第4話 逃亡

 僕は夢を見ていた。

 僕、ウラカ、ラナイ、レイが後ろ手で捕縛されて、荷車でゴトゴト運ばれていて、背を向けたズミがモッシに繋がる手綱を引いている。

「そろそろ二人とも僕から降りてくれないかな。重いんだけど」

「わたしが重いのね。あなたへの気持ちが乗ってるからかも」

 ウラカが自嘲気味に答えた。

 僕は何とか荷台に腰を掛けることに成功し、レイも真似るように隣に滑り込んできた。これで焚き火を挟んだときと同じだ。ここはそんなに狭くはない気がしてきた。

 広すぎるくらい広い。焚き火以外、見えない闇がどこまでも続いていた。俯瞰したとき、僕たちは闇の中でポツンとしている。

 メディオがいないな。

 僕はレイに話しかけた。

「夢かな」

「わたしも同じ夢みたい」

 会話はできるということは同じ夢の中にいるということか。要するに幻術でも見せられているのか。

「ウラカとラナイも」

「もちろん話せるわよ」ウラカは呆れたように答えた。「何か二人とも牧歌的よね。他人に起きたこと話してるみたいだわ」

「いつもだよ。まさかウラかとラナイは死ぬ覚悟なんてしてないよね」

 レイは笑いを殺していた。

「だねぇ。僕もいろんなことを学んだけどね。何とかなるもんだよ」

「ならないと思うわよ」

 不意に現れたメディオが短剣でラナイの腹を突き刺した。ラナイは剣を抜く力で前に倒れた。

「わたしはこれで逃げるわ」

 メディオが後ずさると、闇の中へと姿を消した。

「つまんね」

 レイが呟いた。

「幻術だな」と僕。

「ちょっとひどいわね。ウラカは短剣で人を刺したことある?簡単には刺せないわ。ラナイも知っているだろうけど。そもそも刺されてないから死なない。永遠に苦しむのか疲れて眠るかよね。これは夢の世界」

 僕は欠伸をした。白亜の塔でどれくらい幻術を浴びせられたか。それと比べれば、今回のことなんてバカバカしいくらいだ。

「わたしたちには魔法なんてものは効かないの。わたしはシンにもたれて寝てたのよ。よく眠れた」

「聞かなきゃいけない?」

 消えかけた焚き火のある世界に戻った。ぼやけた視界にモッシがうずくまって寝ていた。ズミが眠りかけていて、ラナイは刺されたところを押さえながら苦しんでいた。

 メディオの姿はない。

「あの子は基本的には幻術しか使えないんだよ。浮遊も少しは使えるのかなあ。怪しいな。ただそれでも凄いんだけどね。ただラナイにはやりすぎだよ。こんなことして苦しめるのはどうかなとは思う。ラナイが演技してくれているんならいいけどそうでもなさそうだしね。もしどこかで聞いているんなら、覚えておいてくれるとうれしい。彼女は砲撃から君を救おうとしてくれた。幻術であろうとなかろうと、今みたいに人の気持ちを弄んじゃいけない」

 僕はゆっくりと話した。脂汗で濡れた額にシワを寄せたラナイが苦しみの中、何とか身を起こした。

「君の悪意は許さない」

『どうするんですか』

 どこかから声が聞こえた。正直なところ期待はしていなかった。

「どうもしない」

『おかしいこと言うんですね』

「いずれこの意味がわかる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。ただ僕は許さないだけだ。君に選択肢は与えられない」

 僕は夢から覚めた。

「何か話してた?」

 レイに聞くと、

「話してないけど聞こえた」

 ウラカもラナイも頷いた。

「ところで村から逃げるときバケモノが現れたよね。どう見えた?」

 頭二つ分くらいの獣が飛び出してきたが、僕たちはあれをどこかで見たことあるんだと話した。レイもわたしにはルテイム城の異界軍の剥製と同じに見えたと答えた。

「あれは剥製だったけど、今回は剥製でも幻術でもなかったわ」

「幻術も混じっていた」と僕。

「特異点が現れた」

 ウラカが呟くように答えた。ルテイムのような大規模なものではないものの、現れてはいけない異界へのトンネルができつつある。

「砲撃はどうかしら。あっちから何か見えたのかも」

 ウラカは自問自答した。現実であろうと幻術であろうと見えたものへ撃ち込んだにすぎない。兵士は何でも武力で解決する。そのために雇われているのだから、当然と言えば当然のことだった。

「わたしたちがいるのに撃ち込んでくるとは驚きよ。逆にわざとなら驚かないけど」ウラカは小さい笑みを浮かべた。「単に嫌われてるのかもしれないし、口封じかもしれない」

 レイは「口封じ?」と首を傾げた。教会の船から呪具が盗まれたことを知ることができて、しかも懐柔できないとなれば殺される。

 これからどうするか。ウラカは村の現状はどうなのかということを調べたいと言った。特異点が現れるようならば、早く塞がなければならないのだと続けた。しばらく船は動かないし、面倒見ている暇はない。

「小さな地域に呪具が飽和して臨界点を超えたのよ」

「でも教会の船には呪具はないんだろう。村にあるだけのもので異界の者が押し寄せてこない。ルテイムレベルでもないんだし」

「わたしたちが乗っていたとき、どこの誰に砲撃したの。わたしは積み替えた荷船が近くにいたと思うの」

「逃げてないのか。ラナイ、少しはマシになったか?」

「あぁくっそ痛ぇ。刺されてねえのにマジ刺されたみてえだ」

 上体を何度か左右にねじると、

「でももう心配ねぇよ」

 まだ夜だし、動くのは朝からにしようと提案した。ウラカはできるだけ早く村へ戻りたいと訴えた。

「夜に動くとろくなことないぞ」

 レイは枝に火をつけた布を巻きつけて路を照らすようにした。モッシが前を行くので路を踏み外すことはないだろうから、僕は後に続いた。

 後ろからレイ、ウラカ、ズミとラナイが殿で警戒した。

「傷ひどいね」とレイ。

「まだマシだよ」

 鞭打ちを簡単に見ている人がいるかもしれないが、下手をすれば腕が動かなくなることや筋肉が断裂して体が不自由になることもある。そうなって捨てられた人々を見た。

「シン」ウラカが聞いた。「自分のシャツはないの?」

「持って行かれた」

「レイの持ってるのは?」

「メディオのものよ」

 僕は着てみた。

「あれ?僕のものだ。わざわざ着替えを返して逃げたのか」

「律儀ね」とウラカ。

 僕は答えないまま、ハンドアックスに手を掛けた。レイはウラカに松明を持たせた。モッシが闇へ襲いかかった後、僕が斜面の上、レイは下、ラナイはウラカを匿った。

「ウラカ、結界を」

 レイの声が飛んだ。矢が火を目掛けて飛んだが、結界が防いだ。

「みんなのはいらないわ。自分だけを守って!」

 首のリングがピリついて地面から伝わる力を斧に込めた。瞬間、斧と刺客が砕け飛んで、僕自身も喉に何か込み上げてきた。襲撃が一段落したとき、誰にも知られないように吐いた。左手に持ったハンドアックスは柄も胴も消え、敵から奪った剣に持ち替えた。左腕にも一筋の傷が縦に走っていたが、これは枝で擦れたように見えた。これはメディオを救おうとしているのか始末しようとしているのか。何とも言えないな。


 連れて来られたし、難破みたいなことになるし、砲撃されるし。僕の気持ちは萎える。これまで戻ったことはあるかとレイに尋ねると、彼女は後ろ向きな意味ではないと答えた。前向きな意味では、白亜の塔を潰すために戻った。このまま本部まで行けば良いのではないか。村のことは村に任せるか、船の連中に任せておいて、僕たちを運んでくれ。

「うるさいわね」

「ウラカ、さっきからずっとイライラしてるじゃん。どした。そもそもわたしたちは船で行くのはやめようと提案してたんだよね」

「襲われたのに平気なの?」

 ウラカが早口で言うので、

「織り込み済みだよ。こんな火をつけて歩いてるんだ。だから夜に歩くのはやめようと止めたんだ。僕たちの経験則だよ。森は舐めるなというのもある。今夜なんてコンボだ」

「もういい!」

「やけに荒れてるな」

「そりゃ荒れるわよ。すべての予定が狂ってるんだから。わたしは線は定規で引きたい派なのよ」

 ウラカは僕を呼んだ。行きたくないが、嫌々行くと、金銀と宝石のついた首飾りを寄越してきた。ウラカが村から逃げるときにどうにか拾い上げていたものだそうだ。

「そこそこ売れそうだね」

「欲しい人はいるわね。売れるかもしれないわね。呪具よ」

 僕は慌てて返した。またぞろ呪われては堪らない。ウラカは失笑に似た笑みで受け取ると、もうこれには効果はなさそうだと話した。

「昨夜ラナイに治癒を施したときのこと覚えてるわよね。あなたがわたしの肩に手を置いたときのこと」

「まだ怒ってるのか」

「怒ってないわよ。これはあなたのせいで壊れたと思ってる。そうでも考えないと辻褄が合わないから」

 ウラカが手の中で揉みくちゃにすると、首飾りの宝石も金銀細工も粉々に潰れた。呪具は集めるだけではなく、きちんと管理してこそ意味を持つらしい。釣り合いも考えて使わないと、こうなるとのことだ。

「弁償できないぞ」

「こんなものいらないわよ」

 ようやく獣道から出て、少し開けたところから見下ろした村はほとんどが焼け落ちていた。

 海にはメインマストの真ん中からトップにかけて折れたままの教会船が浮かんでいた。

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