第7話 解放
西の塔にどれだけ滞在したのか分からない。
ただ、朝から雨がしとしとと降り続ける暗い日に、ハワード男爵家の人たちはマリーの軟禁を解くように決めたらしく、屈強な二人の男が迎えに来た。
(あと三ヶ月ぐらいは住めそうだわ……)
マリーは凝り固まった身体を伸ばしながら、螺旋状に回る階段を降りる。連れに来た男たちも、本邸でマリーの姿を見たメイドたちも、皆が皆気の毒そうな顔をする。
きっと彼らから見たら、マリーは男爵家から脱走を図って折檻を喰らった恩知らずなのだろう。それは否定のしようがないし、仕方がない。
案内人に続いて数日ぶりの義母の部屋に入った。
何かが違う、と瞬時に思った。
左から、相変わらず興味の無さそうなハワード男爵、こちらを冷たい目で見据える男爵夫人、そして、オドオドと撫で肩を更に落としているのは夫のマイセン。
マリーは違和感の正体を見つけた。
マイセンの隣に見知らぬ女が居るのだ。
小柄な女は明るめの茶髪を高い位置でお団子に結い上げて、マイセンの腕に抱き付いていた。こんな女は今まで見たことがない。マイセンから紹介を受けたこともない。
「マリー、十分反省は出来たかしら?」
パシッと音を立てて義母は扇子を閉じる。
マリーは目線を見知らぬ女から声の主へと移した。
「………ええ、お義母様」
「貴女がまともな感性の持ち主であれば、自分の行いがいかに恥ずべきものか分かるはずです」
「……そうですね」
「私もマイセンと話し合いをしました。この子はまだ深い傷を負っているわ。愛する妻に裏切られたのだもの、仕方がないことよね」
まるでマリーが不貞を犯したような物言いだ。
マリーはただ、息苦しいハワード男爵家から脱走して外の空気を吸いたかっただけだけど、朝帰りした妻が何を言っても難しい話だろう。頭の隅で考えながら目を閉じた。
「そこでね、ジュリアを迎えることにしたのよ」
「………?」
マリーは初めて聞く名前に眉を顰めた。
視界の隅でマイセンの隣の女が一歩前へ歩み出る。
「マリー様、初めまして」
「……どちら様?」
「奥様に紹介いただきましたジュリアです。マイセン様とは同じ学校で学びを深めていました。実は私たちは学生時代に恋人同士だったんです」
「…………、」
「違うんだ、マリー。ジュリアは卒業後に家が苦しい状態になってしまってね。しばらく連絡が取れなかったんだが、最近友人から彼女が掃除婦として働いていると聞いて……」
「お優しいマイセン様は、私に愛人にならないかと提案してくださいました。突然の誘いに驚きましたが、こんなに嬉しいことはありません」
ジュリアと名乗る女は目をキラキラさせて大袈裟に胸の前で手を組んで見せた。
マリーは女から視線を外して、夫であるマイセンを見遣る。罪悪感でもあるのかいつも以上に汗を掻いているものの、冗談を言っている風では無さそうだ。脅しでもないだろうし、きっと本気なのだろう。
「お好きになさってください。私には関係ありません」
心からの本音を述べると、ツカツカと歩いて来たハワード男爵夫人は手に持っていた扇子でマリーの頬を叩いた。
ピシャッと軽快な音が部屋に響き、マイセンがギョッとしたように肩を動かす。ジュリアは面白いショーが始まるのを待つ観客みたいに顔を輝かせていた。
「その可愛げのない態度が問題なのよ。貴女は本当に女として出来損ないだわ。夫の機嫌も取れずに妻として恥ずかしくないの……!?」
「私は夫の幸せを願っています。マイセン様が望むなら、愛人でも何でも受け入れる他ありません」
模範解答のような答えを返してマリーは微笑む。
義母は腹立たしげにその顔を見て、舌打ちをした。
これできっと、マイセンからの一方通行気味な溺愛も無くなることだろう。実のところあれは愛なんてものじゃなく、ただ自分の都合の良いように動く道具が欲しかっただけだと思うけど。
愛人だろうと何だろうと、その役割を代わってくれるのならば歓迎する。
ジュリアが来たことによる部屋の変更、妻の立ち位置の変化などについてハワード男爵夫人が早口で説明する間、マリーは以前交わしたネイトとの会話を思い出していた。
また、自分は逃げているのだろうか。
すべて諦めて「こういうもの」と目を瞑って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます