第90話 私の文学における心理的外傷(トラウマ)を考える(中編)
もうちょっとだけ、私の話をさせてほしい。
つまり、生まれついて手足が不自由、または欠損しているような形でなったわけではなく、私の場合、ごく軽微ながらADHDがあったそうだ。
思い出せば、確かに子供の頃は多動ではあったし、周りが忙しそうにしていても、ぼけーっとしていることもあった。
今は、ADHDというものだと判断されるが、当時は、今より精神医療に明るくない時代であり、当時のことを親に問うと、「いやぁ、今考えると天美には悪いとは思っているけど、当時は勉強もできないからせめて、家事一般はできるようにさせたくって虐待まがいのことをしていたわ」という。
学校でも無理解な自称・熱血先生の熱い指導(皮肉)の元、私の人間不信は幾星霜にも積みあがった。
軽い傷でも何度も何度も傷つければ深くなり、血が大量出血する。
私が精神科のクリニックを受診したときは重体だった。
ほぼ瀕死状態で、検査をしたお医者さん(美女)から説明を受けた両親も医師も言った。
「もう、休め!」
でも、私には理解できかった。
--休んだから怒鳴るじゃん
だが、ダメージがどんどん蓄積され、ある日。
私の心はぶっ壊れた。
何もできない。
何もやれない。
『死のう』とさえ考えた。
幸い、その頃に心理学に詳しい師匠が言った。
「休め!」
そこから、色々あった。
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