第105話 斜め上の車窓から

 人生、四十年以上生きていて、今、少し生きやすくなってきた。


 小説を書く上で、人生の圧力に負けそうになったときに私は書物にすがった。


『誰かのために死になさい』


 昨今のアニメでは「自分のために」というのが多いが、昔は「誰かのために」生きることが多かった。



 ただ、社会福利的な『死』なのだろうか?



 そもそも、私は日本が戦時下になっても他人様のために万歳三唱して爆弾咥えて爆死したくない。


 でも、そうした上に我々はいるのである。



 ある時、というか、最近、思いつめることが多かった。


 寝ても悪夢ばかり見るし、仕事も繁忙期の上に配置転換、ストレスで浪費癖が出た。



 それまで「今だけ幸せでいい」とかいうのは堕落者の言うことで「常に人間たるもの向上心を持ち、人類の進化の糧となるために万能でなければならない」という高尚なのかうがった考え方をしていた。


 まあ、少なくとも昨今のテレビやメディアは「我こそは世界中心たり! 異論は認めん!」という論調が多い。



 でも、それって『辛い生き方』だと思う。


 もちろん、あえて茨の道を歩み、キリスト様だか仏様気分になるのもいいだろう。


 ただ、色々注意しないと失うものや混乱する。



 そこで世界の中心を自分から、世界に変える。


 世界と言っても全人類などとオーバーなものではなく、周囲の人たちだ。


 いつもの会社のメンバー(全員とは言わない)、家族、親友……


 彼らが、その場でいい仕事やいい感情が持てるようにアシストをする。


『嫌な仕事を全部自分一人でこなせ』ではなく『大変そうなら休憩時間に愚痴を聞く』などの簡単なものだ。


 簡単なことかもしれない。


 でも、その簡単なことができない大人(私も含め)が意外と多いのが現代社会なのである。

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