「話す」

西丸子P

「まだ死ねない」

 父と何をしたことがあっただろうか。

 最初に思い出すのは、まだ子守歌で寝かしつけられていた頃。何かの曲の伴奏を聞きながら、背を叩かれていた記憶。それ以上のものは深く考えないと思いつかない。ただ、それ以外なにもないかと言われればそんなことはなかったと思う。もっと笑う人だったはずだ。

 何はともかく、今目の前にいる父は、とうてい笑っているようには見えない。それはそうだろうなと、父の首元の苦悶のあとを指でなぞる。ふとコンビニに並んでいるおにぎりを思い浮かべた。今まさに冷やされているもので、海苔はない。そこにいる父は、疑う余地もないほど既に物だった。この肌がシリコンだと言われても「油か何か混ぜた?」と聞くだけで、疑わないだろう。それほどまでに人じゃない。人じゃないものにどう思い出を語ろうか。語れる思い出などないのかもしれないが……。

 隣の弟は泣いていた。その隣の母も、少し遠くの従兄弟も。顔を赤くして、各々違うように泣いていた。もしかして私は非情だろうか?高校二年の……たしか夏頃、警察の厄介になってから反発するように父とは話してなかった。今では連絡先すら持っていないのだから仕方ないだろう。やるせなさを感じつつも葬儀は進む。

 健康か宗教云々によるものかは知らないが、骨は原型をとどめていなかった。子供の時「100キロ近い」と自嘲していた父の体重は、今、私がひょいと抱えられるほどになっている。

 墓はまぁ……なんとも質素なものだった。


 家に帰り、テレビの明かりで部屋を照らす。三年前進学と同時に一人暮らしを始めた。女っ気がなかった私は特に内装にこだわるわけもなく、テレビの前に無造作に布団を敷いていて、その足元にはいつから溜まっているかわからない洗濯物の山がある。

 テレビのチャンネルは昨日に引き続き、今の時間はニュースがやっていた。偉い人のは連日のように流れるのに、会社員が一人自殺したことには、ニュースってやつはまるで触れないんだな。気持ちを切り替えるように、服を脱いで足元の山に投げ捨てる。

 下着と、適当な肌着を身に付ける。テレビを消すと外から漏れる僅かな光が目立った。寝転がってしまえばわからないほど、微々な光だった。

 眠い。疲れもある。いつもなら着替えもせずそのまま寝てもおかしくないほどなのに、目が閉じられない。瞬きはできるが、気づけば開いている。それでも強引に目を閉じて、数字を数える。一……二……三……四……。

 ――ふと足元から声が聞こえる。くぐもってはいるが外の声ではない。この部屋のなかで、誰かが声を発している。ゆっくりと上体を起こし耳を澄ます。音の主は、どうやら山の中にいるらしい。

「なぁ、そのまま聞いてくれよ。お前、親が死んだのを後悔してるかい?」

「わからない。もしそうだとしたら、どうなるんだよ?」とすぐさま聞き返した。驚きはなかった。それ以前に何が話しているのか私には心底どうでもよかった。

「そりゃあもちろんお前…やり直せるに決まってるじゃないか。条件はあるけどね」

 素っ頓狂な提案も、心の手前で受け止めて、嘲笑に近い興味を持って聞いた「そうか。条件って?」

「お前はこれから高校の夏休みをやり直す。その時に、自分がこれから先起こることを知っていること、誰にも悟られてはいけない。期限は夏休みが終わるまでだ」

 なんだそんなものかと、再び寝転がった私を見下すように、「あぁそれと…」と声の主は付け加えた。

「お前の親が死ぬ以外の出来事は変えちゃいけない。例えばそうだな、お前が大学に上がるときに死んだ飼い猫もついでに――とかは許さない。親の死を防ぐための行動以外は、完璧に過去の自分の行動をなぞるんだ。もしそれができなければ、その時点でこの時間軸に戻ることになる」

「なんだって?」がばっと起きて目を見張る。視線の先に、山はなかった。

 枕元の電子時計はたった今、朝の八時を過ぎたことを知らせている。当時の新型で画面には時間の他に年や曜日はもちろん気温や湿度も書いてある。曰く今日の日付は二〇二二年七月十九日。この光景と、扉越しに聞こえる「起きてるのわかってるから開けろ」と催促するような爪音がすべてを物語っていた。細かな日付に誤差はあれども、少なくとも確実に高校の頃には戻っていた。

 扉を開け、部屋の外へ一歩踏み出す。センサー式の明かりで暗色系の廊下が眩しく光る。足元を擦り寄る猫、既に活動を始めているリビング、テレビの音。鮮烈な刺激が脳を包んだ。

 リビングの奥から名前を呼ばれる。ふとどんな顔を向ければいいのかわからなくなった。一体どの程度過去の自分を真似なければならないのだろうか、足取りが重い。向かった廊下が途方もなく暗く、重苦しく感じた。恐る恐る足を運ぶと、母とまだ小学生の弟がいた。この頃父は単身赴任で、大型連休以外は帰ってこなかった。

 こちらをしっかりと見て「おはよう」と母が言う。その頬はまだ、削げていない。

 たったその一言で私は高校生に引き戻された。大学生活で誰に言うでもなかった言葉を自然と吐き出した。

「——おはよう」

 家族共用のテーブルには既に朝食が並んでいた。私にはトーストの上に目玉焼きをのせたものが、卵が苦手な弟には目玉焼きの代わりにチーズをのせたものが、それぞれ一枚ずつ出されていた。記憶のままにまずは一口。感動だとか、実感だとか、そういったものは全くと言っていいほどなかった。ただ単純に「美味いなぁ」と思うだけだった。


 声の主は、あれから声すらかけてこなかった。あの日から一週間経っても、私の中で少しずつ緊張が消え、時々忘れてしまいそうになるほどでも、一言もよこさなかった。そもそもどこにいるかもわからないのだから、探しようもない。勿論見つけてどうということはないのだが……。

「夏野菜食べるなら、何が良い?」と母がその時突然聞いた。

「オクラ。米に合うやつ」

 椅子の上で姿勢を崩したまま、反射的に答えた。

「難しいなぁ…例えばどんなのよ?」

 私は少し考えたあと「揚げ茄子がいい」と伝えた。正確には揚げびたしというらしいそれは、この時期母が良く作ってくれていた。めんつゆに漬け置いたそれは葱と鰹節をかけると米とよく合った。

「オクラをそんな感じにするってこと?」と母がまた聞いた。

 すこし考える振りをした後、もう面倒になって「そんな感じ」と適当に返した。

 自室に戻り椅子に腰かける。机の上は相変わらず物が散乱している。夏休みの宿題は未だ手についていない。というのも、なまじ一度やったことがある分気が進まず、言い訳をしながら後回しにしていた。

「なぁ、そのまま聞いてくれよ。お前、自分がどういう身かわかってるか?」

 ふと、本棚の奥に暫定的に飾られているぬいぐるみの合間から声が聞こえてきた。

 今の自分の体たらくを指摘し、咎めるような口調に腹が立った。何処の誰かも知らぬ分際で偉そうにと。図星を指されたことは自分でもわかっていたが、その上でもやはり気に障った。

「ああもちろん。父親を助けるために戻ってきたんだ。……だが今いないじゃないか。当分帰ってこないし、生憎この時間でも私は連絡先をもってなかった。やることもないよ。」

「なんで夏休み中に戻ったか考えてみろ」半ば呆れるように捨て吐いた。その後またほんの少し自嘲するように続けた「お前、自分が警察の世話になったって忘れてないか?自分の行動をすべてなぞれって、言ったよな?夏休みで時間の感覚が消えたお前におしえてやろうか、今日の日付は七月の二十六日。お前が捕まった前日だ」

 こいつを言い負かしたいという気持ちはそこで途絶えた。私が啞然としているうちに、直感的に声の主が消えたことを察した。自分でさえも全て汲み取れない程、氾濫した川のように思考ばかりが加速する。冷凍保存された記憶が少しずつその香りを取り戻す。明日私は、少し遠くにある書店で万引きをしなくてはならない。

 翌日、私は家族と一言も話さずに家を出た。トートバッグに鍵と財布だけを投げ入れて、携帯電話は家に置いて行った。


 真夏の車内は蒸し暑く、そこにさらに屈強な警察官に挟まれるものだから、エアコンなんて無意味なほどだったが、反対に刺さる視線と緊張で、凍るように背筋は冷たく、そのギャップで当時ひどかった車酔いがさらに加速したのを覚えている。その後どれほど拘束され、どれほどの人間を巻き込み、どれだけの涙を流させるかも全て、覚えている。

 父はどう思うだろうか、自らの命と引き換えに息子の過ちを消せるとすれば、そちらを望むだろうか。そもそも、この件が父の自殺の原因の可能性もある。ただ――。今回やらなくとも、私は絶対にいつかやっていた。その時はきっと若気の至りじゃ許されない程で、今以上に大きなものを失い、路頭に迷う。というのも、私はこの頃万引きは犯罪だとわかっていた、わかっていた上で厳重注意で済むと、警察が来たあともほんの数時間の説教で終わり、またすぐ日常が始まると、本気で思っていた。それだけ世の中をなめ腐っていた。

 母の声が聴きたい。今日これから、夜遅くまで帰れないのだから。電話がなくて良かったと思いながら、私は……目の前の本に手を伸ばした。

 一冊目は、「新人賞受賞」と帯に華々しく書かれた小説だった。どうやら見つかっていないらしい。

 二冊目は少し右手を伸ばした先にある文庫本。まだ見つからない。

 三冊目は分厚い参考書。——四冊目から先は、もう表紙なんて意識していない。目の前の適当な本をトートバッグに詰めていった。

 もはや何を手に取っているかわからないほど、一心不乱に詰め込んだ。重さを増すトートバッグの圧を感じながら、それでも懸命に本を入れ続けた。

「何してるの」

 振り返るとこの店の店主がいた。大層顔色を悪くし、弱い調子でまた言った。

「ちょっと、来てもらえる?」

 私はようやく、救われた気がした。店主に連れられるがまま、私は関係者以外立ち入り禁止と手書きの張り紙がしてある扉をくぐった。白い机と、パイプ椅子二対並んでいるその部屋に、懐かしさを覚えるのは異常だろうか。ともかく私はトラウマを想起するというより、この場所に辿り着けてよかったと思ってしまった。

 バッグの中身を机の上に出す。自分でも驚く程入れていた。九冊——。文字に起こすと少なく見えるが、中には参考書や画集なんかもあり、それを息を荒くさせなながらひたすら詰め込んでいたのだから、店主が怒りよりも唖然が勝るのは容易に想像できたし、他人事のようだが気の毒だとも思った。

 経験上では二度目だからか、事情聴取も任意同行もスムーズに対応できた。相変わらず車内は暑いが、それほど酔わずに済んだ。

 取り調べ室は監禁だと言われないためになのか扉を開けて行う。しかし、扉の前に誰も通らないし、景色が変わるわけもない。外に出るのも当たり前だが許可を取る必要がある。私からすれば、室外の様子を描いた絵画や写真が扉の代わりに飾られているような、密室とさして変わらないような心持ちだった。

 困難を乗り越えたような安堵と、これからを想う絶望とが果てなく押し寄せ、全てがどうだっていいような気になった。ただ、やはり家族というのは強いもので、母が弟と一緒に私を引き取りに来たときには、そんな気は跡形もなく吹っ飛んで、色々な感情をまとめるようにたった一言「ごめん」と言った。この時間軸の母は、怒らなかった。


 一度目の、かつての自分は事件当時や、調書を取られている間のことは鮮明に覚えていたが、親が来てから一緒に家に帰るまではごっそりと記憶から抜け落ちて思い出すことができなかった。その理由はずっと電車の中で叱られて嫌だったとか、親が泣き出して申し訳なかったとか、そういう思い出したくないことがあったからだと思っていた。

 しかし、今改めてその場に立つと全くそんなことはなく、本当に何もなかった。誰一人、まだ小学一年生の弟でさえも一言も話さなかった。緊迫感というより、話すことがないから話さない。この場にいる全員がそれを徹底していた。

 家に帰ってからは弟は我慢できなくなったのか、それとももとより意識なんてしていなかったのか家に着くといつものようにあれが観たい、これがしたい、風呂に入りたくないと我が儘を言い放った。母はその全てにいつも通りの答えを返した。努めている様子は感じられなかった。

 私はどう過ごしていればいいかの判断すらつかず、終には部屋に籠ろうとした時、「明日また話しなね」と声が聞こえた。裏返った声で返事をして、私は風呂にも入らず部屋に籠った。

 次の日、弟が遊びに出た後に私は机を挟んで母と顔を見合わせていた。長い沈黙を切り崩したのは母だった。

「なんでやったの?」

 母の問いはいたってシンプルだった。私は一度目のことを思い出し、うつむきながら答えた。

「——盗れそうだったから」

 母は深く息を吐いて、せめてどうしても欲しかったとかならよかったのにと顔に浮かべた。それでももう一度、確認するように強く聞いた。

「うち貧乏だよ。借金あるし、この前のゴールデンウイークだって電車で行けるようなとこしか行けなかったし。こういうのもしょっちゅう届くし……」

 そう言いながら、机の上に散乱した紙の中から、固定資産税の督促状を手に持ってみせた。それをひらひらとさせながらまた言った「それでもママは、欲しいって言われたものは時間かかってでも買うようにしてるし……無理なんて言ったこと一回もないと思うよ?」

 本当にその通りだった。殊更物については困ったことは一度もない。五年前の今日も同じようなことを言われ、自分がいかに恵まれていたかを再認識したものだ。

「もう本当に……。学校も何もかも、なんで自分の人生ドブに捨てるようなことしたの?」 

 これもまた五年前に言われていた。今もその時も変わらず答えが出せずにうずくまる。謝罪の言葉も違う気がして、声に出せなかった。その様子を察したのか、それ以上は深く聞かず「明日からパパ帰ってくるから。ちゃんと話してね」と言って外に煙草を吸いに行った。

 私はやっと一息ついて、飼い猫に餌をやり、少しの間惚けていた。明日からはとうとう父と会う。事件のことを話す過程で、父の自殺の原因を探すしかない。ただ「なんで自殺したの?」なんて聞けるはずもないから、少しずつ、会話の中で見つけていくしかない。かつて父や母が歩み寄ってくれたように、私も少しずつ、進まなければいけない。

 父は帰ってきても、事件のことをすぐには聞かなかった。「親父じいちゃんが危篤だって言って帰ってきた」自嘲とまではいかないが無理して鼻で笑うように言った。私はただ頷いた。今日は母が弟を公園に連れて行き、家には私と父の二人だけとなった。

「俺はママから何も聞かされてないから、お前の言葉で良いから、聞かせてほしい」そう前置きをしたあと、やはり父も「なんでやった」と聞いてきた。

 生憎私はそれの答えとなるような理由を持ち合わせていなかった。今回は確かに助けるために仕方なくだが、その前、一度目の犯行は自分でも思い出せない程薄く柔い理由だった。忘れたのではない。まともな理由など元よりなかったのだ。私は言われた通りに私の思うままに言葉を並べた。

「わからない。ただ、本がどうしても欲しかったんじゃない。行動そのものに興味があった」

 父もやはり呆れたような面持ちで、少し息を吐いた。「その気持ちは……残念ながら社会では受け入れられないものだ」その先も何か言いたそうにもごもごと口を動かすが、上手く言葉がまとまらない様子だった。

 やっと口を開いたかと思えば、全く素っ頓狂なことを言い出した。

「飯は食べれてるか?」

「いや」と短く反射的に返事をした。やっぱりと言うように父は数回頷いた。

「昔っから、お前はすぐ消化系にくるからな。なんか食うか?」

 私は首を横に振って、それでも父は台所に立った。「いらなかったら俺が食う」と。体重90キロ前後の父の説得力はすさまじかった。

 私の目の前には大量の惣菜と茶碗にこんもりと盛られた米が出された。私はその一つ一つに箸をつけた。不思議と食べることができたのはきっと、私の食欲不振のほとんどは遠慮から派生したものだからだろう。しかしそこまで父が把握しているとは到底思えなかった。

 食べ進める中で、ふと私のこの舌足らずは父譲りなのだと感じた。


 一度経験したこととはいえ、たったの二日で万全の調子になるほど気は強くはない。私が立ち直り普段通りの会話ができるようになったのはそれからさらに三日経った頃だった。カレンダーをめくり、視線の端で夏休みの終わりを捉える。

 家族の雰囲気はまだ緊張感が漂っているが少しずつ日常を取り戻している。前日にはおつかいを頼まれることもあった。ただこの頃……というより父が単身赴任になってから、両親の仲は少しずつ険悪になっていった。父が帰ってくると、どちらかが弟と一緒に外に出て遊ぶ(今日の場合は父だった)。家族がそろうのは就寝前の僅かな時間のみだった。私自身それを嫌だとも思わず、異常だとか歪だとか、そんな考えも全く無かった。お互いに嫌ってはいるが、同時に相手の優れた部分はしっかりと評価していたから、これが家族の形だと今でも思っている。

 椅子の上で膝を抱えて、弟のいない静かなリビングを眺めながら、物思いにふける。母が横の台所から顔を出して「おなかすいてる?」と聞いてきた。私は短くうなずいて、足を下に降ろし姿勢を整える。母の声色はやけに明るかった。その理由を考えながら、待っているとほどなく料理が並べられた。

 机の上には二品。茶碗に遠慮がちに乗せられた米と、オクラと茄子の盛り合わせのような何か。

「いただきます」

 そう言ってまずは一口、オクラを食べてみる。馴染みのある味だった。

「どう?この前言ってた揚げ茄子のオクラバージョン」

 しばらくしてからようやく気が付いた。そういえば事件の前そんなことを頼んでいた。早速米も口の中に放り込む。やはりよく合う。

 私でも覚えてないのに、予測もつかないような衝撃的なことがあったのに、何故、自分のことだけで大変だろうに覚えていられるのか。そういえば昨日のおつかい、めんつゆを買いにいかされたな。

「鰹節がないからわかんなかった」

 私は目をつぶりながら精一杯の悪態をついた。さらにまた「ちょっとトイレ」と言い捨てて足早にトイレに籠った。閉じている目の隙間から、抑えきれない想いが滲みだし、頬と鼻先をくすぐった。

 喉の奥に、声を出し続けると痛くなる場所がある。名前は知らないが、そこが締め付けられるような痛みがある。息が詰まる。

 その後も私は何度も食卓とトイレを行き来していた。特に隠すことでもないのだが、何故か、どうしても知られたくなかった。


 翌日、私は父と財布を買いに出かけていた。というのも、夏休み前に私は学校で財布を無くしてしまい、母の財布を借りている状態だった。それを見かねた父が「今日買いに行こう」と突然言い出し、断る間もなく気づけば車に乗っていた。

 向かった先は光が丘駅。大泉よりラインナップが充実していて、池袋より気取りすぎない。そして何より車で行くには丁度良かった。

「今日の予定は?」車の中で父が聞いた。

「五時からバイト」

「そうか。余裕もって帰ろうか」

 私は窓からの風を受けながらラジオを聞いていた。チャンネルは昔から決まってFM NACK5エフエムナックファイブ。とはいえ私は今誰が話しているのかすらも全くわからず、せいぜい印象的な広告を何種か口ずさめる程度だった。その広告の内一つが流れ、女性の声が午後一時を告げる。

 私は何を話すべきか考えあぐねていた。そもそも、父とは何年も話していない上に、事件後本来ならば一言も話さず突っぱねているところを、二人で買い物に行くまで変わった。そんな中進んで会話なんてすれば「ループしている」とは思われずとも「どういう風の吹き回しだ」と疑われるに決まっている。そんな臆病な先入観を後ろ盾に、私と父の間に会話が生まれないことを正当化していた。

 終には一言も話さないまま、 車を降りる時がきた。隣の車と距離が近いときは必ず父が扉を開けに来る。今回はそうでもないように思えたが「待ってろ。開けるから」と言われたので、父が車の前を通り助手席の扉を開けに来るのをぼうっと眺めていた。

 私は車を降りるとそのまま父の後ろをついて歩いた。自動ドアから冷気が漏れ出し足元から私達を包み込む。父は慣れたように先へ先へと進んで行った。

 最初に見たのはショッピングモールの中、子供服のすぐ隣に肩身狭しと並んでいる紳士服売り場の片隅に設置された革製品の商品棚だった。

 私が前に使っていたものは母のからの頂き物で、革製のものだった。使い勝手も良く、気に入っていたので似たようなものが見つかればと父に伝えてあった。

 私は棚に並べられた財布を一つ一つ手に持って見比べたが、どれも質感や厚み、利便性においていまひとつだった。

「ちなみに、他に売ってるとこない?」

 父はにやりと笑い「ここで気に入ったのがみつかってくれたら良かったのに」と言った。どうも私が財布などには興味がないと踏んで、わざと安いところを案内したらしい。実に父らしいと思った。

 私は再び歩き出した父の後ろをまた歩いて行った。それから三店ほどを見て回り、その中から迷いつつも最終的に一つとても良いものを見つけた。

 値は張っているが、父は「気にするな、自分が良いと思うものを買いなさい」と。私は遠慮なく、父にその商品を頼んだ。

 その頃、時間は三時を大きく過ぎていた。

「バイト間に合う?」

「制服は持ってきてるから、そのまま行く」

 すると父から、私がほんの少し期待していた返答が帰ってきた。

「送ろうか?」

 私は少し悩むふりをしてから「じゃあお願いする」と言った。

 車で行くならむしろ時間は早いほどで、適当な間食を食べてから向かうことになった。こうなれば、必ずと言っていいほどドライブスルーを利用する。適当な駐車場に車を停め、さも刑事ドラマの張り込みのように車の中で食事を済ませる。

「お前は昔っから、ポテト好きだよなぁ」

 私は頬に詰めながら、目も合わせずに軽く頷く。

「幼稚園のころも、好き嫌い激しくてなんにも食べなくて、それでもそのポテトだけは食べたんだよなぁ。ママは塩分すごい気にして、一回水に浸して塩流してから渡してた」

 驚く私を後目に「本当だよ、それでもバクバク食べてたんだから」と父が付け加えた。その様子は、懐かしんでいるの一言では片付けられない何かがあった。

「帰りも迎えに来てよ、九時半頃」

 私はハンバーガーの包み紙を丸めながら言った。バイト先までもう少しというところで、やっと私から出た言葉だった。

「ああ、わかった」

 父は表情を変えずに言った。


 飲食店で働いていると、日に必ず五組は子連れの家族が来店される。今日もその例を漏れなかったが夏休みということもあり、一組一組が長居していて、忙しくはなかった。

 ふと窓際のソファ席で、宿題を進めている親子を見かけ思い出した。いつだったか、夏休み最後の週、手付かずの算数ドリルを手提げにいれて、母と近くのファミレスに行ったことがある。その頃はまだ、ファミレスに喫煙席があった。

 子供の私を気遣って、母は決まって禁煙席を選んだ。母が向かったのは窓際のソファ席、厨房や他の席から遠く、静かな席だった。そしてなにより、喫煙可能エリアが目と鼻の先にあった。

 私がドリルをひろげて問題を解いていく。その間、母はなにもせず、ただ、私のことを見守っていた。時折ドリンクバーのコーヒーを口に含んでは、「いいじゃん」「がんばれ」とエールを送る。私はそれが気恥ずかしくて、「集中できないじゃん」とそっけない態度をとっていた――そんな気がする。

 集中力が切れた頃、母は巡回する従業員を呼び止め、とあるデザートを頼んだ。

 クロワッサンを円柱にしたようなパン(後にそれがデニッシュと呼ぶことを知る)の上に、ソフトクリームとメープルシロップをかけた初めて見る料理だった。

 今までここに来たことはあったが、毎度パスタやらハンバーグやらを食べるだけで満足してしまい、デザートメニューだなんて見ることもなかった。

 こんなものがあったとは。なぜ母はこんなものを知っているのか。期待と好奇心で胸がいっぱいで、とても宿題をやる気にはなれなかったのを覚えている。聞けば、母はかつて、こことは別の店舗で働いていたことがあったようだ。

 そして早くもそのデザートが到着した。見た目はメニューのそれと遜色なく、少なくとも、私の膨れた理想を大いに満たすものだった。

 大きなパンの上に乗った、大きなソフトクリーム。どこから手を付けるべきか迷っている私に、母が優しく説明する。

「まず、メープルシロップを上からかけて、ソフトクリームをパンから降ろすの。それで、下のパンを一口くらいに切ってアイスに付けて食べる」

 そう言いながら、母は一つ手慣れた調子で作ってみせた。私は、宿題のことなどとうに忘れて、母に教えてもらった食べ方で、あっという間に平らげてしまったのを覚えている。

 今でも私は、そうやって食べる。

 結局その後間を開けてから、追加で二回も頼んだ。三個目が届くころには、宿題は終わっていた。

 母は「食べすぎだよ」と笑いながら、パンを切り分けた。私も笑いながら、一つ提案をした。デザートは二人で分け合って食べた。

 食べ終わり少しした頃、母は煙草を吸いに喫煙席の方へ向かった。と言ってもほんの少し先、ドリンクバーよりも近いような距離で私の方を向きながら、煙草に火をつけた。

 たしかに喫煙席からは近いが、煙なんかは不思議と全く来ない。宿題をしているときも、気に掛けることすらなかった。けれども、母の方を見つめていると、ほのかに漂っている香りを見つけ出せる。私は昔からこの香りが好きで母に気づかれないようこっそりと楽しんでいた。

 あの時間好きだったなぁ。爆発するように一瞬で過ぎた記憶を振り切るように、厨房に戻った。


 バイトが終わると、駐車場には来た時と同じ場所に父の車が停めてあった。丁度一服を終え、コンクリートに靴をすり合わせているところだった。

「怒られちゃった、ママに」

 父は溜め息まじりに言いながら、助手席の扉を開け私を迎え入れた。

「お前はもう大人なんだってさ。そんな干渉するなってよ」

 私は何も言えなかった。何と言うべきかわからなかった。何も言わない私に「ママはパパに近づいて欲しくないんだよ」と付け加えた。

「誰に?」

「パパが、お前の近くにいるのが気にくわねぇってさ」

 左右を確認してから大きく右に曲がった。家よりも少し手前の角の道だった。

「買い物して帰るか」前方に見える業務スーパーに入り、飲み物や総菜をメインに買って帰った。

 家に帰ると早々に父と母は険悪な空気になった。弟は既に寝ていて、気を遣う必要がないからこそお互いを嫌味で牽制し合い、責め立て合う。私は一人逃げるように部屋に籠った。

 話の内容は、私を甘やかすなだったり、連れまわすなだったり、物で釣るなだったり。とにかく母は今日父が私を連れて外に出たことが気に食わなかったらしい。

 あぁ思い出した。なるから私は家族と距離を置くようになったんだ。私が幼稚園の頃から、家族が一度も喧嘩しないような休日はなかった。深く息を吐いて部屋の扉にもたれかかり、そのまま腰を下ろした。

 耳をわざわざ澄まさずとも薄い壁の先から嫌でも聞こえてくる。離婚という単語が数回聞こえたあたりで正確に聞き取ろうという気は失せた。

 指の先から徐々に感じるそよ風のような憎悪は皮膚を優しく撫でながら、呆れる私の耳元で「助けなくてもいいんじゃないか?」「もうやめようぜ、一発なにか儲けてからさ」と軽い調子で説き伏せる。

 少しだけ、悪くないと思ってしまう自分がいた。


 父が赴任先に戻ることを知ったのは当日の昼頃だった。お盆休みにはもう一度帰ってくるらしかったが、着々とタイムリミットが迫る中、財布を買いに行って以来まともに話してすらいない。

 親の命にかかわっている中でこう言うのも可笑しいが、私の中で熱が冷めてしまったかのような。親の嫌な面を目の当たりにし、盲目的に助けることが正解なのかわからなくなってしまった。当人が死を望んでいるなら、やはりそうするべきじゃないか。これもまた、親への苦手意識から来る逃避なのかもしれないが。

 実際、家にいてもほとんど別居のようで、父は毎食総菜を買って食べている。そんな状況で生きていろと言うのは正しいのだろうか。

 当然答えは出なかったし、出せるとも思っていなかった。父がいるうちに聞いておけばよかったと少し後悔していた。

 母は弟とどこかへ、家には私だけが残っていた。

 リビングの食卓の上に、書置きのようなものがあることに気が付いた。早速開き、読んでみる。父からの手紙だった。

『昨日は嫌なところを見せてすみません。これからさきも、お前の役に立てないかもだけど、はなしができることがあれば一緒に笑えたらいいなと思います。

 パパの今の夢は息子二人がお酒を飲める年齢になって、みんなで笑える日がくるまで元気にいること

 寒くなると赤ちゃんだったお前を抱っこしてソファーで一緒に寝たことや、ダウンコートで暖かくして外を歩いて寝かしつけたことを思い出します。

元気でいるのが一番です。』

 これを読んで、異常なほど感傷にふけることはなかったが、父が帰ってきているとき、一度だけ話したことを思い出した。

「お前、今彼女いるの?」

 台所から顔を出して聞かれた。私は素直に「いない」と一言だけ答えた。

「結婚は?」とまたすぐ聞かれた。私はなぜこんなことを何度も聞かれなければならないかがわからなかった。とりあえず私は「しない」と短く答えた。

「結婚しないってそれお前……」

 父は歯切れが悪そうに顔をしかめてつづけた。「——そりゃあ、お前、人生半分寂しいぞ」冷蔵庫から牛乳を取り出しながら言った。

「折角お前はさ、ママの方に似たんだから。いい人みつかるよ」

 父と母の関係は現状とても悪い。特に、母の手料理というものを、父はきっともう六年以上食べていないだろう。それなのに、一人じゃという父が印象深く、その表情の細部に至るまで記憶している。


 父がいない間、私は嫌々ながら宿題を消化していった。生物の宿題で「生き物に関する本を読み、それの感想文を書く」という宿題があった。五年前の私は夏休み最終日にこの課題が残っていて、なんとか家にある本で書けないものかと考えた結果、「自死について」という哲学書のようなものを強引に結び付け提出した(後日、選んだ本のことで心配され、職員室に呼び出された)。今回も同じように書かなくてはいけないのだろうと、新品同然のその本を取り出し、数ページめくってみた。

 当時も最初の数ページしか読まず、あとは独自の見解と偏見で適当に穴埋めをしていた。今回も同じように、画集を眺めるようにページをめくり、目についた箇所を前後の文から深堀りして、「私はこう受け取った」と知ったかぶりでものを書いた。

 その後は弟の自由研究の手伝いをしていた。私は決して良い兄ではなかったが、何故だが弟に懐かれ、母の言うことより私の言うことを聞く子供だった。なので、他の宿題もそうだが、自由研究で長いこと辛抱が必要な時、母に代わって私がその旨を説明し、説得していた。

 弟が産まれたばかりの頃は私も嬉しかった。良い兄になろうと決心し、弟に渡したり、何か買ってあげる時のための貯金箱なんていうのもわざわざ用意した。

 しかしどうも私は子供が苦手なようだった。弟に限らず、幼稚園児から小学校低学年がピークで、その後は弟の成長と共に緩んでいった。

 苦手というのは精神的にもそうだが、肉体的にも相性が悪いようで、外で手を繋いで歩いていたら握っている掌に蕁麻疹のようなものが発症していたことがある。

 それ以外も、不意に近づかれたりすると、無意識に手で払いのけてしまう。私もこう例えるのは良い気がしないが、と言えばわかりやすいだろうか?

 勿論直したい。私の理想は漫画やアニメのようなにこやかな家庭を作ることで、父と母は仕方がないにせよ、私だけでも努めなければならないのに、私は変化を恐れてしまう。

 例えば明日、私が強い意志で、弟に非常に親身で弟が怒られていても弟の側に立ち、宿題もつきっきりで看てマリオカートだって気づかれないようにをする。そんな兄を努めたとしよう。その時、私が弟や母から「なんで今日そんなに優しいの?」だとか「急にどうしたの?」だとか至極当然な疑問をぶつけられたとする。私はそれが耐えられない。理由は自分でも見つからないが、例え良い方向の変化であっても、変わったことを他人に指摘されたくなかった。

 その部分もあり、私は父との間に未だに壁を作っている。相手からの会話は続くようになったが、自分から発信するのは壊滅的だった。


 お盆休みに入り、父が帰ってきた。それと同時に母はのところへ行き、家には滅多に帰らなかった。

 それをいいことに父は「今日外にごはん食べにいくか」と提案した。近くにある居酒屋で、弟が好きそうなメニューが豊富なところを選んだ。

 食事は和気藹々とはいかなかったが、会話がないわけではなかった。弟が起きているうちは弟が話題を独占し、最近の小学生の流行などを永遠と語っている。

 私はそれがありがたかった。自分でも話せそうな話題の時にほんの一瞬だけ顔を出し、雰囲気だけでも家族で話していると思えた。ただ、私がこの食事中に能動的に発した言葉は「餃子一個もらうよ」だとか「お冷も追加で」だとかそういった事務連絡の類のみだった。

 食事もあらかた終わりグラスも空になった頃、従業員が空いた皿なんかを片付けに来た。弟が寝てからは、店内で流れる昭和の曲が良く聞こえた。

「すみません、お冷と生一つ」

 従業員は了承し、すぐにその場を後にする。注文したのは私だった。

「飲み終わったからもう帰ろうと思ってたのに……」

 笑いながら言う父を後目になんともないような言葉を並べてはぐらかす。それに対し父が何かを言う前に、泡がこんもりと注がれた写真通りのビールが父の前に置かれた。

 父は何も言わず一口、大きく飲んだ。泡は依然として残っているが、ビールはあと少しで半分といったところだった。

「そうか……」

 それっきり父は黙って、グラスの中ではじける泡を見ていた。私も特に何も言わず、時間を繋ぐようにちびちびと水を飲んでいた。

「向こう行くとさ、ほんとに寂しいんだよなぁ。帰っても誰もいないし。」

 父がゆっくりと話し始めたことを。私は何も言わずただ聞いていた。

「この前とか窓開けようとした時、下がすっごい暗くて、吸い込まれそうになるんだよ。——ふっと。いかんいかんと思って」

 私がずっと聞きたかったことが、やっと聞けたような気がした。同時にこれを逃してはいけないという焦りと、だからこそ冷静にという気持ちが、頭の中で渦巻いていた。

「―—死にたい気持ちはあるの?」

「そりゃあ人生長く生きてりゃ誰しも思うよ。ただ、俺にはお前達がいるし、借金もあるし、どっちも完璧に終わらせてからじゃないと、プレッシャーだろ?」

 父は隣で寝ている弟を撫でながら、自身の借金を自嘲した。それはまるで、借金がなくなり、私達息子から見放されればすぐにでも死ねるとでも言うかのようだった。ここにきて父の死というものが現実味を帯びてきた。父は今言った通り、借金を全て返済してから死んだ。

 この時に私の中で、一つの決心が生まれた。


 父が赴任先に帰る当日、私は父を見送りについていくことを選んだ。父は私を車に乗せ、高速に乗るギリギリまで私に同行させてくれることになった。

 母は「帰りの交通費パパからもらってね」とだけ言って、あとは何も言わなかった。

 車が、埼玉方面に向けて走り出す。最寄り駅を越して、その先も越して、私が降りたこともないような駅もさらに越して。それでも、二人の間に会話はなかった。

 私は、今の沈黙より、この先会話が途切れることを嫌い、恐れた。だからこそしっかりと話題がそろうまで話せなかった。

 車は既に自分が知らない道を走っている。長いこと走っていたものだからいつ目的地に到着してもおかしくない。焦りがさらに不安を煽り、どんどん不信感が増していく。

 父の顔すら見れない。もし仮に「何?」だなんて聞き返されてしまったら――今の私を追い詰めるにはたったそれだけで十分すぎるほどだった。

「もうつくぞ」

 父の言葉を受け窓の外を見渡す。全く知らない景色だが、この車が前方の駐車場に向かっていることは理解できた。深く息を整えて、まずは一言目をしっかりと吐き出した。

「——話したいことがある」

 父は驚いた様子で、ただし冷静に、聞く準備を整え待ってくれているのが伝わった。

「彼女作ろうと思う」

「……なんで急に?」

 ハンドルを回し駐車場に入る。私は「この前人生半分寂しいって言われたから」と答えた。

「あと、大学に進んでもスポーツがやりたいと思う」

「いいとおもうよ」父はそう言いながら、慣れた手つきで車を後退させる。

「この前の運動会、リレーでアンカーを走った」

「そうかすごいじゃん」駐車を終えたらしく、腕を組んで私の話を聞いていた。

「私の一人称は、ただ気に入ってるだけ、髪も切るのが面倒なだけ」

「——知ってるよ」

 ここで父は息を深く吐き、椅子に強くもたれた。

「最近やっと果物を食べれるようになったんだ」

「あと……最近サザンの曲も聞くんだ」

「絵も、中学と比べてかなり描けるようになった」

 父はとうとう返事をしなくなった。わざわざ時間をとってまで、何一つまともな会話ができなかった。私はこの期に及んで最後まで親と話せなかった。申し訳ない気持ちで、救いを求めるように文字通り顔色をうかがった。

 父は、腕組みをして、身体をそれで押さえつけるように、静かに泣いていた。小さなかすれた声で「そうか、そうか」と何度も繰り返していた。

 たった、たったこれだけのことを、何故過去の私はしなかったのか。どんな形式よりも、内容よりも、伝える想いが重要だと何故わからなかった。私たちはひとしきり泣いた後、再び話すようなこともなく、私は車を降りて、父は高速へ乗って行った。

「なぁ、そのまま聞いてくれよ。お前——」

 随分と久しぶりに聞く声だった。先ほどまで父の車が停まっていた場所の車止めの上に腰かけて、無表情に笑う私を見た。

「この夏に後悔はあるかい?」

 私は涙を強く拭い「ないよそんなもの。頼まれたって二度とするものか」と笑いながら言い捨てた。

 退屈と悲観を混ぜ合わせたような表情で彼は言った。

「最後親は泣いてたな」

「気持ちが伝わったんだ」

「自責の涙かもよ?わざわざ一人称のことまで出してさ、プレッシャー与えたかも――」

 私は彼の前に立ち「いつまでもそうやって、ひねくれたままでいるといいさ。お前は絶対、そこから先には進まない」と言った。

 彼は何も言わず、右手をこちらに差し出した。私も何も言わず、右手を差し出し、握り返した。


 あの日の夜。突然に私は高校生に戻った。どうやってかはわからない。本当に戻っていたのかもわからない。ただ、あの時の経験は私のこれからに強く根付いて生きている。

「まだ首すわってないから気つけて」

「おー……俺に似なくてよかった」

 昔の感覚を思い出すように、丁寧にゆっくりと顔を触る。

親父じいちゃんの気持ちちょっとわかった気がするわ」

 父はニヤニヤと笑いながら言った。

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「話す」 西丸子P @kiramaruko-3

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