くぐれぬ鳥居

戸浦みなも

短編小説【くぐれぬ鳥居】

 少年は、目の前の鳥居に背を向けた。  

 童水干を身にまとい、わらじを履き、黒髪を高い位置でくくった古風な出で立ち。彼が目を伏せれば、長い睫毛が頬に淡い影を落とした。

 とん、とん、ぎゅ。

 一段、また一段と、欠けた石段を踏みしめるように降りていく。その亀裂には蔓が這い、コブシの花が静かに骸をさらしている。

 最後の一段から足を離して、彼は石段の上を仰ぎ見た。

「もう、あれから八百年……」

 ざわざわ、風に隠れて噂話に興じる木々は、その少年を訝しげに見下ろす。

 近根神社。  

 かつて、神を騙し、裏切り、ある家を一族郎党死に追いやった男が、この神社に祀られている。

 そう珍しい話ではない。気に留める者がいるとするなら、当時に思いを馳せる学者か、学者未満の野次馬か、あるいは。

 昔、ある家の嫡男が、齢七つで大蛇に呑まれて亡くなったという。哀れに思った人々の手で、その少年は祀られた。

 決して大きな社殿ではなかったが、それでも人が訪れて願い、少年は恩返しに明け暮れた。そして十年が経ったある日、一人の男が彼を騙した。少年は裏切られ、己の力を利用され、挙げ句の果てには封印されて、長い眠りの底に沈んだ。

「いっそ、殺してくれればよかったのに。今からでも」

 参道を外れ、彼はふらふらと草木の柵を踏み越える。しばらく進んでいった先で、ふと視界が明るくなった。少年は足を止め、木々の隙間から向こう側を覗く。

 海が見えた。

 馬があれば降りられるかどうか、といった崖の上。袖括りの紐がひるがえり、ぶわ、と湿気った潮風がその少年の首元に絡みつく。魚の死んで朽ちたにおいが、彼の鼻腔をくすぐった。

「僕があいつを拒む限りは、鳥居もくぐれないんだな。せっかく遠出したんだけど」

 その少年は、太い枝に腰掛けてふらふらと足を遊ばせる。長い眠りから覚めた彼は、新たな悪夢に囚われた。自責と後悔、そんな絶望の続きを抱えて、彼は終わりを待っている。

「甲斐がないや」

 童水干をまとった少年が、崖の上から飛び降りた。誰も死体は見なかった。

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くぐれぬ鳥居 戸浦みなも @toura_minamo

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