3.人間

 私はほかの収容者と共に作業をする。プラスチックの部品に金属の板を折り曲げた部品を取り付ける。姿勢を変えると丸椅子が軋む。蛍光灯がパラパラと点滅している。

 パチン、パチンと金属板を嵌めていく。三個に一個、とても可愛いと思うものができる。撫でてやりたいと思う。金属とプラスチックの隙間に唾液を垂らしてやりたくなる。

 同じ班のレンコン頭は私に頻繁に話しかけてくる。

「女ってなア、ずっと見ているとなア、なんだか、殺したくなってくるんよ。あんたもそう思わんか? なア」

 レンコン頭は自由時間でも労働時間でも、いつも私の後を歩き、たびたび私に話しかけた。レンコン頭は女を殺すことの価値を長々と語った。

「女を殺すとなア、心がなんていうか、スカッとする。殴ったり切りつけたりして、女の血でぐっちゃぐちゃになりながら死ぬまで殺し続ける。で、女が死んで動かなくなるとよオ、やっと終わったって感じがする。女は弱いが、一人殺すだけでもだいぶ疲れる。だが、疲れた分だけスカッとする。達成感みたいなやつかなア。たまに逆ギレで歯向かってきてカバンとか振り回す奴がいる。そんなのもまたいいよなア。どうせ負けるのにwって思う。それから、どうせ負けるのにwって言ってやるんだよ」レンコン頭はにたにた笑っている。

 私たちは救済人類として、自殺欲求の減衰治療を行いながらこの施設で生活していくのだと、医師四は言った。私たちには衣食住が与えられ、労働が課せられ、自由時間が与えられた。都市五三の生死選択試験の受験者と市役所職員全員がこの施設に収容されている。

 私は班七の班長に指名されていた。

 コンクリートの直方体の部屋にテーブルがいくつも並んでいて、私たちは黙々と作業に従事した。私語をすると叱られ、幸福ガスを吸引させられた。幸福ガスを吸った者は、錆びた人形のようにぎこちない動作で作業をするようになった。

 休憩時間になると、すかさずレンコン頭が話し始めた。

「おれは世界中の女を殺した後に、最後に残った女と心中したい。最後の女はそれまで殺さない。おれはもう誰と心中するか決めているんだ。誰だかわかるか?」

「お前、結婚してたんだろう? 嫁だろう?」シオシが言った。

「違う。違う。おれは確かに結婚していた。しかし全員殺してやった。汚いからだ。おれは女は汚い順に殺す。最後に残すのは一番きれいな女だよ。わかるだろう誰か」

「アリカトだろ。きれいな女といえばアリカトだ。この収容施設で一番きれいな女だ。奴は総統の愛人をやっているらしい」アヨタツが言った。

「違う。違う。違う。馬鹿が。アリカトも汚い。おれはもうすぐアリカトを殺そうと思っている。ここにきて初めての殺人をやろうと思っている。最初に殺す奴がアリカトだ。あいつはもう見るだけで吐き気がするほど汚い。今すぐにでも殺したいなア。

 おれが最後に殺すのはおれの母親だ。おれの母親が一番きれいだ。おれはずっと母親を最高にきれいな状態に保つために餌をやって風呂に入れて寝かせてやっていたんだ。子守唄を歌って絵本を読んで、泣き喚いたときにはポルノのビデオを見せてやっていたんだ。もちろん女を殺すやつだ。母親はこの世のものとは思えないくらいきれいだった。今はもうきれいじゃなくなっているかもしれない。世話をする人間がいないからだ。おれの代わりにだれが母親の管理をやってくれるんだ。せっかくきれいに保っていたおれの母親が汚れていってしまう」

「俺は、本当は死にたくて、死ぬつもりで試験に行ったんだ」私の正面に座るカンサノがぽつりと言った。「俺は死にたかったんだ。偏見が怖くて。みんな、俺のことを人間だと完全に信じきっていて、それが俺には恐ろしくて仕方がないんだ。俺は本当は人間じゃない気がする。だが、誰一人として俺が人間じゃない可能性があると思っていない。恐ろしいだろう!? 恐ろしいだろう!? 誰もが俺を人間と疑ってやまない。俺は人間であることに拘束されているということなんだよォ。なア、なア、なア。本当は、殺してくれ。もうずっと、殺してくれ。人間じゃなくなりたい。早く何者でもないものにしてくれ」

 カンサノは頭を抱え、泣き出した。カンサノは無価値だ。私は蹴りたくなった。生えている髪の毛をごしごしと踏み潰したくなった。誰もカンサノの話は聞いておらず、手元の部品をいじるか、ぼうっとするか、他の班の男や女を観察するかしていた。


 夜になると、一人になると、姉さんの声が聞こえてくる。私は与えられた個室のベッドの中で目を開いている。扉の上部に空いた小さな窓から廊下の光が差し込んでいる。姉さんが私の耳元で喋っている。

「まーだ死んでなーい」

「ハシタミって、かわいいよね。まだ、死んでない所とか。はやく死ね」

「ハシタミ、お前、今、オナニーやっているよね? 窓の光でオナニーやっているよね? 誰に会いたい? 誰に会ってオナニーして、それを見てもらいたい? あたしでしょ? あたしに見てほしいと思って恐れているんでしょ?」

 私は姉さんの顔を思い出そうとする。「アーッ! アーッ!」私は姉さんに侵されているような気がする。姉さんが私の頭の中に半分透明になった腕を差し入れてアタマの中をぐちゃぐちゃにかき回して笑っているような気がする。「アーッ! アーッ!」しかし私は何も言えない。姉さんに何も言えない。呼びかけることもできない。叫ぶことしかできない。姉さんが一方的に話しかけるだけ。私は叫ぶことしかできない。

 私には血の繋がった姉がいた。それとは別に、姉さんがいた。姉さんは私にとって、姉よりも「姉さん」だった。姉さんと初めて会ったのは、私が小学生の時だった。

「男の子ぉ、あたしと遊んでくれなあい?」

 私が小学校の帰りに公園で毛虫を踏み殺していると、姉さんが話しかけてきた。その時の姉さんは背が高く、髪の毛が長く、色白で、唇が真っ赤だった。ノースリーブのニットを着ていた。下はジーンズで、私は、私は、姉さんの脚を、を、凝視した、た。

 脚。脚。脚。私は姉さんの脚を凝視した。私は初めて、その時生まれて初めて私は興奮した。

「なに、何をして遊ぶの?」私が訊くと、姉さんは笑った。

「それを探すところからやりたいんだよ。あたしは、遊びを探しているの。暇だから」

 本当の遊び。私は楽しそうだと思った。

「んーんーんーんうぅ。いいよ」私は白目を剝いた。脚に興奮した。それから楽しそうだと思った。

 それから私は、放課後は必ず公園に行って、日が暮れるまで姉さんと一緒に過ごすようになった。姉さんは毎日、鳥の糞の跡が残るベンチに座って私を待ってくれていた。私たちは、ただぼうっとしている時もあったし、毛虫やら蚯蚓やらを踏んで殺して砂場に埋めたりする時もあった。ごくたまに姉さんは、当時の私にとって難解な話をすることがあった。

「ハシタミは、本当の自分は何だと思う?」ブランコを漕ぎながら、姉さんが言った。

「本当の自分?」私は、姉さんのジーンズを履いた脚が曲げ伸ばしするのを眺めていた。

「そう、ハシタミは、今、自分のことを人間だと思っているでしょう?」

「うん」

「なんでそう思うの?」

「考えているから?」

「うん。じゃあ、その考えているのって、誰? 人間? それともハシタミ?」姉さんは小首を傾げた。私は姉さんの顔が綺麗で、しばらく見とれていた。

「ぼく、だよ。それから、ぼくは人間だよ」

「あたしはね、自分のことが人間かどうか、分からない。いや、もっと正確に言うと、あたしの本質はあたし自身であって、人間の部分はあたしの本質には含まれない」

「どういうこと?」

「例えば、悪口を言われると腹が立つよね。嫌になるよね」

「うん」

「腹が立つと、殴るよね。普通。血が出るまで、殴るよね。普通に」

「うん」

「でも、後からさ、やっちゃったな、怒られるな、殴らなければ良かった、って後悔することあるでしょ。なんであんなことしちゃったんだろ、って思うときあるでしょ」

「うん」

「そういう、怒りみたいな感情って人間ならではって感じのものじゃん。それで、普通はこう考えるよね。「あたしたちは人間だから怒りを感じる」みたいな。でもあたしは、実はそうじゃないと思っている。あたしたちは全てが人間で出来ているわけではなくて、あたしたちの中に人間という、感情を生成する機械があって、危害を加えられると怒りとかを生み出してあたしたちに供給する。あたしたちはそれを本当の自分の感情だと勘違いして、殴ってしまう。それで、後悔する。あたしたちはみんな、そういう風にして、自分の人間の部分に操られているんだよ。じゃあ、あたしの本当の部分はどこなのか? 真のあたしとは何か? 理性って答える人もいると思うけれど、あたしは狂気だと思っている。ほら、あたしたちは、ふとした時に発狂してしまうでしょう? 人間でもほかの動物でも同じ。ふとした時に発狂してしまう。それは喜怒哀楽を規則正しく生み出す人間のものではなくて、純粋にあたしたち自身のものってことなんだよ。ハシタミもあたしも、本当の姿は狂気なんだよ。つまり、肉も骨も何もかも削ぎ落した真のあたしたちは、狂気のかたまり」

 わたしはとにかく、「そうだね」と頷いた。姉さんはきれいで、姉さんの言うことに間違いはないのだと感じた。

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