Under the spotlight

Under the spotlight

 彼女は決して、主役にはなれない。


 光輝くその場所で、決して光の中心に身を置くことはない。


 聞こえるのはカチカチと鳴るメトロノームの音と、さらさらと清かに鳴る僅かな衣擦れの音。それから、床が僅かな重みで軋む音。


 舞台の上では、儚げな印象をした少女が柔らかな所作で、しかし指先はしっかりと伸ばして踊っている。ただ、じっとメトロノームのリズムを耳で受け止めながら、それでも彼女から目を離さないよう。


 一瞬の違和感の後、不意に彼女は動きを止めた。僕の表情に気が付いたのか、彼女は何も言わずに手で来るなと制した。


「ちょっとズレた」


 そう呟いた声は先程の儚げな印象とは真逆の、力のこもったものだった。


「電気、点けてもらっていい?」


 僕が渡したタオルで汗を拭きながら、少しだけいらついた口調で言う。僕は何も言わずに頷くと、そのまま電気を点ける。室内全体が一瞬にして明るくなり、その眩しさに思わず目を細めてしまう。しかし、彼女はそんなことお構いなしにメトロノームに合わせて先程ズレた部分の踊りを繰り返し確認している。


 彼女は真面目な性格だと思う。しかもドが前に着いてしまうくらいに。そして、それ以上に努力家だ。周りがこれくらいでと納得するところで、絶対に妥協しない。以前無理のしすぎで脚を痛めた時でさえ、彼女は痛み止めを打ちながら全公演を全うしたほどである。


 だが、それだけしても、彼女は主役にはなれないのだ。一度だけ彼女に、主役に選ばれたくはないのかと問うたことがある。しかし、彼女は何も答えず、それどころか僕が問うたことなど、とうの昔に忘れてしまったかのように、与えられた役割の台詞を朗々と読み上げるのだ。彼女から発せられるその一言、一挙手一投足が、まるで他の誰か、知っているようで知らない誰かが隣にいるような気にさせたのだった。おそらく、それが彼女なりの答えなのだろう。あれ以来僕は同じことを問うたことはない。


 彼女と初めて出会ったのはお互いがまだ子どもの頃であった。偶然自分が所属していた劇団に、彼女が入って来たのだ。


 年は同じだと聞かされていたから、演技など自分と大差ない。そう思っていた自分が、如何に世間知らずであっただろうか。周りの人が様々な感情で言葉を失う中、彼女はそんなこと意に介さず黙々と与えられた役を全うしていた。魅せられた。あの時周りにいた人が抱いた感情は、きっと、その言葉通りだった。


 まだ拙さが目立つその演技であったはずなのに。周りは彼女を天才だと持て囃したけれど、才能という言葉に彼女を押し込んでしまうのは、野暮でしかないように思ってしまう。


 彼女が大人になるにつれ、一人、また一人劇団を辞めていった。僕は劇団こそ辞めていないが、演技は数年前に辞めてしまった。でも、僕はそれを後悔していないし、むしろそれで良かったとすら思っている。僕は彼女の側にいたい。それだけなのだから。


 そして今、僕は彼女のために働いている。彼女のためだけに。


「また主役になれなかったんだって?」


 突然聞こえた声にびくりと肩を振るわせる。見ると、清掃員のおじさんがいつの間にか隣に座っていた。僕は少しだけ早くなった息を整えてから、はいと答えた。


「でも、確かにあの子は主役って感じではないわな」


 視線だけでどういうことか問うと、おじさんは小さく笑った。


「きっと根っからの名脇役なんだろうさ。何の役になっても、物語の住人になっちまうのさ。主役やそこらはどうしても物語を演じるための役だ。簡単に言やぁ、作者の意図を一番反映する役ってところか。まーそれは脇役もそうなんだろうが、あの子の場合は違う。舞台装置……いや、舞台そのものなんだよ。あの子一人でただの空想だった世界が本物になる。それだけの子なんだよ。ただ、あの子と一緒に出た主役の子の大半が演劇を辞めちまってるっつーのは皮肉ではあるわな」


 けけけっと彼は笑うと、恐怖の脇役だなと呟いて稽古場を出て行ってしまう。


 確かに、彼女は演技をすればするほど、作品に携われば携わるほど主役からは遠ざかっている。皮肉かな、それが彼女の努力が周りに認められている証拠なのだ。


 それでも。それでも、と思う。


 彼女が真摯に役に向き合うその姿を、今日も僕はじっと見入る。特に何かを言うでもなく。


 あの日、初めて彼女の演技を見て僕が抱いたのは憧れでも、絶望でもなかった。何も抱かなかったのだ。いや、抱くことができなかったのだ。彼女の作り上げた世界が、僕の心を焼き尽くしてしまったから。


 自分の演劇など、どうでも良かった。ただ、彼女が役を演じる姿を一番近くで見ていたい。ただ、それだけだ。主役を喰らってしまうような、底冷えするような、人の心を燃やし尽くしてしまう恐ろしさを孕んだそれ。


 どうか、彼女が辿り着く場所に一緒にいたい。どうか、彼女が女優として生き絶えるその瞬間まで傍にいさせて欲しい。

 あぁ、この感情はきっと、恋。

                 〈了〉

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Under the spotlight @Tiat726

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画