▼02・所長あらわる
▼02・所長あらわる
幸いにも、エイドス術師に遭遇したりはしなかった。
ササッと最低限の買い物を終え、彼らはまたボロアパートへ戻った。
「しかし便利だねえ。こんな夜に、日用品が一通り売られているなんて」
「えっ、だってそりゃコンビニ……」
言って、鶴巻は気づいた。
海野の世界は一九八〇年頃から分岐したと思われ、さらに最悪クラスの戦火が起こっている。彼女の話を信じる限りでは。
ともあれ、そうすると、コンビニの存在を知らない、またはあったとしても、鶴巻が使っているような形態ではないおそれは高い。
彼女はいかに壮絶な世界にいたのか。
「いやあ便利便利。さて私はベッドで」
「おい馬鹿」
一瞬でもあわれんだ自分が馬鹿だった、と鶴巻は考え直した。
「床に簡単な布団を敷いたから、そこで寝ろ」
「おやおや、簡単な布団を持っているとは、女の子を連れ込んだり」
「そんなわけねえだろ。仕事の都合とかで同僚が泊まったりするんだよ」
「へぇー?」
「もういいから寝ろ。電気を消すぞ」
「私でえっちな妄想とかしちゃダメよ?」
本当に壮絶な世界にいたとは思えない台詞である。
どうなってんだよ。
思いつつ、鶴巻は無言で電気を消した。
翌朝。タブレットの目覚ましがけたたましく鳴ったので、止める。
「おはよう」
彼は、すでに起きていた海野に声を掛ける。
「お、おはよう」
「どうした」
「そっちこそ、どうしたのかなあ?」
「は?」
「私みたいな可愛い女の子と、同じ屋根で……さぞ寝られなかったんだろうなあ」
ニマニマしながら海野。
実際はどうだったか?
もちろん熟睡である。鶴巻は「現場」で眠ることも多いため、どこでもそこそこの深さで眠りに入ることができる。
そしてもう一つ。彼はそもそも神経の図太いほうである。
「残念だったな。見ての通りよく寝た」
「またまたぁ」
「むしろ海野さんのほうが寝不足に見えるぞ」
目元にはうっすら隈があり、肌は若干荒れている。所作に精彩を欠く。
「そ、そんなことないし!」
からかおうとして、鶴巻はふと思った。
彼女は、プレコグとかいう人員に、この世界の情報をある程度、予知という形で与えられているはず。
しかしそうだとしても、全く勝手の違う「異世界」、しかも得体の知れない男と二人きりの夜で、さぞ不安だったはずだ。
「……そうだな……安心して眠れるように、俺も努力するよ」
「ほへ?」
「……そうしていたいならそれでいい。俺が勝手に努力するだけだ」
彼は研究所に、諸々の催促のメールを打った。
なお、彼が知ることは無かったが、海野の寝不足の原因は、男と云々の危険や戦火などとは関係なく、むしろ彼女が彼を猛烈に意識して悶えていたからだった。
もともと彼女も、他人の家で悶えられるほどには、かなり図太い神経をしていたのだった。
それから数日後、鶴巻たちの姿は研究所にあった。
「ほーん、おお、へえー」
あちこちキョロキョロする海野は、おのぼりさんそのものである。もっとも、妖術師連盟の研究所など、関係者以外はそうそう立ち入られる場所ではないから、仕方がないといえば仕方がない。
しかし鶴巻は。
「海野さんの世界だと、研究所ぐらいありそうなものだけどな。特にサイキック側のとか」
「うーん、なんか違うんだよね。サイキック研究所はあまり好きじゃない。いかにもな機械とか、得体の知れない検査機とか。あのジメジメした空気が気持ち悪くて」
どうやら海野にもそれなりの何かがあるらしい。
「ここはなんか明るい感じで、スッキリしてるよね。あまり嫌いじゃない」
「……そうか」
そもそもこの研究所に機械は少ない。妖力や妖術の類を研究するのには、いわゆる科学と異なり、そういったものが比較的必要とされないのだ。そういった事情も、雰囲気に表れているのかもしれない。
だが、ここが研究所であるというのは事実。そして海野が貴重な「研究サンプル」であるのも間違いない。くれぐれも「人未満の扱い」には気を付けないといけない。
彼は独りうなずいた。
「どしたの?」
「いや何でもない。社会って難しいな」
「ほへ……?」
ついこないだまで高校に通いつつ、家業を手伝っていたとはいえ、社会にようやく全面的に出たばかりの青年は、一丁前な感想を口にした。
やがて所長室に来た。
ノック。
「鶴巻です」
「よし、入りなさい」
中に入ると、人のよさそうな中年が待っていた。
「ご無沙汰しております。鶴巻です。メールの件で……」
「ほう。なんだ、するとこのお嬢さんが……」
視線を受けた海野は、素直に自己紹介をする。
「海野と申します。数日前から鶴巻くんにお世話になっています。諸々のお心遣い、痛み入ります。よろしくお願いいたします」
「ほう。いい子じゃないか」
そうか? 性格ははなはだ疑問なんだが。
鶴巻は言葉を呑み込んだ。
「で、何からしたほうがいいかな」
「ひとまず、この海野さんに、この世界の事情を教えていただけませんか。私も業界の人間とはいえ、疎い部分もあるもので、間違ったことやあやふやなことを教えたら火種になりかねません」
「なるほど」
「所長は妖術の特性など実務面もさることながら、エイドス術師たちについての知識、そして歴史についても精通されていることと存じます」
「そうだね」
所長はあっさりとうなずく。かなりの自信の表れだろう。
「そこで、まずはその辺りを海野さんに教えていただいた上で、必要最小限の検査などをしていただきたく思いまして」
「必要最小限の検査……ああ、そうか、そうだな。誰でもそういう扱いは苦手だもんな」
「私は鶴巻くん……の組織のためになるなら、なんでも検査を受け入れます」
「いや、さすがにそういうわけにはいかんだろ。気持ちはうれしいが落ち着け」
鶴巻が制すると、海野は複雑な表情で退いた。
「じゃあ、まずは、歴史とか現状とか、つらつら語っていくか」
所長は深く息をついた。
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