第91話 「はい、よろこんで」になるのか?(前編)

 最近、こっちのけんとさんの「はい、よろこんで」という曲がヒットした。


 YouTubeで何と一億再生されている。


 実は、今、イヤフォンで聞いている。



 明るめの曲調だが、内容は背景には作詞・作曲者のこっちのさんの苦悩が詰まっている。


 

 本人の公式動画で言っていたが、「健康であるときこそSOSを出す」という言葉が印象的だ。


『SOSは救命信号だから滅多に出すな』と学習した人間にとって、この言葉は驚きであったし、半分は恐怖であった。



 私にとって助けを求めること=人が離れると同義語だからだ。


 だから、何でも親も周囲も『何でも一人でできる人間』を作ろうとしたわけだ。



 昔、それこそ、私が生まれる前の昭和初期辺りには遊郭などで遊女などに行為の後に甘えることもできただろう。


 バブル期だって遊郭はないけどバーやキャバレー、井戸端会議などで仕事の鬱憤などを晴らしていた。


 だからこそ、表立って弱味をせ見ることが禁忌とされた。



 ところが、変に機械化した現在において、全てが均一化され、かつ多機能の責任や行動力が求められ、かつ、愚痴や怒りは一気に世界をめぐる。


 かつてのある作家は言っていた。


「みーんな同じで味っ気ねぇ」


 各役割が明確で潤沢な金の流れなどがあった場合、各個々人が様々な知識を持ち寄って助言ができたが、今は全てが不明瞭だ。



 だが、ピンチはチャンスではないか?

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