第3話 砲撃
「泣くな、メディオ」
ラナイが少女を抱えて路地裏へ走り込んできた。僕たちは互いに後ろを気にしながら狭苦しい軒下を抜けて高台へと闇を駆け上がる。土埃が舞う瓦礫の中、ウラカが何かを引ったくるようにして走ってきた。もちろん僕もいろいろわからないものを盗んできた。急にラナイは踵で止まると、獣の臭いを撒き散らして追いかけてくる三頭身のバケモノを斬り捨てた。僕も窓から掴み合いながら飛び出してきた二足歩行の獣を蹴飛ばした。ドブに似た臭いが立ち込めていたが気にしていられない。
「くそっ!」
「どうした?」
「すぐに剣が折れる」
「力と釣り合ってないんだよ。ノイタの剣はどうした」
「わたしのもんじゃない。船に積んだままだ。とにかく上だ」
僕は落ちていたハンドアックスを取り上げて獣人の首に狙いを定めた。何だよ、この村は。さっきまで集会所にいた女の中から皮を剥ぐように数匹の獣人が姿を現した。
幻術に惑わされているな。
レイはどこだ。
地を這う蛇が獣を砕いた。
「レイ、キリがない」
僕は抱き上げたレイを山腹まで駆け上がると、茂みへ飛び込んだ。
「何か見えるか」
乱暴に頭を抱き寄せた。
何だ、これは。
砲撃を繰り返す教会船が黒い渦に覆われて、村も同じように飲み込まれようとしていた。逆か。村からの黒い液体が教会船に触手を伸ばそうとしていた。どちらともなく引き寄せ合っているのが正解か。茂みにもコールタールのような液体が垂れ落ちていた。息を潜めていると、ウラカとラナイが合流してきた。しかしレイ越しには二人の姿ではなく、脂に塗れた小人が塊になっている異形の者に見えた。
レイは鞭で引き裂いた。と同時にウラカの後ろからラナイが獣に剣を突き刺していた。そしてお互いに一発ずつ殴り合う寸前で納得した。
「同士討ちになるところよ」
ウラカが呆れた。
「ならないよ。もうルテイムの街のことを忘れてるのか」
「覚えてる。教会船のこともね」
急にラナイが咳き込んで黒い半液体を吐いた。髪で顔が見えないが内臓でも吐いているようにえずいた。
「吐かせて」
ウラカはラナイの喉に指を入れた。縛られて茂みに転がされた少女は不安そうに様子を見ていた。
「シン、ひとまずこの子を逃がしてあげるわ。一緒に死ぬ義理はない」
「僕たちは構わないけど」
「ラナイを守りたいのよ。子どもに力を割きたくない」
結び目に手をかざし、少し長い呪文を唱えると、少女の体から縄が消えた。僕は彼女に笑いかけた。
「だそうだよ。君は巻き込まれないように僕たちと逃げるんだ」
「あなたは残るの」
「気をつけるのよ」
レイは石のついた紐で少女の解けた髪を結んでやった。これで髪も邪魔にならないわと笑いかけた。
「わたしは術に入るから、二人は誰か来たらお願い。やるわよ」
ウラカは頭を下げて両手を胸の前で組んだ後、まったく聞こえない呪文を唱えた。レイも索敵した。僕は邪魔にならないようにと思いつつウラカの肩に手を添えた。彼女の腕がわずかに跳ねたかと思うと咳き込んだラナイが地面を睨んだ。
「もう大丈夫です」
と答えた。まだ吐いた跡の涎が地面に落ちていたが、瞳に光が戻ってきていた。急にやつれたウラカの横顔を見つめていたレイは彼女がふらついたところを抱き留めた。ウラカは僕を見たので、素知らぬ顔で視線を逸らした。邪魔したのかな。
茂みが揺れた。僕はハンドアックスを構えて、レイは二人に結界を張ろうとした。すると少女がシャツを袋にして水を持っていた。逃げきることもできたのに、わざわざ水を汲んできてくれたのか。
「どうしてここにいるの」
「怒らない。善意だよ」
僕はウラカを宥めた。でも死ぬかもしれないと言うので、それなら僕たちも逃がしてくれと答えた。
「二人は戦力よ」
「どうだか」
「いいわ。わたしに何かした?」
と囁いてきた。
「邪魔したか。塔の剣を使うときのイメージを使ってみた」
「死ぬかと思ったわ。今でも腕が痺れてる」
ラナイは水を手で汲んだ。まずはウラカに飲ませようとして、苦笑されながら拒否された。
「何か入れた?」
ウラカの早口の言葉に少女はビクッとした。答えることもできずにいたところをレイが抱き寄せた。
「ただ聞いてるだけよ。ね、心配しないで。何を入れたか教えて」
「魔女の実」
シャツの呪術が解けて、地面に水が溢れ出した。彼女はピアスを捻るようにして外して見せた。
「もし怪我とかしたら水と混ぜろと教えられたから」
「戻して」
レイが少女の手を握ると、
「ありがとう」
と言い、僕は自分の脱いだシャツを自称魔女に着させた。
「レイは何ともないんだな」
「何だかわたしも」
僕たちは山頂から尾根伝いに獣道を歩いた。途中、休憩を入れるときには、湧き水を飲んだ。後ろから獣が忍んでいるのが、自称魔女は気になるらしく、何度も見ていた。
「ちょっと静かにしろよ」
「俺様は後ろの様子を気にしながら歩いてるんだぞ。そもそも四つ足の俺様は後ろは見えん」
「前はズミが斥候してる」
「逆じゃないのか」
「ウラカに言えよ」
「うるさい!」
ウラカが一言放つと、自称魔女はビクッとした。超絶ウラカは子ども相手には向いていない。ラナイがウラカを怖がるのはわかる気もする。
「貴様のせいで叱られた」
レイはいつの間にか少女と手を繋いでいた。少女はメディオと呼ばれているということだ。
「グレイシアの魔具って何?」
「言えません」
「わからないで盗むのを手伝わされたの?」
「言えないんです」
「鍵ね」ウラカが気づいた。「言葉に鍵をかけらてるから言えない。キツイものだと死ぬかもしれないから迂闊に話せない」
「仲間は?」
「いる」
「ムリしなくていいわ。でもおねえさんはね、世の中しちゃいけないことはあると思うの」
誰しもが「どの口が言う」と思っていたはずだが、なぜか二人と一匹が僕を見ていた。モッシは貴様のこともだぞと囁いた。世の中ではそういうことになっているのか。
突然、前から少年のような少女が走り込んできてメディオは飛び上がるほど驚いていた。ズミが偵察から戻ってきたのだった。
「異常なし!」
ウラカに報告した。
「本当だろうね」と僕。
「失敬な」口を尖らせた。「路には誰もいませんでしたよ」
「襲う奴が路にいるもんか」
「それじゃあなたが行けばいいじゃないですか」
「おお?」小突いた。「なかなか偉そうに言ってくれるじゃないか」
「二人とも喧嘩しないの」
レイに止められた。
「いじめるんですよ」
「今のはシンが悪いわ。ズミもがんばってるんだから」
ズミの顔は勝ち誇っていた。
歩き慣れていないウラカがバランスを崩した。ラナイが健気に支えようとしたが、手で制して何とか歩こうとして、僕をチラッと見た。お姫様のように抱っこして、それからモッシの背中にまたがらせた。
「そうなの。わたしの胸見たくせに。何なのこの扱い」
これでみんなが平和でいられるんだよ。モッシ、後で骨をやるから我慢しろ。というかおまえの飼い主だぞ。忠誠を示すには今だろ。
「どうしたの?気になるの。あれはモッシ。あれでも聖獣さんよ」
レイはメディオに教えた。
「もう少し丁寧に歩きなさい」
「失礼しました」
あれでもだと。
「この子はズミよ。精霊さん」
「下働きですが」
ズミは丁寧にお辞儀をした。急に止まるものだから蹴飛ばした。
「急に止まるな」
「挨拶です」
「僕にしてないな」
「しましたよ」
「してないね。自信ある。確か馬小屋で糞を投げつけられた」
「これでもわたしは役に没入するタイプなんですよね」
「もううるさいわね。夜の逃避行くらい静かにしてよ」
ウラカは叫んだ。
苛々の限界かな。
二人のこともあるので、夜通し歩くわけにもいかないと、レイと相談して久々の野宿に決定した。
切り株のあるところで火を起こして焚き火にした。夜にもなれば寒さが忍び込んでくる季節になろうとしていることに気づいた。
「どうやって火をつけたの?」
メディオが尋ねた。
僕の隣でレイがイメージするのよと答えた。やってみる?と言うところでやめさせた。どうして?と言うので、やってみて失敗したらどうするんだと答えた。こんなところで自爆したくない。失敗してもいいところで教えてやれ。枝をくべて、モッシを枕に寝ている二人を眺めた。
「本部に行くのはやめようか」
「急にどうしたの?」
「二人を送ったら逃げよう。もうじいさんもばあさんもいない。僕のことは済んだんだ。レイが一人前になれるところを探そう」
「一人前になればどうするの」
二の腕に頭を預けてきた。
「世界征服でもするか」
「いいかも。ルテイム城レベルくらいなら今でも落とせそうだしね」
「あんたたちね、つまんないこと話してるんじゃないわよ。さっさと寝なさい。メディオもそっちにいたらバカになるわよ」
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