第8話 領主会議
新しい生活が幕を開けた。
マリーとマイセンの寝室は別々になり、夫婦の寝室だった場所には頻繁にジュリアが出入りするようになった。マリーには新しく、客室として設けられていた部屋の一つが貸し与えられ、それはかつての寝室から一番遠い場所に位置していた。
(マイセンなりの気遣いかしら……)
ぼけっと考えながらベッドの上に突っ伏する。
サイドテーブル上の花瓶に生けられた花は、とうの昔に枯れていた。以前より、使用人が部屋を訪れる機会も減ったような気がする。
あんなにも望んでいたマイセンからの解放なのに、ここのところマリーの心は暗い。何もない部屋の中で一人で膝を抱えて外の景色を見ていると、自分がどうしてここに居るのか分からなくなる。
毎日の食事は部屋に届けられ、たまに廊下の外から聞こえてくるジュリアの笑い声で、マリーは夫とその愛人が良好な関係を築いていることを感じていた。
「………ねぇ、」
ほとんど手の付いていないパンの載った皿を片すメイドに話し掛ける。面倒そうに眉を上げて女は振り返った。
「なんでしょうか?」
「少し外を散歩したいの。構わない?」
「マリー様の外出は奥様から厳しく禁じられています。どうかお部屋でお過ごしください」
場所が西の塔から本邸に移っただけで、マリーの軟禁生活は二ヶ月目に突入していた。部屋の中は塔の時ほど狭くはないものの、鬱々とした気分は日々募る。
「……どれぐらい待てば許されるのかしら?」
「奥様はまだマリー様の裏切りにお怒りです。ジュリア様が来たことでお世継ぎの問題は解決しそうですが、しばらくは今の状態が続くかと……」
「マイセン様は何か言っている?」
「来賓の対応時や、茶会に呼ばれた際にだけ妻として振舞ってほしいと。マイセン様はそのようにお考えです」
「人目は気にするということね」
「そう仰らないでくださいませ。ハワード男爵家を抜け出したマリー様を家から追い出さないだけ、奥様たちは情に厚い方なのです。どうかもうこれ以上の勝手な行動はお控えください」
「…………そう」
情に厚い。他人の目にはそう見えるようだ。
実際のところ、ハワード男爵家が気にしているのはきっと世間体。平民から迎え入れた妻を追い出せば、街における彼らの評判にも少なからず影響を与える。
マイセンは次期領主に取り入ろうと必死だ。
領主内におけるハワード男爵家の立ち位置を確固たるものにして、少しでも自分たちに有利なようにことを進めたいのだろう。派閥を作っておくと、議会におけるマイセンの発言も力を持つ。
「そういえば、」
若いメイドは人差し指を頬に当てて言葉を漏らした。
「今晩、新しい領主様が会合を開かれるそうです。招集の案内状が届いてマイセン様も張り切っていました」
「まぁ。もう逃げ回るのをやめたのね」
「そのようですね。領主様が変わってもう一ヶ月です。ただでさえ他所から来た伯爵家なので、色々と準備に追われていたのでしょうけれど」
「どんな人なのかしら?」
「私どもは分かりません。マリー様は今晩、マイセン様に付き添うことになりますから、実際に目にすることが出来るのではないでしょうか?」
「………二ヶ月ぶりの外出が領主会議とはね」
マリーは机の上に置いた自分の手を見遣る。
数ヶ月前まで領土を統括していたバルンガ伯爵家が王都へ移動することになって、新しい領主が迎え入れられた。しかし、新領主はどういうわけか、なかなか会議を開催せず、それは有権者たちの不満を煽っていたようだ。
マリーは小さく息を吐き、クローゼットに近付くと今晩の会議に着て行くドレスを選び始めた。妻が顔を出すとは、きっと今日は挨拶程度の集まりなのだろう。
愛人まで迎えていよいよ完全に冷え切ったハワード男爵家の若い夫婦を見て、新しい領主はどんな顔をするのか。
マリーは俯いて自嘲すると、一着のドレスを手に取って化粧台の前に腰掛けた。鏡に映るどんよりとした顔の女に笑い掛ける。
「マリー、大丈夫……私はきっと大丈夫」
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