えを振り払うように閃は激しく頭を振ると、自らの頬をパンパンと叩く。

「な、仄も! 灯もこう言ってくれたんだ。もう大丈夫だよな?」

 努めて明るく声をかける閃の言葉に、仄は眼鏡を外してゴシゴシと乱暴に目元を拭った。

「……うん……うん……っ」

 そう頷きながら、仄が震える手で灯の手をぎゅっと握る。

 安心させるようにその手を握り返し、灯は反対の手で閃の手を取る。

『じゃあ、いこう?』

 そのまま、2人を引っ張るように玄関へと向かおうとした。


 閃の手はひどく冷たく、小刻みに震えており、引っ張られた彼はバランスを崩しその場でがくんとつんのめってしまう。

 慌てて灯は立ち止まり、閃の顔を心配そうに覗き込んだ。

「……あ、あれ……っ? ダサいな、俺……」

 そう呟く閃の顔色は真っ青で、震える膝に無理やり気合を入れるように、その場で何度か足踏みをする。

「わりい灯、大丈夫。ありがとう」

 青白い顔のまま半ば無理やりに照れくさそうな笑みを浮かべ、そう返す閃の顔をまっすぐ見つめて、灯は大きくかぶりを振った。

 少しでも2人の震えが治まるように、と握っていた両手をギュッと強く握り直し、再び先導するように扉へと向かった。

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